【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日㊿メイが生まれた日
対岸の都会や、東京ではすでに土地の価格が下落していた。株価も。というかそんなことはもう誰もが知っていた。
このときメイは十歳。メイの妹は四歳。両親は仕事で家を空けていることがおおく、母方の祖母が面倒を見ていた。
メイは変な子どもで、よく周りに心配をされたり、またか、と思われたりしていた。この子はもうなくなったはずの記憶が見えるのである。記憶というのは電気的信号で、そのデバイス(肉体)が失われても空間に残ることがある。たとえば動画を撮影して、それを信号で別のデバイス(機器)に送る。テレビの電波とか。ああいう信号が空中や山川草木の上や下や横に夥(おびただ)しく浮遊している。メイはこれが見えるのである。
だからたとえば、バス停にいつも立っているおじさんがいる。いつもいるなと思うが、やがて一緒に居る祖母には見えていないことに気がつく。すると向こう、おじさんもそれに気付いて、メイについて来る。ついては来るが、何かを言われたり、されたりするわけではない。ただついて来る。何かをしてもらいたがっている。
メイは過去の因果関係を見ることはできない。未来を予知することができる。この時はまだ知らないが。
なのでおじさんや小さな女の子、古い着物姿のおんな、息もたえだえな侍、まだひとの形になっていないたましいが近づいてきても、どうすることもできない。誰にも相談できないし、これを助けることもできない。メイはしょっちゅう体調を崩し、学校に行っても途中で帰ることが多かった。
メイと一緒に家路につく祖母は、何となく分かっていた。もう死んだ自分の夫がそういうタイプだったからである。あまり漁にも出ず、高価なビリヤード台を買って納屋に置くような人であったが、生きていればよかったと思った。
三角山の麓に神社があって、ここの境内がメイは好きだった。ある日、この境内で幼馴染の男の子とポケットモンスターをしていた。男の子が買ったケーブルを繋いで対戦をした。メイが勝ったり男の子が勝ったりした。ポケモンを交換するときに、男の子がいじわるをして自分のゲームボーイの電源を切った。
「何しよん」
「やっぱいやや。おまえの弱いもん」
男の子はケーブルを抜いて自転車に乗り、どこかに行った。
メイの画面は止まったままだった。操作をしても全然動かない。仕方なく電源を切って、またつけた。白黒画面に「Nintendo」という文字が浮かんだ。セーヴ・データを再開すると、そのままだった。メイはホッとした。
電源を切った。少ししてまたつけた。白黒画面に「Nintendo」という文字が浮かんだ。すぐに電源を切った。
目線を上げると、境内の奥に社がある。その奥は鬱蒼とした森。
メイは目をつぶった。あけた。目をつむってあけ、またつぶってあけた。
この時メイは、ある方法に気付いた。もういない者たちを見なくする方法。電源を切ればいいのだ。或いはチャンネルを変えればよい。
その方法を会得するのはもう少し先の話である。数年後メイは子どもを生んだ。子どもを生んで三日目に、メイは方法を完全に自分のものにした。
本稿つづく
◇参考
1996年(Wikipedhia)
『新総合図説国語 改訂版』(東京書籍 2018年新訂第5版)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?