【自己分析】『他人からの期待』という呪いの装備を背負ってた。


こんにちは。クロちゃんです。


本日は今までの人生の懺悔というか、そういったお話です。

みんなの期待の中で生きてきた人生を、自分のために残しておきたいと思いまして、筆を執っています。




『他人からの期待』に応え続け、自分の首を絞める人生。


先に結論から申し上げると、私は別に周囲からいい意味で期待されていなかったと思います。


ですが、私は今まで『勝手に他人からの期待を作り出し、それを背負う』ことで組織の中でのアイデンティティを確保していました。

人から必要とされてたいとか、寂しいとか、嫌われたくないとか、いわゆる他己承認欲求の中で生きてきたのかなと思います。


例えば、小学校の時に応援団長を務めたのは誰もやりたがらないポジションを自分が務めることでクラスの中で居場所を見つけたかったからだし、

中学校で学級委員長や生徒会長を務めたのも同様の理由で、この時は特に先生から期待されていると思い込み、ヤンチャな生徒が多くいた中でも真面目な優等生を貫き通しました。

周囲と比較して相対的に膨れ上がった思い込みの期待を裏切りたくない思いが強かったです。


ヤンチャな生徒がいたということに関連して、私にはこの時期に訪れる反抗期もありませんでした。なかったというか我慢して表面に出しませんでした。
ヤンチャしたかったと言いたいわけではなく、『親が私のことを真面目な子だと思ってる』と私が勝手に思い込み、それを崩したくなかったから我慢してたのだと思います。


そして、この時にはもう『自分は人前に出たり、責任あるポジションやまとめ役は適任じゃないこと』がわかっていました。
人前に出ることが苦手でそれを克服したい思いがモチベーションとなり、役割を引き受けたり、役割を続ける理由にもなっていましたが、どうしても緊張してしまうし、かなりのストレスがかかっていました。
また、まとめると言っても名ばかりで自分から何かをして環境に影響を与えたことは一度もありませんでした。


他人の顔色を伺って大きな責任を負ったり、人前に出ることがダメだとわかっていたのに、高校生の時のテニス部の活動では部長を前任の方から指名される形で引き受けました。
やりたくありませんでした。
ですが、指名を期待と勘違いし、裏切りたくなくてNOと言うことができませんでした。


今思えばここが自分を見失うきっかけだったのかもしれません。

この時にはすでに『頼まれたら断れない自分』が出来上がっていましたし、それが確固たるものになる瞬間だったと思います。

その結果、後輩に厳しくすることができず、部の雰囲気を緩くしてしまったり、その割に後輩とも仲良くなることができず最悪でした。完全に黒歴史。


大学でもその傾向は変わらず、
・アルバイトの統括を引き受けてシフトの管理をした時には、他のバイトに時間的不都合があった際に無理やり時間を作って自分がシフトに入った。
・ゼミで誰もやりたがらないプロジェクトの幹部を引き受けて、そこで他のメンバーに仕事を振ることができず1人で抱え込んでしまった。
・部活動では前任の方から会計をやってくれと頼まれたが断れず、四六時中とまでは言わずとも多くの時間が会計の業務に割かれてしまった。

ずーっと同じことの繰り返しでした。


人の顔を伺ったり、勝手な妄想によって、自分じゃなく他人の都合が良くなる生き方をしていました。場合によっては他人にも都合が悪かったかも。

特に高校から大学にかけて、私のこの癖のせいで周囲の環境にも自分の精神にも悪影響を与えていました。


こうして迎えた就職活動に際して、自己分析をした時に『完全な自分の意志で能動的に何かをやり遂げた経験』って本当に何もないなってことに気がついたんです。

やってきたことや成し遂げたことは立派でも、それをなぜやったのかを考えると他人からの期待(妄想)に応えたかったからでしかありませんでした。



他人の人生の中で生きてきたのに自分なんてわかるわけがない。


他人から勝手に期待されてると思い込み、顔色を伺って、自分を卑下して他人の都合が良くなるような生き方をしてきた私には自分なんて存在するわけがありません。
だって今までやってきた行動の動機や振る舞いが全て他人由来だから。


『俺はこうしたい!』がないんですよね。


また、人前に出たり大きな責任を負うことが辛く向いていないことがわかっているのに、就活の自己PRで『強みはリーダーシップ!責任感!真面目!ホスピタリティが高い!』とか言っちゃうんです。

これって確かに今までの経験で発揮してきたことですけど、人の顔色を伺うことで培ったものなので自分じゃないんですよね。

この強みを発揮しても辛いだけって言い方が正しいかな。

でも、『それ以外の強みってなんだ…?今までそれが取り柄だったじゃないか。』とアイデンティティの喪失をしているような感覚にも陥ることもあって、もうほんとに就活きちい。


じゃあ本当の自分ってなんなんだろう。。。。。
ヒントはどこに潜んでるかわかりません。記憶にない過去の片隅のどこかにあるのか、今の趣味を紐解いていけば見つかるのか。
これからの人生ってそれを探し求める旅みたいなものなのかなと思っています。


『他人の人生を生きていたこと』を知ることができて良かった。


ここまで懺悔を繰り返してきましたが、まだ人生二十数年目で『他人の人生を生きてきたこと』に気づくことができて本当に良かったと思っています。

残りの人生の全てで他人に依存した生き方をすることや、自分の意思を持たない生き方を続けていけば、必ずどこかで綻びが出てくると思うんです。

だからこそ、社会人までのモラトリアム期間である学生のうちに気づくことができて良かった。

本当の自分探しの旅なんていいますけど、1年旅に出るとかそんなんで見つかったら苦労しません。それって人生のミッションだと思うからです。

なのでこれから『自分自身の直感や感覚によって下した判断をもう少し論理的に紐解いていく』ことで自分ってやつを見つけていくことができればいいかなと思っています。就職までには見つかりそうにありませんが。マジでどうしよう。






黒船襲来

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