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【中編小説】 マジックアワー vol.3

 さて、授業も終わり、わたしと文月は駅前にある写真屋さんに向かう。写真のプリントの他に、奥の方にはスタジオが完備された写真館もあるお店。マダム、やっぱりこういう写真館で撮影した方がよかったんじゃないのかな?
 そんなことを思いながらも、ともかく撮影をしたわけだから出力してみようと、わたしは写真の注文機の前に座る。USBメモリを差し込んで、写真を表示させる。
「おおお! すごいよく撮れてるじゃん。やるなあ、ヒーコ。絶対、マダム喜ぶよ」
 ふふん、とわたしは鼻をかく。大きな画面で見るとやっぱりいいな。さすがフルサイズのミラーレスカメラだ。隅々までよく撮れている。
 A3サイズの用紙をセレクトしたあと、自動補正を外してから、群れる蝶の写真、蝶のアップの写真、そしてマダムのポートレート、そしてオオミズアオとマダムの写真を注文する。
 10分くらいで、写真は出来上がる。
「高階さま、お待たせいたしました」
 写真屋のお姉さんがレジカウンターからわたしを呼ぶ。
「こちらの写真でよろしいですか? わあ、素敵な写真。この夕焼けに浮かぶ蝶々のシルエット。この写真、あなたが撮ったの?」
 ちょっと、語尾砕けすぎ、と思ってわたしはひるんでしまったけれど、
「そうなんです。この子が撮ったんです。綺麗でしょ」
 と文月が割り込む。
「絶対、賞とかに応募しなよ。あと、個展、個展もいいよ。額とかも買ってく?」
「ああ、それは大丈夫です」
 わたしは慌てて手を振ってそれをさえぎる。そそくさとお会計を済ます。
「雨が降っているので、ビニール袋に入れますね」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございました」
 お姉さんの声に押されて、わたしたちは写真屋さんを出る。すれ違いに着物を着た小さな女の子と、ドレスアップしたお父さんお母さんとすれ違う。
「なんか、イマドキは七五三は、夏になる前に撮影しちゃうんだって」
「へえ、なんで?」
「秋に撮影すると、夏に真っ黒に日焼けしちゃって、あんまり着物が似合わなくなっちゃうかららしいよ」
「詳しいじゃん、文月」
「わたしの七五三の写真、今見てもびっくりするくらい焼けてんだよね。ちくしょう。あの頃から日焼け止めとかしてたら、肌、真っ白だったのに! そういやヒーコは白いよね。うらやまし」
「ははは。わたし、全然、日焼けとかしなかったな。小・中、わたし、あんまり外で遊ばなかったから。でも、これからはしっかり日焼け対策しないとダメだなあ。カメラ持ち出すようになってから、強い日差しの下だろうと、気にせず何時間も撮影しちゃうもんな」
「そうそう。わたしが日傘してるのに、ヒーコ、帽子まで投げ出しそうなほどがっついているもんね」

 マダムのお屋敷に辿り着いた頃には、だいぶ雨足も強くなっていた。今日はお邪魔しないで、写真だけ手渡そうと考えていた。
 坂の上に古い洋館が見えてくる。雨の中にたたずむ洋館は、言い方は悪いけれど、ちょっと怖い。
「あれ、珍しい」
 わたしたちは顔を見合わせる。
 いつもは開け放しになっている鉄柵の門が閉まっていた。雨の勢いとあいまって、なんだか拒絶されたような気分になる。
「帰ろっか」
 うん、と頷いてわたしたちは家路に着く。なんだか寂しい気持ちを抱えて、とぼとぼとわたしたちは歩く。
「写真、見せたかったね」
「そだね。また月曜日、学校帰りに寄ろう。今度はカメラも持ってくる。今日は雨降りで持ってこなかったから」
 うん、と文月がうなずく。その時は、なぜだかカメラを持っていないから入れなかったのだと、思っていた。文月もそれを了解していたみたいだ。
 少し寂しい帰り道だった。

 日曜日も一日、雨。梅雨入りだ。この季節、カメラの取り扱いはとても慎重になる。カメラ本体は防塵防滴の配慮をされているけれど、レンズはそうでないものもあるし、濡れたまま放置するとカビが生えてしまう。小さいものなら写真の写りには影響しないけれど、カビは生きているので、いずれ根を張り広がってゆく。間違っても押入れにしまいこんではダメ。そんなことをすると、たちまちカビはレンズの表面をおおってしまう。それに、もしレンズやカメラ本体を手放そうとしても、買い取ってもらえなくなってしまう。わたしはカメラやレンズを手放すつもりは1ミリもないけれど、カビの生えたレンズで写真を撮るなんて、なんかイヤ。だからわたしは、防湿ケースに乾燥剤をたっぷり入れて保管している。適切な湿度に保ってくれる電動の防湿庫もあるけれど、それは高いし、わたしはカメラとレンズ2本しか持っていないから、防湿ケースで十分。湿度計もしっかりついているから、それをチェックして、湿度60パーセントを越えるwetの位置に針が傾くようだったら、乾燥剤を新しいものに買い換える。

 月曜日も雨模様。わたしはリュックを背負って学校にゆく。写真が折れないように大きなフォルダケースにしまい(これもお兄ちゃんに借りたものだ)カメラはカメララップ(厚手の生地の風呂敷みたいなもの)に包んで持ってゆく。リュックにレインカバーを被せる。
 雨の日の学校はユウウツだ。クラス内のテンションが妙にあがる。男子も女子も、どこかそわそわしている。わたしは見つからないように小さくなって、文月とおしゃべりをする。それでも、人の気持ちなどおかまいなしに訪問者はやってくる。
「あ、高階。文月さん、ちょっと借りていい?」
「どうぞどうぞ」
「ちょっと、ヒーコ」
 文月は、実はすごくモテる。いつもわたしと一緒にいてくれるけれど、本当は彼氏がいたっておかしくない。わたしが、カメラが恋人なんだって言うと、ヒーコはわたしの恋人でしょ、と言う。そう言いながら、本当は文月に好きな人がいるのを知っている。いっつもその先輩を目で追っているのを知っている。
 文月が瞬く間に帰ってくる。
「ちょっと、ヒーコ、ひどいよ。わたしをたやすく手放さないで」
「ごめんごめん。でも、結構イケメンくんじゃないですか」
「そんなの関係ない」
 むすっとした顔をする文月。わたしはとりなすように
「きっと彼、素敵な傘を持ってきたよ」
 とささやく。
「何それ」
 文月がわたしの瞳をのぞきこむ。
「今日みたいな雨の日は、」
 わたしは思わせぶりに外を見る。
「アイアイ傘ができるじゃない」
 文月は不思議そうな顔をした後で、少し上目遣いになり、
「それ確かめてみる」
 おそらく今フってきたばかりの彼のところへ向かう。ふたことみこと言葉を交わして、すぐにこちらへ戻ってくる。
「傘、何のことって感じだったよ」
「そうか。内側が青空の傘とかだったら、結構萌えるのにね」
「わたしは普通に大きな傘でいいけれど。ビニール傘なんて論外だよ」
「ビニールはないね」
「ないでしょう」
 わたしたちは、こんな風に男子の品定めをしてしまう。きっと、わたしたちも好き勝手言われているだろう。でも、やっぱりちょっとおしゃれな男子が好きなんだよね。たとえば、内輪ネタではない、素敵な写真をフィルグラにアップしている男子はいないのだろうか。

 フィルグラの相互フォローの中に、同じ学区内に住んでいる男子らしき人物がいる。彼の写真の中に近くの公園のモニュメントが写っていてそれで分かった。彼は、いつもおしゃれな写真をフィルグラにアップしている。多くは彼の家のインテリアなんだけれど、きっと家族がおしゃれなんだな。美術品、工芸品、絵画。その多くが現代アーティストの作品みたいで、まだまだ知名度は低いけれど、きっとこれから高くなるやつなんだ、とにらんでいる。
 写真の技術はスマートフォンの小さな画面でははっきりとは分からないけれど、とびきり上手というわけではないと思う。でも、その作品の見せ方がとてもうまい。こんな作品に囲まれていたら、自然と背筋が伸びるような気がする。マダムがヨーロッパアンティークの生活様式なら、彼はシンプルでモダンな生活を送っていると想像する。北欧の素敵な暮らし方、みたいな感じ。

 雨は、なくならないタピオカミルクティーみたいにぼんぼんと降っている。ベランダの手すりに打ちつけては、大きく跳ね返っている。
 黒板には、先生が規則正しく英文を書きつけている。中間テストの結果も出た今、午後の授業は少し気が抜けて、とろとろと眠くなる。ぽわんぽわんとはずむような雨の音が、リズミカルなまま少しずつ遠くなってゆく。その時、ばあっと目の前に大きな蛾が現れて、
「うわっ」
 思わず声をあげた。
「高階! おまえ、何やってるんだ!」
「わ、あの、すみません……」
 エミリーの仲間たちが指をさして笑っている。エミリーは珍しく、わたしのことを一瞥しただけだ。きっと呆れているんだ。はあ、やっちまったなあ。つい眠ってしまった。ほんの一瞬だったとは思うのだけれど。しかし飛びかかってきたオオミズアオ、やけにリアルだったなあ。

 放課後、わたしと文月はマダムのお屋敷へと向かう。校門を抜ける時に、文月が、ほら、と指さす。文月に告白したイケメンくんはビニール傘をかぶっている。そういうとこだぞ。自分が楽しいだけじゃなくて、期待しちゃうわたしたちを楽しませてくれてもいいんだぞ。
 文月とわたしは、それぞれお気に入りの傘をさして歩く。雨のユウウツ色を少しでも明るくしたい。

 坂を登るとお屋敷の屋根が見えてくる。今日もお屋敷の屋根は、雨に打たれて何だか怖いような淋しいような雰囲気を纏っている。
 すると、坂の途中の路上に車が何台も止まっている。珍しいなあ、と思いながら歩いていると、それは、お屋敷まで続いていた。門は開け放しになっていたので、わたしたちはおそるおそる玄関まで入る。呼び鈴を押そうとしたところで、内側からドアが開いた。
「こんにちは」
 この間のメイドさんだ。マダムは、と言いかけたところで、話しかけられた。
「あなた、もしかしてお義母さまの写真を持ってきてくださったの」
 おかあさま、と言われて、あ、この人、メイドさんじゃなくて娘さんなんだ、と気づく。下手なこと言わないでよかったなあとほっとする。
「はい。この間のポートレート写真を持ってきました」
「ちょうどよかった。中に入って」
 うながされるままにわたしたちはお屋敷の中に入る。
「ごめんなさい。今、とてもバタバタしているの。広いから、こちらの部屋に入ってください」
 そこは映画でしか見たことのないような、ながーいテーブルがある部屋。燭台が何台もあり、それぞれに火を灯す前のキャンドルが立っている。本当に外国のよう。
「ここに広げてくれるかしら」
 わたしは、そのダイニングテーブルの上に4枚の写真を並べる。
 マダムの娘さんは、蝶の写真には目もくれず、ポートレートの写真を手に取る。
「ああ、あなた、本当に素晴らしい」
 そう言うと、ひとつため息をついてから
「よかったら腰掛けてちょうだい」
 ダイニングの椅子に座るようにうながす。わたしたちは、黙って腰掛ける。扉の向こうでは、人がひっきりなしに行き交う音がしている。
「実は、あなたたちの言うマダム、茨木かな子は、土曜日の晩に亡くなりました」
 えっ。
「以前から心臓を病んでいたのですが、土曜日の午前中に発作が起きて、あれよというまに逝ってしまった。天に召されたの」
 わたしたちは、何も言葉が出てこない。
「これから、通夜が行われます。明日は教会で葬儀のミサが執り行われます。
 急なことで、わたしも気が動転しています。それで、あなたがたに、もしかして失礼なことをお願いするのかもしれない。でも、義母はこうなることを分かっていたのだろうと思います。ですからお願いします。この写真を葬儀の時に飾ってもよいかしら」
 わたしは急なことでびっくりして、そして目から涙が勝手にあふれ出してきた。
「あの、はい。もちろんです。この写真はマダムに差し上げるつもりでしたし。あ、データもあるので、それもお渡しします」
 わたしは、慌ててデータの入ったUSBメモリも渡す。
「ありがとう。葬儀屋さんに頼むから、データがあるのは助かるわ。あなたがたも急なことでびっくりしたでしょう」
 そう言って、わたしと文月にそれぞれハンカチを渡してくれる。文月も泣いていた。
「通夜式は、神父さんが来てくださるの。教会の信徒の方も来てくださってお手伝いいただいています。義母は、もう棺に入れられているのね。だから、もしよかったら、会って花を手向けてはくれないかしら」
 わたしたちは、呆然とした心持ちで、屋敷の中を歩いていた。ずいぶん長い廊下を歩いた。その突き当たりの広間に棺は安置されていた。
「棺の蓋を開けてくださるかしら」
 近くにいた喪服を着た人たちが素早く棺の蓋を開けてくれる。
「お義母さま。あなたのお友達が会いに来てくれましたよ。ほら、こんなに素敵な写真を撮ってくださった。
 さあ、この花を手向けてください」
 わたしたちは、ぼろぼろと涙をこぼしながら、マダムの顔を見つめる。相変わらず凛とした表情で、美しかった。でもマダムは完全に眠っていた。絶対にわたしたちに見せないものを見せている。
わたしたちは、それぞれ白い薔薇を一輪、顔のそばにうずめた。
「どうもありがとう。肖像写真については、あらためてご連絡します。義母からちゃんと言付けされていますので。近いうちに遊びにいらして」
 わたしたちはとめどなく流れる涙をハンカチでぬぐいながらも、マダムの顔から目が離せないでいた。どのくらいとどまっていたかは分からない。人の出入りが激しくなってきたので、わたしたちはその雰囲気に押されるようにお屋敷をあとにする。
 とぼとぼと帰宅するわたしたち。いつものところで文月と別れたと思うけれど、ちっとも記憶にない。
 自分の部屋に戻っても、わたしは泣いていた。
 涙を拭う。ふと、ハンカチに赤い染みがついているのに気づく。握っていた手をほどくと、指先に小さな血の玉が膨れる。薔薇の棘に引っ掛けたのだろうか。口に含んで止血する。苦味が広がる。
 血はすぐに止まったのに、指先は脈を打つようにじんじんとしている。
 なんとなく熱っぽくなったわたしは、ご飯も食べられずに早々に眠りに就く。
 マダムの青白い顔が浮かびあがり、夜中に何度も目を覚ました。指先の熱はいつまでたってもやまなかった。


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