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賞金の10万円で旅に出た話

私はごくごく普通の書家である。

とても普通の書家だったので、書道科の大学院を出ようが、全国学生展でザクザク賞を取ろうが、社会に出たらなんの仕事もない新一年生の書家だった。

食いつなぐのが精一杯の頃に県展で新人賞をいただいた。
岡田文化財団賞。岡田屋さんの財団の賞。
現イオンの賞である。
賞金は10万円。一席と同じ金額だ。
さすがはジャスコ。太っ腹である。

せっかくなのでこのお金を未来の投資にするべくフランスに留学している同級生にメールした。
「ちょっと行ってもいい?」
2ヶ月後にOKをもらったものの、結局、そのうちに行く……と半年ほどズルズルした。
そして同級生から「完全帰国するけどどうするの?来るの?来ないの?」という脅迫メールを受け、その場で「行く!!」と返信するにいたった。

なんでグズグズしていたのかというと、私はトコトン英語ができないからだ。
英語はbe動詞で脱落したぐらい、それはそれはできなかった。
そのくせなぜかアメリカ人教師がた~~~~んといるミッション系の中学校に紛れてしまったのだから、人生とは不思議なものである。
今でもbe動詞はよく分からない。

そういう訳で海外には行かない人生と決めていたのだが、10万円を手にした時に「芸術畑に生きるならルーブルは見ておくべきだろう。今だったら同級生もいるし」と打算的に思い立ってしまったのである。

さて、チケットを取る直前。
日程も決まり、ノルウェー人の友人に「フランス行くんだよ~」と能天気に話題にしたところ「私もその頃ノルウェーいるよ!ついでに来たらいいよ!!フランスとノルウェーなんて地球儀で見たらちょっとじゃん!!」と誘われた。

……私は衝撃を受けた。
海外に行くことだけでいっぱいいっぱいなのに、世の中には宇宙単位で物事を考えられる人がいるのか。『ちょっと』のスケールがまるで違う。
グローバルへの道は険しい。

後日フランスとノルウェーを含めた飛行機のチケットを買った。
安い時期を選んだので10万円で十分収まった。

フランス経由でまずはノルウェーへ。
乗り換えが全く分からず、通りすがりの親切な日本人に教えてもらった。
空港内のフランス人職員に「May I help you, Mademoiselle?」と声をかけられて自分が「マドモアゼル」と呼ばれる世界線に驚いた。
ノルウェーの空港では道が分からず、カートごと警備室に突っ込んでいってしまい、優しい警備員さんに出口まで送ってもらった。

そうして多くの人の親切により無事友人と会えたのである。

ノルウェーでの全てが目新しかった。

2月だったのでもちろん雪は相当なものだ。自分の背より高い雪道に登って歩く。
塀より高いから庭の犬も出入り自由だ。

気温も低いが友人に言わせれば「-10℃だから暖かい」とのこと。確かに半袖で歩く人を見た。私は耳当てまでして完全防備だった。

海にいけばなんと海が凍っている。雪玉を作って投げると氷の海面の上を滑っていった。
興奮している私に友人は「何が面白いのかわからない。冬は海が凍るものでしょ?」と呟いた。

一人でフィヨルドに行ったのも大冒険だった。
船は数時間かけてフィヨルドの一番奥の滝まで進む。
だんだん最奥の崖が迫ってくる。
滝はもう目の前だ。圧巻だ。
そして船は……そのまま滝に船首をぶっこんだ。
ぐらぐらする船の上で船員が滝に駆け寄りバケツで水を汲み「飲め飲め」と水をコップにいれて差し出してくれる。
揺れる船の上で飲んだ水はキンと冷たく美味しく「衛生的に大丈夫か……?」との思いが頭をよぎった。

さて、フランスへ戻って同級生と再会するために待ち合わせのオペラ座の階段へ。
座っていると次々観光客に声をかけられる。写真を撮って欲しいとのことだ。私はちょっとしたカメラマンと化した。
観光客達の言語はバラバラで、私も日本語で通していた。でもなんとなくボディランゲージでわかる。

この時、私は言語が通じなくても何とかなることと、意外と世の中英語が話せない人は多いことを知った。
ノルウェー人はノルウェー語だし、フランス人はフランス語だし、スペイン人はスペイン語だし、日本人は日本語だった。

30分程撮影会をしたあと同級生と地元レストランへ行き、フランスの美食に舌鼓をうった。うちまくった。
フランスは実に美味しい。

美術館もいくつか行ったが印象深いものは二つ。

1つ目は同級生のススメで行ったギメ美術館。
あんなに青銅器が揃っているところはそうない。珍しい形やらあそこまで彫金が残っているものはアジアでもお目にかかれないだろう。
まさかフランスで中国青銅器の専門書が買えるとは思わなかった。
とても勉強になった。

ルーブル美術館は丸っと2日通い、隅々まで堪能した。
モナリザは写真撮影の観光客で溢れ返っていて、まるで記者会見の様だった。
微笑みの記者会見だ。
ニケのかっこ良さは言葉にできない素晴らしさだった。ニケに相応しい場所はルーブルの中でもあそこにしかないであろう。
何もかも日本とは展示様式が違って、来て良かったと心底思った。

そして私はフランスのアンニュイな空気がとても似合っていた同級生と別れ、私は帰途についた。

海外とはかくも面白いものなのかと思った。
全く違う美意識、全く違う価値観、全く違う時間の流れ。
自分の視野が少しクリアになったように感じた。
価値観とは比較するとこで差異が明確になる。新たな対象を得たことはその後の人生で幸いであった。

帰国後、ルーブル美術館で見たナポレオン3世の黒檀の家具を参考にして、黒い紙に金の墨で書いた作品が日展初入選作品となった。

ことあと2回パリで私の作品は展示されることとなる。そのうち1回はルーブル美術館の地下ギャラリーで展示されたのだった。

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