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【在宅つまみテク】完コピ"できない”レシピで思いを募らせる(レバーの素焼き)

春夏秋冬という四季に、+2回の雨季が加わったとしか思えないここ数年。今年の夏は○日から○日まででしたとか明言できるくらい、夏の前後にはきれいに前線というボーダーラインが引かれていて、季節の輪郭がはっきりしています。

子どもの夏休みも短くなり、そもそも外出を控えなければならない今年は、夏を活発に過ごすわけにもいきません。畢竟、関心は家のなかか、せいぜい家の周りに向くことになります。

近所のお宅では、お父さんが完全在宅ワークになった結果、毎日一度は庭の手入れをしています。近所のホームセンターの工作室は、平日でも必ず誰かが電動工具を使っています。私は何を思ったか、よくザリガニを捕まえている近所の用水路でゴミを拾っています。市のボランティアに登録したので、ゴミ拾いさえしていれば用水路を自由に行き来できるようになりました。街の美観に協力するようなそぶりで、実はザリガニやオイカワなどの水生生物を捕まえて喜ぶ日々です。

ちなみにこのボランティア、自主的に応募してくるのはリタイアされた方がほとんどなんだそうで、たしかに言われてみれば、平日に子どもと虫採りをし、昼は近所の義父母と昼食を取ったりしている私は、隠居生活を営んでいるような気分になります。

自宅にワークプレイスを用意したら、地元がサードプレイスになった

人口密集地帯への行き来を制限しなければならない今、個人の行動領域は「自宅とその周辺」に集中せざるを得ない状況が続いています。

都市部の持つ「働く場」としての機能を分散させるためにテレワークが推奨されていますが、同時に「遊ぶ場」としての機能も分散させる必要に迫られています。

コロナ禍の始まりとともに、テレワークならぬテレドランク、在宅勤務ならぬ在宅飲酒と称してただの家飲みを捉えなおそうとしていましたが、冗談だったつもりが「結構マジでそうなのかも」的な気持ちになってきました。

ただし、家のなかにプライベートスペースとワークプレイスとサードプレイスを同居させるのはなかなか大変です。というかとりあえず自宅とワークプレイスがファーストプレイスとして一緒くたにされたいま、サードプレイスとはなんのことやらわかりません。家を一歩出れば、家族の一員でもなく、会社の一員でもない自分の活動の場が広がっているからです。

これまで地元というのは、自宅の周辺という意味でしかありませんでした。ところがいま、近所を流れる用水路は、私にとって明らかにひとつの目的地です。私はこの用水路の名前を覚え、それがどこから取水してどこに接続されるのかを調べるようになりました。地元はただの「自宅の周辺」ではなくなり、自分の「遊び場」になってしまった感じです。

というわけで、働く場としての街にも、遊ぶ場としての街にも繰り出さなくなった私ですが、あの店のあれだけは食べたい、というのがひとつだけあります。
今回は、それを真似たレシピに挑戦です。簡単でそれなりにおいしいですが、本家とは似ても似つかないものです。「完コピレシピ」というのが数年前から流行っていますが、まさにその逆をいかざるを得ず、しかしその似てない具合を味わってはまたその店に行きたい気持ちを募らせるという、そんなおつまみになっています。

シンプルすぎて完コピ不可! レバーの素焼き

<材料>
・鳥レバー__200グラムくらい
・長ネギ__1/2本くらい(適量)
・ごま油__適量
・醤油__適量
・しょうが__お好みで

<調理用具>
・まな板
・包丁
・フライパン

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<手順>
1.鳥レバーを一口サイズに切る。

2.フライパンに油をしき、1.を投入。弱火でじっくり火を通す。

3.焦げてフライパンにくっつかないように気をつけながら、チューハイ(容量外)を作って一口飲む。つまみ食いがてら、火の通り具合を見るため、たまに2.を味見する。
 本棚にある村上龍『ラブ&ポップ』とつげ義春『貧困旅行記』を手に取る。いま読み返すと、『ラブ&ポップ』は援助交際をマッチョに理解しようとした作品とも言えて、ゆえに現実世界の実情とは齟齬もあるだろうけれども、しかしだからこそ他者と出会うことの難しさと、身内しかいないことの苦しさを描いていられるわけだし、普通にスタンド・バイ・ミーが成立してるように思えた。
 実際の援助交際はまあ、身内しかいないことを心地よく思うような人もガンガンやっていたと思うし、むしろやはりというか、そっちの方が一般的だったようにも思う。
 たしかに初期のころは他者との出会いへの期待はあったかもしれないけれど、段々とその「他者」ってのが、人間同士の間で見出される「他者」ではなくて、マレビトとしての「他者」になっていった可能性がある。要は身内同士の関係を補完するために持ち出される「他者」でしかなくなってしまったってことなわけで、この小説のなかで起こる事件さえ、「昨日やべーやつにあったんだけど」って話題のひとつとして消費されかねない。
 でも、この物語をそうは描かなかったところが、個人的には非常に好きで、「間違ってると言われてもいいです」と開き直れるような素晴らしいシークエンスがある。
 『ラブ&ポップ』が、他者と出会いにくい女子高生を描いたある種の家出物語だとしたら、つげ義春『蒸発旅日記』(『貧困旅行記』所収)は、他者になってしまいたいテレクラ男の視点で描かれた家出日記になっている。
 日々の息苦しさに耐えきれずに蒸発したいと思っている男が、自分にファンレターを出しただけの、見ず知らずの女性の元へ押しかけて、勝手に結婚するつもりでいる。
 自分の作品を読んでファンレターを出すような人なんだから、きっと自分と同じような暗い人なんだろうと思っていたら、存外に明るい美人で、期待が外れて落胆するという。
 圧倒的な他者がそばにいるにもかかわらず、そこにはさらっと触れて(というか、がっつり手を出してるんだけど)、「ちょっとした非日常」だけ味わってはまた自分の日常へ帰っていくという、もうまさに「人をなんだと思ってるのか」案件で、呆れまくりつつどうしても笑ってしまう。
 この、どこまで行っても切羽詰まらないお話の、日々の辛さをも相対化しちゃう甘ったれた心性も、これはこれでひとつのサバイバル術かもしれないとは思う。
 ここまで行っちゃうと、もはや人として死んでいるのと同じだと言いたくもなるけれども、まあ「他者になる」も突き詰めれば「死者になる」なわけだし、4人の少年たちにスタンド・バイ・ミーの冒険をさせられるかもしれない、と思えばそれはそれで意義あることなのかもしれない。いや、でも、やっぱそれはなし、だとつよく思う。

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4.レバーに火が通ったら、皿に取る。ねぎを粗く切って、レバーの上に乗せる。ごま油と醤油、お好みでしょうがとかで味を調えてできあがり。

極めてシンプルすぎるレシピですが、だからこそ回転率の高いもつ焼きやさんの新鮮なレバーとの違いが如実に現れます(というかそもそもオリジナルは豚レバーだと思いますが)。この混乱が終わったら、真っ先に食べに行くことでしょう。

用水路とミュージックビデオはレコード

ところで、用水路を歩くことは、それ自体やたらと楽しいものです。
昨年まで鉄道が好きだった息子にはよく、川というのは鉄道よりも古くから街と街をつないだ線で、だから鉄道の先輩なのだとえばっていたのですが、要するに用水路も同じで、そこを歩くことで、農業用水としての表情や、ただの雨水処理の側溝としての表情、あるいは道路整備に伴って暗渠となってからの表情などを見ることができます。用水路はまるまる街の開発の記録を残しているんです。そこを辿ることで、過去の街の姿を聞き取ることができる気がします。

用水路を歩いていて、これって何かに似ているなあと思っていたのですが、先日このミュージックビデオを観て、気が付きました。

用水路を歩く行為そのものが、ミュージックビデオを眺めることによく似ています。

ミュージックビデオには歩いたり、移動したりというモチーフが頻出するのですが、それは例えば、レコードに落とされた針のアナロジーとして読むことも可能です。

このミュージックビデオにおいては、ラッパーはレコード針というよりも中心のアダプターのような役割を担っていますが、かわりに南武線や自動車といった周囲のものが移動しています。ビデオに映る南武線のレール、二ヶ領用水、南武沿線道路というのはレコードの溝であり、その上を歩いたり、移動したりすることで、ミュージックビデオの音が鳴るという仕組みです。

俺は旅立つよ この街から
もう興味は無い ゲームの勝ち方
ありがと南武線 川崎立川
この街を出る この街を出る 
あの日の景色 君との歴史 全てがレシピ
yea 憶えてるいつも あの日の傷と 
この街の水を

私もまた、地元の用水路という「この街の水」をじゃぶじゃぶ歩きながら、街の過去の記録を再生したり、あるいは新たにレコードの溝を掘っていったりしているような、そんな気分になったりしています。

文&写真:安藤賛

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