誰かに贈りたくなる言葉#5 信じたい、信じてもらいたい人へ
手紙を書くということは、自分の気持ちを誰かへ贈るということでもあります。それは、家族や恋人、はたまた自分宛てかもしれません。
ここでは、手紙を書くきっかけになるような「誰かに贈りたくなる言葉」をご紹介します。
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ここにきてネタが尽きたわけではないのですが、僕が母からもらった言葉です。
一気に大学受験時代にさかのぼります。
普通の学生生活を送った僕は、疑うことなく大学受験戦争に突入します。将来の目標とか、やりたいことがあったわけではないのですが、きっと得意だったこともあり受験勉強に邁進しました。ちょっとラスト1か月でノイローゼとかなったりしながらも。。。
おかげさまでどうにかこうにかお目当ての大学に合格しました。自分的にはまあまあ努力したぜとおもいつつ、結果も伴ったので、ちょっと誇らしげに大学近くの電話ボックス(もはや死語!?)から実家へ連絡を入れます。
「お母ちゃん、 俺受かったわ(ドヤ!)」
「ん?あたりまえやん。」ガチャ。。。
え、ええ、えええっ!?!?
混乱、いや錯乱する僕。通話時間およそ5秒。
「おめでとう!よく頑張ったね。凄いね」なんて賞賛を期待した僕の心は無残にも打ち砕かれました。
確かに普段からほとんど褒めることのない母。実は笑ったり喜んだりした姿を見たこともほとんどない。いつもムスッとしている(別に不機嫌なわけではないですが)姿が子供の目にも焼き付いています。たまには母に褒められたいといういたいけなコドモゴコロと褒められるならここしかないと、僕は一発必中の念だったわけです。
喜喜半分、悶悶半分、心が所在なく浮遊しながら家路につく僕。
家に帰ってからも悶々は続きます。
でも子供ながらにプライドってあるんですよね。”褒められたい欲”を親に見せるなんて自分が許さない。
そんなことを考えながらもついに晩御飯時、席に着いた僕は思わず声をもらしました。
「お母はん、今日電話したら、あたりまえやんって言ったやん。あれどういうこと?」
ちょっと怒り交じりの僕の声。
そして飛び出した冒頭の言葉。
「あたりまえやん。お前の目を見ていればわかるよ。お前が受からなくて、誰が受かるの?」
僕号泣(笑)。
自分の子供だからこそ、その実力を推し量り、その本人の日々向き合う姿勢を”本人の目”で測っていたからこそ出てきたであろう「当たり前」という言葉(と勝手に推察)。
紋切り型の賞賛よりもどれほど有難いことかなんて今でも感じるわけです。
ちなみに後日談ですが、母は上記発言を全く覚えていないそうです(笑)。
この経験と言葉は、僕が誰かと向き合うにおいて今でも大切にしていることです。
今は大人になって経験も積み、会社でも採用面接なんてさせてもらう立場にもなりましたが、いつも見るのは履歴書よりも本人の”目”。面接中、相手の目をガン見しすぎているかもしれません。
履歴書にはなんでもうまいこと書けたとしても、その人の目こそが本質を語ってくれる。その人の本気・信念・覚悟のようなもの。
そんな目を信じてみると案外うまくいくもんだったりします。
誰かを信じたい方へ、相手の目をのぞいてみてはいかがですか?
誰かに信じてもらいたい方へ、自分の目は今どんな目をしていますか?
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