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ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア 第4話

【第1話はコチラから】

「夏休みに映画を見に行っただろ。憶えてる?」
 ああ、と曖昧に答えたが、木村は構うことなく続ける。
「あれも海を見に行く話だったろう、それを思い出さないか」
 そうして映画のあらすじを語り始める。

 木村はその映画を以前に見ていて、既にお気に入りだった。
 それが夏休みに、小さな映画館で改めて上映することを聞きつけた。
 まるで慣れていない木村の誘い文句を今でも覚えている。
『一緒に見に行きたい人間は限られていて、本当は彼女とかと見に行きたいけどまだいないから、まずは君と見に行くことにしたよ』。
 電話の向こうからでも伝わる緊張を好ましく思いながら、そりゃ残念だったな、と返したように思う。
 二人で映画を見た帰り道、木村は珍しく饒舌で、映画のあれこれを話していた。
 まるで今のように。

 そして言ったのだ、いつかこの映画のような小説を書きたい、と。

 木村は延々とあらすじを語る。
 その傍らで、頷いたり相槌を打ったりするだけでやり過ごすことができた。
 話が終わりに近づき、同時に、ゆっくりと続いた坂道に終わりが見える。
 登りきり、拓けた視界には大きく海が広がっていた。

 この場所だ、と木村がつぶやく。
 それから暫く海を見入ったのだった。

「君はまだ死ねないよ」
 木村の台詞は唐突すぎて入ってこない。
 言葉を失い、木村を見る。
「君が死ぬのはまだ先だ。今がどんなに惨めだろうとね」
 海をみつめたまま、木村の表情に苦み走ったものを垣間見た気がした。
 延々あらすじを話しておいて、今度は沈黙が支配する。
 破る気力もなく、黙って海を眺めることにした。

 すべてを清算したかった。
 事業を立ち上げて家庭を顧みず、妻は他の男に気を許し、そのまま家を出ていった。
 挙句に事業は失敗し、争っていた親権も譲らざるを得ない。
 再婚した妻の浮気相手には十分に保証された将来があった。
 これ以上失うものもなく、生命保険は損失を補填してくれる。
 死ぬことに清々しさを覚えていた。

「天国では皆、海の話をするんだろ」
 何を言い出すかと思えば、またあの映画の話だった。
「やっぱり一度は海を見とかないとな」
 なぜ木村は、死による清算を嗅ぎつけたのだろう。
 そして嗅ぎ付け得たとしても、止める義理など微塵もないはずだ。

 それを、何故。

 海は静かで、柔らかな微風だけが抜けていく。
 穏やかな昼下がり。
 奇妙な再会と死への願望を除けば、完璧な調和があるように思えた。

「腹減ったな。何か飯でも食おうぜ」
 平凡な調子で木村が言う。
 よくわからないが、どうでもよさがここでも顔を出す。
 まあいい。別に死ぬことはいつでもできる。
 それに腹も減った。
「そうだな」
「よし、じゃあ戻ろう」
 こうして来た道を、二人してまた引き返す。

(続く)
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