見出し画像

【自己紹介③】記憶、前世について

 私は何度も、人として生きて、死んで、また生きて死に、死んで生きてきた。記憶はおぼろげだが。

 まず、最古の記憶は、私は2、3歳の子どもで、縄文時代末期ごろであった。あるムラで生活しており、周辺に複数あるムラムラのうちで、唯一、当時最新の知識であった文字(漢字)を読むことができた。ムラは隣のムラに挑発され、私は必死で止めたが、子どもの言うことなど聞く大人はおらず、全面戦争に突入した。私の村は壊滅した。

 つぎ、宰予(さいよ)と呼ばれ、孔子とともに春秋時代の中国をあちこち旅した。難儀な旅であった。孔子のことがとても好きで、大すきで、尊敬していた。こまかい点で、考えが合わないところがあった。

 竜樹(ナーガールジュナ)と呼ばれていた。記憶はあいまい。

 唐の時代。大陸のどこかで生活をしていた。李白に会ったことがある。李白から、杜甫の話を聞いた。

 北宋。恵州(広東省)で生活をしていた。蘇軾(蘇東坡)に会ったことがある。その弟が蘇鉄、だったと思う。

 私は男で、ながい髪の毛を洗っていて、かわかしているところを、清少納言に見られた。

 平安末期~鎌倉ぐらい。私は貴族の女に仕える下僕だった。貴族の女がおまるに便をしたのを、屋敷を出て北の方の、草原に捨てた。ふしぎだったが、貴族の女の便は、ぜんぜんくさくなくて、お香のような匂いがした。やはり貴族はちがうのだと、感心した。

 つぎはいろいろ。ほぼ無名。人をたくさん殺し、人にたくさん殺された。いやだった。

 私は夏目漱石の弟子のひとりであった。ある日先生の家に夕食に呼ばれて行った。私は酒が好きなので、下戸の先生は酒を用意してくれていた。お猪口に一杯だけ酒が供されて、それだけだった。私は一口でそれをのんで、あとはどうしていいのやら、わからなかった。先生は「君は、よく飲むね」と言われた。苦笑した。

 今の私の直前の私は、山之口獏だった。貧乏で、詩人であった。

 私はそして、1976年に、またまた、また生まれた。

 そして今に至る。

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,268件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?