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【中編】トゥンジュムイの遠い空⑨終章

 1945年四月一日、米軍は北谷町から読谷村にまたがる西海岸に上陸した。翌二日には易々と東岸に到達し、沖縄本島は南北に分断された。

 その日、壕に入って来た男を見て、ウシはギョッとした。男はひどく痩せて顔色も悪かったが、目はむしろ生気に満ちているようであった。その目で見られたから、ウシは男がこの場所で、衆人のある中であのような行為に及ぶのではないかと思い、ウシは初めて男に恐怖を感じた。この夜はもうここでは過ごせないと、そう思ったのである。

 男がウシの家に来たのは二ヶ月ばかり前のことであった。

 那覇に大空襲のあった翌年、一月二十二日にもまた大きな空襲があった。偵察を続けるグラマンは夕方になっても四機編隊で首里の上空を旋回し続け、それで男は中々壕から出られないのであった。翌日、男の家に手紙が届いた。それは男が防衛召集の対象になったというもので「第二国民兵役」に向けての検査を行うから下記の日時に来なさい、というものだった。固より男は字が読めないので、これは職場の者に頼んで読ませたのだった。さて、当日検査場に行くと顔見知りの姿があってまたこの者が検査員もやっているのであった。タツエイという伯父さんで、といっても親戚ではなく、男の父親とタツエイは義兄弟のような付き合いをしていて、大分年上のタツエイははかばかしい後ろ盾の無い男の父親の面倒を何かと見ていたのである。身体検査が終わった時、タツエイはもう一人の検査員に、これは「特設警備隊」に入れると言ったのである。「特設警備隊」というのは退役軍人で組織された警備部隊で地域の保安等を任務としておりタツエイも部隊の中隊に所属していた。タツエイは男にその手伝いをさせる、というのだった。というわけで男はついに入隊を果たしたかに思えたのだが、ところがその夜、男の家を訪ねて来たタツエイは、思いもかけないことを言うのだった。

「逃げろ」とタツエイは言った。続けて「この戦争は必ず負ける。首里にいる者はみな殺される。逃げるところがある者は今すぐ逃げろ」と。男は呆気に取られているようであった。「お前の親父は、元々山原の羽地というところから首里に出てきたのだ」とタツエイは言った。「羽地の真喜屋というところに、お前のイームトゥグァー(伊素小、男の家の本家の屋号)がある。今すぐにでも行くのだ」そして男にハンドバッグを渡すと、地図が入っているお金も少しだけだが入っている、やんばるに行け、わかったか、トクスケよ。と言ってタツエイは帰っていった。

 男は呆気に取られているようであった。本当に吃驚したのでしばらく見開いた目はそのままになっていた。やがて男は立ち上がり、家を出て夜の闇にまぎれてしまうようであった。

 男はどことも知れず歩いているようであったが、そのうち弁ヶ嶽の境域に入っていくのであった。森の中は真の闇であり蚊が顔の周りを何匹も飛び回っているがそれが上なの下なのか横なのかもよくわからない平衡感覚が変になるような暗黒の中なのであった。

 弁ヶ嶽は首里東端の独立丘で、本島中南部の最高峰、標高165.7m。丘の中には大嶽、久高島遥拝の小嶽、斎場御嶽遥拝所という王国古来の三つの祭祀場がある聖地である。大嶽の左には弁之井戸(ビンヌガー)という井戸があり、また当時その傍らには32軍通信隊の監視基地としてトーチカが設けられ、弁ヶ嶽の頂上の無線施設で受信した電信文を一中健児隊の少年兵が2キロ弱離れた首里城地下の司令部まで走り届けるのであった。弁大嶽(ビンヌフウタキ)には尚真王時代に園比屋武御嶽石門を造った西塘によって、1519年に造られた石積みの大門がある。神名は「玉ノミウヂスデルカワノ御イベヅカサ」という。その意は「由緒正しい御氏の孵(すで)る泉」というもので、いまいち意味がよく解らないが弁之井戸の水神を祀っているもののようである。今述べた施設は、1945年五月三十一日に首里城(32軍司令部)が陥落する頃には、弾痕の残るトーチカのほかは、全て戦火の灰に帰している。

 弁ヶ嶽の暗闇を歩き、男(トクスケ)はいつしか大嶽の前の広場に座っていた。門の前に踞り、いつまでも動かなかった。ふと「元々はうちの家は士族で……」という父親の声が聞こえるようだった。タツエイ伯父は逃げろと言うが、しかし男には行くところなど何処にもなかったし、逃げたところで繋いだ命のその使いかたというのも今となってはもう分からないのだった。ウ、ウ、ウと男は泣くようであった。「元々」のその更(さら)に以前、はるか昔、いやというよりも本来の、ある存在でしかない姿に男は孵(すで)るようであった。男はまったく、ひとりぼっちであった。

 二月になったある日、その日は雲の多い日で時々小雨が降っていた。集落を歩くウシの姿があった。近所にある畑で芋を掘って、その帰りなのだった。その前から男が歩いて来た。擦れ違ってから、振りかえって男はウシを見た。少し離れてから、男はそのままウシについて行った。

 家に帰ってすぐ、ウシは背後にいる男に気がついた。開け放たれた仏壇の間の縁側の外に男は立っていた。なんだ、とウシは男に言った。男は何も言わず突っ立っているだけであった。人の話では職場では話すというが、この男の声を今まで聞いたことがない、とウシは思った。なんだ、ともう一度言った。男はポケットから金を出してヒラヒラと振った。そのときウシはズボン越しに男の股間が隆起していることに気が付いた。ばかか、お前は、とウシは思った、うちはお前の母ちゃんと同級生だぞ、ばかばかしい、と。男は金を振り続けていた。その金は先日タツエイがくれた金のようであった。その手を掴んで、ウシは男を家の方に引き上げた。男は靴を脱いで家に上がって来た。男の手を掴んでウシは仏間の裏の部屋の方に歩き、男を押し込めるように先に入れ、戸を閉めた。その部屋はその頃物置になっていて、使われなくなった家族の持ち物が色々と置かれていた。北側にある窓から薄ぼんやりとした光がその物たちの上に落ちていた。男は、両手をだらりと下げて、落ち着かぬ目をして突っ立っていた。ウシは子供を抱くようにその男の肩と胴体に手をかけた。男はズボンをおろした。陰毛の中から充血した男の性器が突出し、放っておくと次の瞬間にはさらにせり上ってくるかに、ウシには見えた。ウシはモンペをおろした。ウシは、男との性交のあとさきは考えなかった。その時の気分は、単純に、男がかわいそうに思えただけだった。

 一日おいて男はまた来て、その次の日も来た。男はもう金を出してウシに見せるということはしなかった。そもそも最初に来た日ウシは金を受け取らなかったのである。二度目の時、ウシは立ったまま着物の前をはだけ、男の頭部を嬰児を抱きしめるように両腕でくるみ、男の後頭部を撫でた。男は膝を少しかがめて、ウシに頭を撫でられてじっとしていた。ウシは男に性的な欲望を感じたことはなかった。ところが、男が縁側の先に突っ立っていると、ただ性交する他ないみたいな気分になるのだった。それで、別に悪いことをしているという感じはしないのであった。男にしてみたところで、ウシに特別な思いがあったわけでもないらしく、執着するようなところもなかった。ただ、食べる物にもこと欠く生活の中で小屋に寝転がっていると、ふとモンペを下ろしたときの水槽の古い水のような湿気が鼻先に吹くことがあり、そうなると居ても立ってもいられないようであった。終わったあと、ウシは昼間には来るなと言った。だから男は三度目からは夜に来たのである。

   艦砲射撃と空襲は日々激しさを増し、日中人々は壕の中にいて、日が暮れるとようやく外に出てきて芋掘りなどの軽作業を行い、夜は家に帰ったが灯をともす家はまれだった。そもそも集落の人はどこに行ったのか日を追うごとにその数を減らしているようだった。集落は墨を流したような闇に包まれ、虫の声のほかは何も音がしなくなった。弁ヶ嶽はその暗黒の境域をますます広げるようで、夜の空にたかく立ち上がり集落に覆い被さるようであった。男は愛撫のようなことはせず、ただ性交だけを行い、終わるとすぐに帰っていった。男は三度やって来て、それから来なくなったが、翌三月になってある日またやって来た。この時は三日続けて来て、また来なくなった。

   米軍が本島南北を分断したその日、男はウシのいる壕に転がり込んで来たのであった。日中、艦砲射撃は容赦なくこの島に降り注いだ。爆裂音はひっきりなしに続き、壕の上の岩盤を揺らした。もっと早く、長女のいる山原に逃げるべきだったと後悔するようであったが、その念さえも根こそぎ吹き飛ばすような轟音が耳の中で炸裂し、ウシは正気を失うような心地がした。一方、壕の隅で膝を抱える男の姿は常に意識され、男への恐怖は爆弾も消してはくれなかった。日が那覇の向こうの慶良間諸島のさらに先に落ちる頃、爆撃はようやく止んだ。

 壕を出て、ウシは呆気に取られた。目の前にひろがる風景は、ウシや男が生まれ、育った集落ではなくなっていた。見渡す限り爆弾の痕が地面に穴をあけ、人間の建てた建造物は全て無くなっていた。あるいは残っていたとしても残骸に業火がまとわりつき黒い煙が上空にのぼっていた。そして弁ヶ嶽は真っ赤に燃えていた。ぶす、ぶすと鈍い音をたて、みし、みしと木々が悲鳴をあげていた。

「アメリカは北からここに来る。首里はもうだめだ」と先ほど壕で一緒だった女ばかりの家族はそう言っていた、「南に逃げよう。東風平に親戚がいるのだ」と。

「南へ。」当時の人々の選択が正しかったのかどうか、後世の目から見ると、また、歴史的なデータの集積から鑑みると、それは誤った選択であると評価するしかないもののようであった。1945年四月以降の本島南部には「あらゆる地獄を集めた」ような惨劇しかなかった。そこに救いは一切なかった。しかし、当時の人々を囲繞する様々な事象、また事情からすると、選択肢はそれしかないのだった。

 ウシが壕に戻ると、先ほどの家族の姿はもう無かった。ウシは風呂敷に包んだわずかな荷物を背負うと、壕を出て、南風原に下りる坂道の方に向かった。進むその先に目論見があるわけでは全くなかった。那覇以南にウシは縁もゆかりも無かった。しかし今はそうするしかないのであった。崖状にえぐれる地形を右に見て、急峻な下りを蛇行する道を歩いた。目先には正面に南風原、左には与那原、東海岸の向こうには知念半島があった。また右手の近くには燃え続ける弁ヶ嶽、その向こうには首里城のある丘があった。振り返ると、後ろに遠く、男もまたこちらに歩いてくるのに気づいた。

「来るな、あっちへ行け」というようにウシは激しく身振り、手振りをした。

「もうお前の好きにはさせないのだぞ。もう消えろ」と。遠目に男は笑っているように見えた。

 実際に男は笑っているのであった。男が見ているのは弁ヶ嶽上空の、燃えさかる火炎と没してゆく太陽の残照で真っ赤に染まる空であった。

 ほら、見ろ。おれだけがわかっていたのだ、と男は声に出して言うようだった。遠い、遠いことに意味があるのだと、ハッキリと男は感じていた。こういう気持ちは初めてのことのようだった。男は深く納得した。まるで宿願が叶ったかのようで歩く体も宙に浮くように軽く感じた。元々おれたちはこうなのだ、と男は歌うようであった。

 ウシの姿は早くも南風原の新川の方へ消えていた。男はそのあとに続いて足を踏み出した。男は性交を求めているわけではなかった、また、歩いて行った先で生きたいと思う気持ちでもなかった、何ものでもない現象として男は歩みを進めた。

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 本稿を起こすにあたり、筆者は沖縄戦の直前の生活を記した本を求めて読み、また沖縄戦そのものを記録した本に目を通した。正直に言うと、1945年四月以降の記録については目を通そうとはしたが通せなかった。斜め読みをしたのである。その理由は、あまりにも悲惨で、陰惨であるからである。首里城陥落後、戦いの帰趨は決したはずであるが、戦争は終わらずに本島南部に転戦し、一日、一日、民間人を多数犠牲にしながらジリジリと撤退戦が続けられた。このあたりの記録は、正視あたわずといったものも多くあったようである(ちゃんと読めていないのでよく解らない)。だから、これ以降のストーリーについて、フィクションなりといえど筆者は語る権利を持たない。フィクションは事実をまげる力を持たないし、事実を知らなければ書けるものではないからだ。この先には詩もなければ情けもない。よってここで稿をとじる、そうせざるを得ないのである。

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