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人生曲線 フィンランドの人・社会福祉・介護 聖書を基として見る 4

『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。』
聖書 伝道者の書3章1節

人生曲線

先に3人のフィンランド人の女性の生き方を例に挙げてみた。今回は「人生曲線」について書くので、この3人の人生についての解説はまた次回にいたします。

フィンランドの社会福祉の観点から人の人生を誕生から死まで、虹のような形の曲線で表現している。誕生から幼児期、学童~青年期、成人、高齢期そして死と、その期間の一般的な環境、教育の必要そして保護・補助などの必要を考慮している。イギリスで言う「ゆりかごから墓場まで」と同じである。
 以下はフィンランド福祉での、幼年、青年、成人、高齢者についての見方である。

 特に生まれて数年は日本でも「三つ子の魂百まで」と言うように、フィンランドでもこの時の人間形成が一番重要であると考えられており、その子が受け継いだ遺伝的なもの、住む環境を周囲が認識し、そして影響を与える活動が大切であると考えている。脳や神経系の発達には様々な事を体験することが欠かせないため、赤ちゃんのための様々な催し物を地方自治体や教会が提供する。ムスカリと呼ばれる赤ちゃんのための音楽教室は一般の音楽教室や教会で定期的に行われており、いつもお母さんと赤ちゃんでいっぱいである。しかし、お母さんや赤ちゃんにストレスになるようには、何事も起こらない。

 ある研究に、「人間は学ぶことをやめたら、生きることをやめることである」とあった。人は毎日新しい知識、知恵が生きるために必要であり、「自分はもうたくさん知ったし、日常の生活を送るのに何も支障もないから、何も学ばなくていい」と決めてしまったら、生きることの半分を自分で放棄してしまったようなことになり得ないだろうか。

 フィンランドでは早期から「学ぶ」ことが習慣となるように親も周囲も導く。フィンランドでの学びと言うのは体験を通して、自分で考えていくプロセスだ。周囲は子供に思い切って何かをするように働きかけ、もしやってみて失敗しても責められず、赦され、励まされ、新しいチャンスが与えられ、成功したら周囲と共に喜ぶ事を通して、子供は「自分はこれでいいのだ、価値があるのだ」と言う『存在の保証』を形成することができる。何かをしてそれを成功させたことによって「あなたは価値がある」、失敗したら「あなたはダメな子ね。価値がない」と思わせるのではなく、「存在」していること自体が価値があると考える。それは青年期の自信へと繋がっていく。子供の自立心を育てるのには親は出すぎてもならない。子供の見ている目標と親の見ているそれは違うし、挑戦する子供に危険のリスクを教え親は手をあまり出さない中で子どもは成長していく。

人間には第二次反抗期という期間が与えられていて、今まで保護してきた子供が精神的にもう自分達には頼らなくなり、友人たちと夜遅くまでどこかに行ってしまう事で、親と子どもの間に壁ができたように感じ精神的に非常に打撃を受ける。子どもの中ではそれまでの生まれてから学童期で培った経験が、自分の体と心でもう一度新しくされる必要が出てくる。親の一部のようで何事にも保護を必要としていた子どもだが、反抗期に入ることで親とこれ以上共依存関係にならないように関係を修復する期間なのだ。本人にとっても親にとっても痛みを感じる数年となるが、この痛みを子どもも親も受け入れなければ若者が一人の成熟した大人へとなることができない。

成人後はまず独立した生活の基盤を作ることから始まる。自分の人生を管理し、特定の異性と継続的な関係を持ち子どもを産み育てる。最近のフィンランドでは「結婚」という契約への価値が薄れてきており、小学生の親たちを見ても結婚していた親の半数は離婚しているという状態である。

高齢期になると現在のフィンランドでは65歳以上の90%以上が一人暮らしである。子どもは成人と同時に家を出て、夫婦二人の生活を続けてきたが、どちらかが先に亡くなり一人残されそのまま生活している人々が最終的に多くなる。どうしても女性の方が長く生きるため一人残されることが多い。リタイヤ後は年金をもらいつつ、フィンランドではこの様な言い方はしないが前期高齢者のうちは趣味や孫育てに協力し次世代へ協力できる時でもある。

 次回からは例に挙げた若い女性、壮年の女性、高齢女性のストーリー以外にも一人一人の人生は一人一人違ってくる。人生のどの季節を生きているか、その時期に予測される問題の必要に応えるフィンランドの福祉の寛容さの謎に迫っていこう。


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