【考察】5311の法則の詳しい解説と現代の神(金)について(後篇)
こんばんは。ドクター・JJです。
さいごに、現代の神、「金」についてお話します🥺
そもそも、「金」というものは超越的なものであり、たしかに神性を宿すものであります。
現代の神「金」
現代人は「金」を信仰しています。「拝金主義」ともいわれます。
金には神性があり、人びとに「安心」「平安」をあたえ、また、「成功」や「性交」をやくそくし、保障するものであります。
世に無神論者という人がいますが、こういうひとたちは原理的に存在できません。人は何かを信ずる者で、それが神であろうが金であろうがいっしょです。また、リアリスト(現実主義者)という愚かな一群がいますが、これも有り得ません。現実というは無いからです。
ほんとうの無神論者で、ほんとうのリアリストの人たちはすべて自ら命を絶っています。この世が生きるに値しないという真実を知っている、あるいは知ったからです。
生きるという現象は汚いもので、かならず誰かを犠牲にします。虚心坦懐にかんがえると、この世は生きる価値はありません。
なので、生きている人、生きつづけることを選択した場合、ひとびとは信仰するのです。
「いまよりは、よくなるだろう。マシになるだろう」
と。だいたいこういうことを信じているのです。だから生きていられるわけであります。
有り得るかもしれない危険や、有り得ないかもしれない事故を商売にしている人たちがいます。いわゆる保険です。
これらのビジネスはひとびとの信仰心を拠りどころにしています。いわゆる宗教と同じ構造であります。
宗教的でないものはない
賭博、株式、先物取引、天気予報、教育、投資、予言、アナ(ル)リズム……等々は、すべてまだ来ていない、いわゆる「未来」を信仰し、信ずることで成り立っています。ようするに宗教的なものです。
個人的な信仰は別として、ぜんたいの宗教は意志をもっており、その意志は、力を持つことです。
力というのは数であり、また影響「力」をどれだけもつかということです。要するに政治といっしょです。政教分離というのは基本的に有り得ません。政治と宗教というのはいっしょなのであります。
そしてその「力」というのは以前は救済を指し、現在は「金」の多寡です。
金があるものは勝ち組で、金が無いものは負け組です。現在は。
救済できるものが王になり、そうでないものは奴隷になります。むかしは。
その、数値を明確にするもの、それが現代では「金」なのであります。
「金」と「神」は非常によく似ています。
現代的な課題
そも、宗教というのは手段です。その手段を使ってやることがあるわけです。「目標・目的」というものです。さきに述べた「いまよりは、よくなるだろう。マシになるだろう」とゆーやつです。
この、モデル・ロールは以前は「神」が体現しており、これに近づくためにみんながんばったわけです。
現代はこのモデル・ロール、「神」がいなくなり、そのかわりに「金」が代替的にその役割を果たしています。「金」と「神」は非常によく似ていますが、決定的な違いは、「金」あくまで手段であり、「神」は目標・目的ということであります。
現代で人目を引くのは、つねにその手段です。目標・目的ではありません。
「目標・目的」について語ると、
「マジメ~」
「知ってるからそれ」
「もうええねん」
と馬鹿にされ、いじられます。
そういったことがルター以後おこなわれ、何百年か経ち、こういう有様になりました。いわゆる全人類が孤独になりました。
自分さえよければいいや。自分の見ているものが現実だ。人はどうでもいい。みな嘘をついている。ディープで、あれだ。
という、疑心暗鬼が世に蔓延り、その場限りのノリが全体を支配して、さいきんでは、人を殺した県知事が再選されたり、どう考えてもヤヴァイ大統領が再選されたりしたのであります。
そういうことです。
普通に考えて、
この世は、生きる価値はないのであります。
本稿おわり