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【中編】トゥンジュムイの遠い空⑧

「十・十空襲」の三年ほど前のある日の早朝。

 男(トクスケ)はある用事を言付かって坂下の那覇の安里のある商家まで行こうとしていた。そろそろ家を出ようとしたところに叔母がやって来た。この人は、十二年前に失踪した男の母親の妹である。

「元気か」と叔母が言った。そして「仕事か」と問うた。

 男は、ウン、ウンと二度頷いた。叔母は家に入って来て、土間の続きの奥にある炊事場に行くと何かを置いたり、少しく片付けたりしているようだった。叔母は時々男の様子を見に隣の石嶺からやって来て、食べ物や何やらを置いていった。

「仕事があるのならありがたいことだ」と叔母は言った。そして男の名を呼んだ。「トクスケよ」。いまのお前は頑張りどきだ、兵隊に取られて男手はどんどん減っている、いま頑張れば何かしらきっと芽が出ることもあるだろう、嫁の来手もあるかもしれない、とこういうことを言った。

 兵隊の話になったとき、一瞬男の目に暗い陰が走ったようだった。以前、徴兵検査を受けた際、男の結果は丁種であった。不適当と判断されたのだった。その後も数次、徴用は行われていたが男のところに知らせは届かなかった。男の書類には「精薄」という文字があったからである。叔母は取られなかったのはむしろ幸運だ、最近はどことも知れぬ南方の島に送られて生きているのか死んでいるのかすらわからない者がたくさんいるのだ、と言った。しかし、男がひどく落胆していることにも気づいているようであった。

「いってらっしゃい」と言って叔母は男を送り出した。

 ウンと頷いて男は家を出た。

 汀良の市場は人の姿は少なかった。当蔵を過ぎ、龍潭池を左手に見て池端、真和志を縦断して山川の坂を下る頃、坂の向こうから箸の転がるような明るい声が聞こえてきた。やがて坂を登る少女たちの姿が見えてきた。空には雲が多く、北から吹く風の冷たいその年の二月十日のことである。

 この日、女子師範学校、第一高等女学校では「十七里行軍」という訓練的行事が行われていた。これは学校のある安里から勝連城址までを一日で往復するというかなりの強行軍で、実施に際して学校では慎重な計画が練られるとともに、厳重な身体検査が行われた。長引く戦争の中昨年末にはついに真珠湾攻撃もなされたという時節柄、あるいは敵の上陸に備えての訓練として、また堅忍持久の精神を養うという目的の元このような行事が催されたのであった。

 とはいえ少女たちの表情はあくまで明るくお喋りに興じる者や隣を歩く同輩にちょっかいを出しては口を覆って笑う者、数人で歌をうたいながら歩く者など、ちょっとした遠足といってもいいような様子なのであった。時は1942年(昭和十七年)、実のところこの時期の沖縄で「敵の上陸」を本当に想定している者はほぼいなかったし、食糧事情の悪化をはじめ日用品にも事欠く情勢は明らかに庶民の生活に影響を与えてはいたが人々はそれなりの日常を生きていた。やがて訪れる地獄を知る者は誰一人いなかった。

 早朝、坂を次々に上がってくる少女たちの大群は道を塞ぐように横に広がっていた。男(トクスケ)は道端に立ち止まり、行軍する少女たちを見ていた。少女たちはヘチマ襟の上着にモンペ、もしくは作業ズボンといったいでたちであった。髪型は子どもじみたおかっぱの者もいたし、前髪を分けた者、二つに分けたおさげや三つ編みの者もいた。通り過ぎる者たちの中には、道端にいつまでも突っ立ったままの男を奇異の目で見て、わざわざ振り返ってクスクス笑う者もいた。  

 何年か前、偶然エイショウに会った日のことを男は思い出していた。鳥堀から新橋(ミーバシ)を渡って崎山に行こうとしていたその時、橋の向こうからこちらに歩いて来る男女の、男がエイショウなのであった。エイショウもこちらに気がつくと片手を挙げ少しく歩を速めるといった態で近づいて来た。右足を引き摺るような歩き方は相変わらずだが体躯は随分と大きく豊かになっており背広姿の肩あたりに威厳のようなものを漂わせている一方くりくりとした瞳は幼い時のままで人懐こい笑顔もあの頃と同じであった。

「元気ですか」と男が言った。 

 それを聞いて、エイショウは白い歯を見せ顔をクシャクシャにするとでもいった様子で男の肩を掴んだ。エイショウは、自分は先年沖縄に帰って来て今は第一高女で教員をやっているのだと言った、そしてお前はどうしているのだという目で男を見た。男は、いまS酒造にいると説明した。ウン、ウンといった具合にエイショウは頷くとまた男の肩を掴むようであった。それから「刀自(トゥジ)だ」と言って傍に控える女を紹介した。刀自というのは妻という意である。「これは、大和(ヤマトゥ)から連れて来た」と言ってあけすけな笑顔になるようであった。エイショウが地元の士族の援助を受けて大和の大学に行っていたことは男も知っていたし、その風聞は汀良を中心に蝸牛状に拡がる首里の東部の常識のようでもあった。

 女は色が白く大柄なエイショウの横に置いても引けは取らないといった風に夫と並び立っていた。「初めまして」と女が言った、女が頭を下げると辺りには肌の白さが反射してキラキラとした光の玉が落ちるようであった。だから、男もまた頭を下げた。〇〇と申します、と女は言った。まったく圧倒されるような女の白さであり、身は芭蕉布に包まれ、その頃生理が止まっていた女の股からは北風に花の色を重ねるような乾燥した匂いが吹いてきた。女の腹は膨らみ、着物に巻いた帯もそれなりに緩め、腹の下に巻いていた。「そろそろ産まれるのだ」とエイショウが言った。

 少女たちの行軍は続いていた。この者たちはみな処女なのだ、と男は思った。行軍の列には時折引率らしき大人の姿も混じっていた。エイショウがいるのではないか、と男の目は探すようであった。

 小学校三年生の時、授業中に教師から指示されてエイショウが作文を発表したことがあった。「日本と沖縄の未来」と題されたその作文の内容は、歴史的には長らく別の国として時代を経て来た日本と沖縄であるがその祖は同じものであり今や同朋として手を取り合い共に繁栄し一等国となった、これからは東アジア、ひいては世界の平和に貢献するのが皇国としての義務でありまた世界から期待される役割でもあるといったものであった。

「思うに世界は元々一つの大陸であったものが、地殻の変動によりいくつかの大陸や島々に分かれていったのです。」エイショウの堂々としたしかし優しい声が教室に響いていた。琉球列島は支那大陸の東を包むように日本の本土から点々と続く最重要な島嶼であり要衝でもある、「いわばまさに」とエイショウは言った、「元々一つであった世界のひとつの島として」世界で最も歴史の古い皇国の威光を知らしむる為の「万国のかけ橋となるのがこの沖縄の使命であり運命でもあるのです。その大きな目的のために、僕たち生徒は天皇陛下をはじめ僕たちをうんでくだすった父や母、そして毎日教えみちびいてくださる先生がた、また兄姉に深く感謝しながら、ぜひとも勉強を続けなければなりません」。読み終わってエイショウは席についた。

 万雷の拍手が教室を包むようであった。

「ソンスケ、どけよ」

 と言うのは男(トクスケ)の四歳下、二人いる妹の、上の妹のキミコであった。その年の春に男とキミコの父親は脳梗塞で突如として死んだのだった。当時、男は十六歳で、キミコは十二歳であった。

 どこで覚えて来たのか妹は男の忌むべきアダ名を昔から知っており、事あるごとにその名で兄を呼びニヤニヤと嗤うのであった。その時、事の起こりははっきりとしないが、宵の頃のことであった、位牌の前で寝そべる男が邪魔とでもいうように妹はそう言ったのであった。

 男は立ち上がり、足さばきを速めて素足で土間に降りそのまま外に出て行った。足もとのすでに昏いなか家の前の道端から拳大の石を拾うと石を握りしめまた家の中に入って行った。そのままキミコを殴り殺すつもりでいたのである。キミコが大声をあげ、母親が炊事場から現れて板の間に上がってきた。何かの作業の途中にそのまま駆け付けたとでもいうように母親の右手には包丁が握られていた。それで、かたや刃物、かたや石といった凶器を抱えての睨み合いとなってしまったのである。しかし、睨み合いは長くは続かず、すぐにも母親が少しのため息を漏らして泣き崩れ包丁を持ったままの手で顔を覆い、もう限界だというようなことを言い板の間に伏して今度は大声で叫ぶように泣き始めたのであった。男は右手を下ろし、握っていた石を板の間に落とした。ゴトッという音がした。そうしてこの場はおさまったようであった。

 またある日の夕方、男は母に命じられて家の傍らの菜園の草抜きをしていた。蒸し暑い日で、蚊がひっきりなしに襲ってくる。男はフー、フーと荒い息をしながら、抜いた草を振り回して蚊を払い、また草を抜いているのであった。すると向こうからキミコがやって来た。両手に何やら荷物を下げてふてくされたような顔で歩いていた。またこちらからは見知らぬ男がキミコの方に歩いていた。見知らぬ男は擦れ違いざまにキミコの胸を着物の上から触った。スローモーションのようであった。こちらを振り返り、キミコに向かって舌を出すと見知らぬ男はそのまま歩き去って行った。西日が立ち上がった男(トクスケ)の背中を焼き、何にも音がしないようだった。血の気の引いた顔で立ち尽くすキミコを見て、男の顔は笑っていた。南東の方、弁ヶ嶽から南風原に下りてゆく道の向こうに遠い空があった。その空はまるで大きな壁のようで、人間の行く手に立ちはだかり、それを閉じ込めようしていた。濃い青が夜のように高く天際に流れていた。

 その日の夜、男は寝ているキミコの着物の襟に手を入れ胸に触った。硬い胸で未発達の乳首を頂点に円錐状の肉のかたちをしていた。

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