【金】つけ麺理論について
世の中には、一体何に使うのかというぐらい、唸るぐらいというか、意味不明なぐらいのお金を個人で持っているひとたちがいます。私は不思議なんです。何に使うの?って。
私はつけ麺が好きなので、食べに行くと大盛りにして、さらに調子がよければ、替え玉(調子によりて0.5玉or1玉)を食べて、腹がはち切れそうになって、苦しみます。
世の中には意味が無いほどお金を持っている人たちがいて、こういう人たちは、つけ麺を毎食1000人前程食べないと、計算が合わないぐらいお金を持っています。つけ麺1000人前、食べられますか? 菅原初代さん(無敵の大食い女王、昨年逝去)でも20人前ぐらいしか食べられないのではないでしょうか。では、食べきられないつけ麺はどうなってしまうんですか? チーズはどこに消えたのか。食べきられないので残して、腐らせてしまうだけなんじゃないのでしょうか。深刻なフード・ロス。
私は食べものを残すというのが心底きらいなので、こういうのは、本当に腹が立つんです。食べきられないぐらい、お金を持っててどうするんですか? お金って紙切れ、もしくは何か変な鉱物でしょう? それか電磁的な、どこにも無い数字でしょう。そんなの無駄にもってて、どうすんの?
あるいは、子孫。一族のために取っておくのでせうか。これも大間違いです。西郷さん(薩摩の人)は「子孫のために美田を買わず」という言葉をのこしています。これは私利私欲のために行動しないという意味だと思われますが、さらに。子孫のために美田を残しても、益よりも害の方が大きいのです。この実例はいくらでも見てきました。親族同士の争い、骨肉を血で洗うような諍い、暴力。せっかくの家族がバラバラになり、一生会わない、縁を切る、などということが日常、茶飯事として日本中、世界中で起こっています。
中国の古いことばにもあります。美田を残しても、愛する子孫、敬愛する一族がただ堕落し、相争うだけやねん。英雄の二世、三世がすべて愚者であるとはいいませんが、しかし、生まれたときから何の苦労もせず、ぼんぼんと生きてきた人たちが、庶民感覚から乖離し、馬鹿馬鹿しい発言をするのは、これもまたいくらでも実例があります。みなさんもご覧になったことがあるのではないでしょうか。
というのがつけ麺理論です。
お金はまずつけ麺に換算し、自分が食べられるだけ持つこと。また子孫に残すにしても、常識的な範囲で残すこと。お金というのはただの数字ですので、欲しいと思えば切りがありません。ただの数字ですから。このただの数字が増すことによろこびを覚えるようになったら、人として終わりです。数字は目安なので、この目安をかならず実在・実物に置き換える想像力をもつことが大事です。
自分がどれだけの量のつけ麺を食べられるのか、体を鍛え、ととのえること。
そのつけ麺と持っている金を比較検討する技術を学ぶこと。
そして、数字でしかない金に惑わされない心を磨くこと。
お金はたしかに大事だし、深淵です。それに向かい合うためには、心・技・体を鍛え学び、磨くこと。不断の努力が必要なのです。
以上が、つけ麺理論でした。
本稿つづく