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【小説】オールトの雲 vol.2

作:石川葉

 ヨナ:ジョニー

「ばかばっかの戦場に」

 バチン! わたしの後頭部がいきなり叩かれる。
「いったあ、……」
「バカはどっちよ、ヨナ。あんた、なんてことしてくれるのよ」
「だからさあ、悪かったっていってるじゃない、ゆるしてよ」
 振り向いたわたしの前で腕組みをして立っているのは、バンドのボーカル兼ギターのあさみ。リーダーでもある。
「せっかくつくったこの軽音部も、あんたのせいで廃部だよ」
「いや、まだわかんないよ。わたし、なんとかするからさ」
「ほんと、ばっかじゃないの。学校さぼっておーちゃんの告白に付き合うって。そんなの休みの日にでもやればいいでしょ。だいたい、あんたの内申にだって響くでしょ!」
 あさみは、結構勉強ができる子で、わたしとカナンちゃんのちょっと下くらいの成績。そりゃまあ、中三の大事な時期に大人げないことしたなあ、と思うけれどさ、学校に恋を止めることなどできないのだ。
「あんたのことは、どうでもいいけど。文化祭で、あたしたち演奏できなくなるかもしれない。何らかの罰が必要でしょう、とかチャメがいいやがってさ」
「そこは、ひたすらあやまってなんとかするからさ、ね、機嫌直して、練習しよう」
「ふん、あんた、なんとかしなさいよね。で、あんただけ参加しないってのもなしだかんね。あんたよりうまいベースなんていないんだから、そこんとこ、ちゃんと自覚しなさいよね」
「あら、ありがとう」
 わたしは、ぼーん、とベースを鳴らす。
 軽音部はボーカルギターのあさみとドラムスのユカ、ベースのわたしのスリーピース。文化祭で三曲披露する予定なのだ。わたしが選曲を任されている。

 この学校は、運動部もなかなかの成績を残すけれど、文化部の活動も盛んだ。それで、文化祭は文化部の活動の集大成みたいなイベントになっている。ちなみに運動会の他に部対抗の競技会もあって、わたしはバスケ部の助っ人に駆り出されたことがある。あさみはバレー部と陸上部の助っ人になってたっけ。ユカは運動苦手だけど、わたしとあさみ、結構できるタイプなんだよね。

 で、文化祭は美術部、書道部、華道部、茶道部、それぞれの作品も展示するけれど、ライブパフォーマンスも行われる。広い講堂のステージでそういう文化部のプログラムが午前中からびっしりと入っている。中でも吹奏楽部はかなり有名だ。高等部は甲子園の県代表のブラスバンドとして呼ばれるくらい。そんな立派な部活動の公演の大トリにわたしたち軽音部の演奏がプログラムされている。
 高等部、と言ったけれど、この学校はエスカレーター式でそのまま高等部に入学できる。わたしたちは、高等部の文化祭に毎年足を運ぶわけで、そのクオリティの高さにやられている。軽音部なんてもうメジャーデビューしちゃうんじゃないのっていうバンドもある。そんなパフォーマンスを見せつけられているから、わたしたち中学生も高校生に憧れて頑張るわけ。いやあ、ほんと、ウチの高等部かっこいいんだよ!

「一曲目でつかみたいからブルーハーツのリンダリンダ。映画のリンダリンダリンダみたいにしてね。二曲目はその流れでベボベにしたいけど、どうだろう」
「二曲目はリーガルリリー。三曲しかないから自分にあってるのがいい」
「じゃあ、リリーのリッケンバッカーで。ラストはオリジナル。あさみ、曲はもう出来ているの?」
「まだだよ。夏休み中につくる」
「フジファブリックの『若者のすべて』並の名曲をお待ちしております」
「で、夏休みの合宿なんだけれどさ、ユカんち、大丈夫?」
「え〜、あたしんち? まあ、いいと思うけどお」
 ユカの家は、ドラムセット置けるくらいの豪邸なわけで、あさみとわたしは、そこでのお泊まりをひそかに楽しみにしている。
 そうそう、この中等部に軽音部ができたのはユカの家から立派なドラムセットが学校に献品されたというのも大きな理由。ま、わたしとあさみが目をつけてユカを引きずり込んだのだけれど。
「じゃあ、まず、今日はリッケンバッカーを練習しよう」

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 うちの中学の文化祭は夏休み明けに、わりとすぐにやってくる。それが終わったら、受験勉強一直線。エスカレーター式に上がる子が多い中、わたしやあさみやカナンちゃんは別の学校を志望している。系列は同じなんだけれど、少し偏差値が高い。そして校舎が東京にある。通学に電車だけで1時間以上かかるけれど、成績上位者は基本的に東京校を受験することになっている。エスカレーターで進級するならいいけれど、受験をするからには内申点も重要になってくる。
「まあ、でもなんとかなるかなあ」
 どこか楽観的な気分でいるのは、基本、成績至上主義なところのある学校だから。それと聖書の勉強や礼拝のあるミッション系の中学で、わたし、教会に通っているから慣れっこだし、先生ともうまくやっている。あんまり細かいことは言われないし、自由で居心地がいいんだけれど。でも……。
「……チャメと話をつけなきゃいけないのかあ」
 チャメっていうのは、三年の学年主任。自由な校風の中で一番気難しい先生。いや、悪い先生ではないけれど、ちょっと厳しい雰囲気を持っている国語教師。ただ、見た目は温和でチャールズ皇太子に似ている。眼鏡かけてるからチャメ。

 コンコン。
「失礼しまーす」
 職員室に入る。先生たちとなかよしなわたしは、普段はそんなに緊張はしないんだけれど、今日はちょっと違う。
「香田先生、よろしいですか?」
「ああ、佐伯ヨナ。なんだ」
「あの、軽音部のことなんですけど」
「なんだ、反省してやめるか」
「……」
「冗談だよ。遠田あさみと佐伯ヨナが、どれだけ懸命に動いたかは知っている。でもな、今回の行動は軽率すぎる。もう少しで警察に連絡するところだった」
 カナンちゃんの恋の吹青事件は、あやうく大事件になるところだった。やっぱり黙って行ったのは間違いだった。辛うじて、お昼にお母さんにLINEを入れておいたので、学校の方はうまく巻けたんだけど、どうやら保護者の誰かがわたしたちが電車に乗るのを見たらしいんだよね。だからって、それで学校に通報する? お母さんはうまくごまかしてくれたみたいなんだけれど、結局次の日、すべてを白状しなくちゃならなくなった。
 カナンちゃんは、でも、あんまりダメージうけてないんだよね。どっちかというと、わたしがそそのかしたんじゃないかって流れになっている。なんだそれ、って思うけれど、カナンちゃんておっとりしてるから、どうもその行動と一致しないみたいなんだよね(そうそう、あさみがカナンちゃんをおーちゃんと呼ぶのも、おっとりしてるから。最初は、おっちゃん、だったけれど、イントネーション次第でなにわのおっちゃんみたいになるから、おーちゃんに落ち着いた)。
 その点、わたしは、男子とよくつるんでいるからなあ。印象悪いんだよなあ。
「で、わたし、何かすればいいですか。反省文とか、もう何枚でも書きますよ」
「俺はさ、おまえのそういうなめたとこが嫌いなんだよ。少しくらい勉強できるからっていい気になるなよ」
 わたしだって、あんたにおまえ呼ばわりされる理由がわからないさ。
「でも、反省文じゃつまらないから、何か考えとく。あ、廃部にもしない。佐伯カナンと佐伯ヨナにだけ、何らかのペナルティを与えることにする」
 そして、そのペナルティってやつは、まあまあ最悪なことだった。

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 今日は終業式。いよいよ中学最後の夏休みを迎える。
 でもわたしたちには、ペナルティが与えられるわけで。
「佐伯カナンと佐伯ヨナには、夏休み中に50冊の名作を読み、その読書感想文を提出してもらう。四〇〇字詰め原稿用紙、一枚ずつでいい。ま、一日1、2冊読めば間に合うだろ。お勉強のできるおまえらには楽勝だ。俺って、甘いなあ」
 チャメが眼鏡の奥で嬉しそうに笑う。わたしは、おののいた表情をつくる。カナンちゃんも、まあまあ、驚いている。

 帰り道、背中のベースがいつもより少し重い。
「はあ、大変なことになったねえ」
「ふん。チャメの考えそうなことだよ。でもあいつはバカだ。名作ってのはだいたい短編小説に多いんだ。それに、とっておきの裏技がある」
「へえ」
「これからツタヤにゆくよ」
 チャメよ、名作はその分、映像化されやすいんだよ。
 で、わたしたちは借りられるだけの旧作をレンタルした。図書館にある本と一致するタイトルを借りることにした。内容はおおむね合っていればそれでよし。あらすじと照らし合わせれば大きく外すことはないだろう。これで、半分はできたようなものだ。
「ヨナちゃん、賢いねえ」
「これは、ヴェロニカマーズで知ったんだけれどね」
 わたしたち家族は、アメリカのテレビドラマをネットで観ることが多い(それで、わたしたちはお父さんのことをダッドと呼ぶ。お母さんのことは、当然マミーと呼ぶつもりでいたけれど、ミイラみたいで嫌よ、と拒否されたので普通にお母さん、と呼んでいる)。ヴェロニカマーズはちょっと古いタイトルだけれど、おもしろい。マーズが宿題に対して、この手を使ったのをわたしは覚えていた。でもこんなに量はおおくなかったと思うけれど。
「わたしは、本読むの好きだから、50冊はまあいけるかな、と思ってたけれど、映画っていいね。ヨナちゃんと一緒に観られるし」
「カウチポテト出来るし」
 とはいえ受験勉強もしなくちゃならない。そのうえバンドの合宿もあるわけで。
「何が名作だよ。名作って誰基準だよ。村上春樹がノーベル賞とったら、ノルウェイの森に耽溺しちゃうよ」
「わたし読んだよ。なんていうか、村上春樹さんは、エッチな感じだよね」
「すごいエロい。でも、ブンガクってそういうもんだよ」
「聖書の雅歌もそうだもんね」
 雅歌書は、ほんとびっくりする。教会においてある、版の古いほうがより刺激的な気がする。

 バッグいっぱいにレンタルDVDを詰め込んでツタヤを出ると、
「よお、ヨナ」
 背中のベース越しに声を掛けられた。振り向くと、そこにいたのはクラスメイトの及川だ。カナンちゃんが、あ、と声を出し一歩退く。
「デートの約束忘れてんぞ」
「あれ、そうだっけ?」
 とぼけたけれど、覚えてる。スイセイ事件の日、わたしと彼は礼拝堂の掃除当番だった。
 ひとりで掃除をすることになった及川に、ひたすら謝っていると
「じゃあ、デートしてよ」
 なんて言う。わたしにとって、それはちょっと意外なことだった。及川の好きな人は誰の目にも明らかで、それは隣のクラスの水村かの。てっきりつきあっていると思っていた。そのくらいふたりはなかよしだ。
「かのちゃんに刺されるのはイヤだよ」
「ヨナって頭いいのにバカなのな。かのには彼氏いるって」
 へえ、と思って、そのことを聞いてみるのもいいかもと考え、デートを了承した。でも、そのあとスイセイ事件が尾をひいて、あんまり浮ついたことができない雰囲気になった。それで約束をずるずると先延ばしにしていた。
「悪いけど、夏休み、とっても忙しい」
 及川はわたしをじっと見つめる。
「だから、これからデートしよう」
「あ、あ、私、帰るね。じゃあね、ヨナちゃん」
 カナンちゃんが露骨に気をきかす。
「おーちゃん、かわいくなったよな」
 去ってゆくカナンちゃんを見送りながら及川がつぶやく。
「はあ? これからデートしようとしているのに他の女の子のこと褒めるわけ?」
「オレ、この間、ヨナとおーちゃんを間違った」
「へえ。でも当たり前じゃん。双子だもの」
「違うんだよ。明らかに。でもおーちゃんがおーちゃんらしくかわいくなったんだよ。その雰囲気がヨナに似ている」
「なんだかとっても複雑だけれど嬉しいよ。カナンちゃん、すっごくかわいいからね」
 わたしは及川と一緒に帰り道をぶらぶらと歩く。かのちゃんのことを聞きたかったけれど、聞かなかった。
「で、なんで夏休み忙しいの?」
「チャメからペナルティをくらったのと、バンドの合宿」
「そっか。がんばれよ」
「ありがとう」
「オレさあ、ほんとにヨナのこと好きになっちゃったからさ、またデートしてよ」
「手を繋いだりしないけど」
「いいよ。手を繋がない」
 及川? わたしは及川の横顔を見上げる。彼の目はずっと遠くを見ている。と、急にこっちを向いて、わたしの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「おい!」
 それもなしだ、と言う前に及川は走り出している。
「じゃあな、ヨナ! バンド、がんばれよ!」
 及川は、わたしに何か話したいことがあるんじゃないかな、と思った。そしてそれはやっぱりかのちゃんのことなのだろうと思っている。

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「今日は何を観ようか。3本くらい決めてしまおう。そうだな、」
 わたしはDVDのジャケットをシャッフルする。
「エーミールと探偵たち。スタンド・バイ・ミー。レ・ミゼラブル」
「素敵だね」
 わたしたちは、夏休みの最初の一週間で20本の映画を観て、山月記を読み、芥川龍之介作品を読んだ。青空文庫を駆使する。カナンちゃんはカート・ヴォネガットが名作に入るのか悩んでいる。
「SFの名作だから、入れちゃおうっと」
 わたしたちはIQ高めのできる人間じゃないから、コツコツ勉強しないといけない。宿題は早々に終わらせる。ふたりとも志望校は一緒だから、受験対策の勉強を補いあう。
「ヨナちゃん、教会の中高生キャンプにはいかないの?」
「パス。わたしバンドの合宿があるからね」
「そうなんだ。わたし、行ってくる。なんか、高原でやるみたいなんだよね。天体望遠鏡持っていってもいいかなあ」
「カナンちゃん、星バカだもんね」
「ははは。そう、わたし星バカなんだよねえ」
 あれからスイセイ君のことは、ちっとも話題にのぼらない。カナンちゃんは、そういうところある。なんかそういうとこ、ずるいなあって思ってる。わたし、あれから気になってスイセイのこと毎日追いかけているんだよね。でも、わたしたちが行ったあの競技会以来、彼の記事はアップされてこない。twitterもやってないみたいだし、tiktokとかインスタとかやるタイプに見えないし。

 あの日、スイセイ君は決勝で六位に入賞していた。すごいねえ、と言ったカナンちゃんの関心が、すでにそこにないことにわたしは少し淋しくなった。そんな簡単に興味を失うことって出来る? わたしもただの双子の片割れで、おあいそで一緒にいるの?

 ま、そんなことないか。
 こんな風にすぐ切り替えられるわたしも、さっぱりしているのかも。
 ともかくわたしたちは、べったりくっついて過ごした夏休み前半から、それぞれ自分の夢中に向かい合う夏休み後半へと突入する。

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「ユカ、テンポが合わない」
「あー、ごめんごめん」
 明らかにあさみはイライラしている。ユカのテンポが遅れたのも、それは少しはあるのだけれど、本当の理由は違う。あさみが作ると豪語したオリジナルの楽曲がまだ1ミリもできていないからだ。わたしは、きっとなんとかなると思っているけれど、あさみは相当焦っている。彼女は作れない自分にもイライラしているけれど、作った後、それをうまく演奏できないだろうわたしたちにもイライラしているのだ。わたしたちに時間を作るためにイライラしている。先回りしすぎてなんだか、とってもかわいそう。なんでそんなことが分かるのかって? 彼女は完璧主義者だからだ。それをいつでも他人にまで求めるタイプだ。バンドのことに限らず、クラスの決め事や家庭でのこと、なんだかあさみはいつもイライラしている。
「あら、熱が入っているわねえ」
 ユカのママがお茶菓子を防音室まで持ってきてくれる。わたしはあわててそれを受け取る。
「あら、ありがと。うふふ。がんばってね」
 ユカママ、ナイスタイミング。
「さ、休憩にしよう」
 ふう、とあからさまにほっとしたためいきをつくユカ。それを睨みつけるあさみ。まあ、いつものことだけれど、もう少しなかよくしようよ。
「フィナンシェと紅茶なんて、おしゃれ〜」
「甘いの太るじゃん」
 ユカの顔が引きつる。
「ユカのママってさすがだね。バンドのことよく考えてくれてる」
 ユカが不思議そうに顔を向ける。
「だって、この紅茶、ハチミツが添えられてる。のどにいいからだよ」
 あさみはむっつりしたまま、フィナンシェを食べている。文句言いながらも一番食べるのはあさみ。で、指までなめる。
「ちょっとお、あさみ、その癖直したほうがいいよ。あさみのリッケンバッカーはプリンのふたじゃないんでしょ」
「プリンのふた?」
「大事にしなってことだよ」
 ユカがティッシュを差し出す。
「あ、ごめん」
 あさみはバツが悪そう。きっといつもそうしちゃうんだ。でも、そういう癖ってなかなか直らないよねえ。
 気を取り直して、練習再開。そこから先は黙々と演奏を続けた。だいぶさまになってきたんじゃないかな。

 その晩はユカんちにお泊まり。豪華なディナーを期待していたんだけれど、それはわたしたちの予想をはるかに超えて豪勢だった。正直、わたし、何を食べたのかわかんないや。ユカはフォークとナイフを上手に使って行儀よく食べ進めてゆく。つまりコース料理が出てきたんだよね。中学生のお泊まり会にそんなことする? あさみとわたしは超ぎこちない食事になった。いやあ、おいしいんだけどさ。おいしいんだけど、超緊張する!
 ユカはナフキンでさっと口元をぬぐってわたしたちの様子をチラ見する。そして、うっすら笑う。うーおぼえてろよー。あさみはユカにそんな態度をとられていることすら気づいていない。プライドめちゃ高いから冷静さを装うので手一杯だ。
 カチャカチャと静かに食器のふれあう音。
「で、どうだい。ユカのドラムさばきは?」
 唐突にユカのパパがあさみに声をかける。あさみは慌ててしまってナイフを皿に落とす。ガシャン、ととてつもない音が響く。ユカはひひ、と笑う。おいおい、声出ちゃってるよ。
「あ、はい。ごめんなさい。ユカさん、のドラムはとても気持ちよいリズムです」
「そうか、そうか。そうだろうね。なかなかしっかりしたドラムセットだからね。学校に寄贈したものと一緒だよ。そしてユカにはそういう才能があると思っているんだ。僕はジャズが好きでね。レコードをかけようか」
 そういうと立ち上がり、アナログレコードをセットする。
「ジョン・コルトレーン。とりわけこのアルバムのドラムの音が好みなんだ。ラシッド・アリというドラマーなんだけれどね」
 鈴の音のような音からドラムが始まる。そしていきなりサックスの音。なんかそわそわしちゃう音楽。緊張に拍車がかかる。
「君たちはどんな音楽をやっているんだい?」
「あ、あの、ロック……です」
「ロックンロール! いいね、青春じゃないか。僕も学生の頃はオアシスを聴いていたりしたけれど、だんだんジャズの魅力に取り憑かれてしまってね。そもそもの入り口はノラ・ジョーンズだったんだけど、もちろん知っているよね? ボーカル曲もいいのだけれど、バックの演奏に耳がいってね。ロックのがなり立てる音も興奮するけれど、ジャズにはそれとは違う、静かな興奮といえばいいのかな、そういうものがあるんだよ。ロック好きだった僕はまだまだ子どもだったなあ。それでね、東京の青山のブルーノートに行った時にね」
「パパ、その話長くなる? わたしたち練習があるんだけれど」
「ああ、ごめんごめん。大事な時間だよな。失礼。でもデザートは食べていってくれよ。とっておきなんだ」
 そうして運ばれてきたのは何かの果物。
「イチジクのコンポートさ。召し上がれ」
 わたしは、ゆっくりそれを口に運ぶ。ああ、スパイスが効いてて、大人の味。それなのにわたしたちにもおいしい。
「なんのスパイスだろ」
「わかるかい? このスパイスが肝なんだよ。アニス、クローブ、シナモンなんだけれどね。白ワインで漬けたこのコンポートが僕はお気に入りなんだ」
 あさみがわたしの足を蹴る。こりゃよっぽどフラストレーションたまってるなあ。

 食事の後、わたしたちは防音室に戻り、リンダリンダとリッケンバッカーの練習をする。一応、形にはなったかな。あとはオリジナルが出来上がるのを待つばかり。
 その晩、ユカはさっさと自分の部屋のベッドで眠ってしまって、わたしたちは客間に案内される。ちょー落ち着かない。こうなったらともかく早く眠るに限る。
 寝よ寝よ、と思って羽毛布団にくるまって、きつく目を閉じていると、あさみが話しかけてくる。
「ヨナ、あたしオリジナル作れないかも」
「またまた。あさみらしくないぞ」
「ヨナつくってよ」
「やだね」
「ケチ」
「わたし、あさみがなめられたままでいるの見てたくないの。グナイ」

 朝、起きるとすでにあさみの姿はない。まだしんとしているお屋敷に、丸い透明な玉がぽんぽん転がっている気配を感じる。それは音の気配だ。廊下に無音の玉が弾き出されている。彼女はきっと防音室だ。
 防音室の中では、あさみがギターをかき鳴らしている。タブ譜を取り、ふう、と天井を仰ぐ。こちらに気づいて手をあげる。わたしも防音室の中に入る。
「できたよ」
 わたしはその譜面を見て頭の中で奏でてみる。
「お、かっこいいじゃん! あーあれっぽい。きのこ帝国の『海と花束』!」
「影響、受けてる」
「すっごいおとなな感じの曲じゃん!」
「なめられてたまるかよ」
 あさみとわたしはグータッチをする。
「で、歌詞はヨナに任す」
「はあ? それもあさみの仕事でしょ」
「いや、わたしもヨナがなめられたままでいるのは気に食わない。もちろん誰が作詞作曲とか言わないけれど」
「オーケー。中二病をなめるなよ」

 安請け合いをしたはいいけれど、わたしに作詞なんてできるんだろうか。いや、子どもだからってなめるなよ。

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 夏休みが終わる。
 始業式の前に職員室のチャメのところへゆき、読書感想文を提出する。
「佐伯カナン、佐伯ヨナ。確かに受け取った。採点はしないが、ちゃんと読ませてもらう。おまえたちが通ってきた物語をわたしもちゃんと通り抜けよう」
「よろしく、先生」

「ジョニーは戦場へ行った」を読んで   佐伯ヨナ

 ジョニーは戦争で砲弾に当たり、両手と両足、目、鼻、口、それらすべてを失います。それでもベッドに横たわり、生きている。意識はあり、現状を嘆き、過去を思い出すことができる。
 この小説を読みながら感じていたのは、こんな目になどあいたくない、誰かがこんな体になるのは悲しいし、許せない。どうして戦争などするの? という問いでした。
 でも、戦争がなくても体が不自由になることは起こりうること。その時、わたしはどんなことができるんだろう。モールス信号を知らないわたしは、絶望して大好きな神様を絶えず呪ってしまうかもしれない。
 思い出したのは、聖書のヨブ記です。ヨブの回復。ジョニーの絶望。ジョニーを回復させることはできないけれど、介抱する看護婦の指先にはなりたいと願い、考えています。

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 文化祭当日、わたしたち3人はドラムセットのある音楽室の分室で、じっとしていた。リハをする気持ちの余裕がなく、ただ黙っていた。
 ユカが耐えきれず
「飲み物買ってくるー」
 そう言って部屋を出てから、もう2時間は経っている。
「ユカが戻ってきたらリハをしよう」
 わたしの声がけにあさみが黙ってうなずく。ユカの家ほどではないけれど、それなりに防音されているこの部屋は、音を出さなければとても息苦しい。

 わたしたちの出番まであと30分というところでユカが帰ってきた。
 無言でギターを鳴らすあさみ。あわててドラムセットに駆け寄るユカ。わたしもベースを構える。
 3曲を順番に演奏し、誰も口をきかないまま講堂に向かう。

 講堂に近づくごとに大きくなる吹奏楽部の演奏。大きなシンバルが鳴らされ、大歓声に包まれる。
 わたしたちは、文化祭の実行委員会に促され、吹奏楽部の退場したステージに向かう。観客はたくさん残っている。たぶん、吹奏楽部の演奏の余韻に浸って動けないでいるんだ。
 そこにアナウンスが流れる。
「軽音部ステージの準備の間に生徒は各自、椅子を片付けてください」
 わたしたちが舞台のセットをする間に、講堂の片付けをするなんて用意周到。閉会式の準備も兼ねているわけか。おかげで、わたしたちはアンプなどのセッテイングに時間をかけることができる。ユカのドラムセットは自宅のものを業者さんんが運んでくれていた。ハイハットを確かめるユカ。

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 講堂はまだざわついている。そんな中でわたしたちは音合わせをはじめる。そしてそのままアナウンスなし、MCなしでいきなりリンダリンダを演奏する。あさみの、キィは高いのにどこかハスキーなボーカルが、吹奏楽部の残した重厚な音圧をなだめてゆく。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい」

 すうっとあさみの声に引き寄せられる。さあ、ゆくよ。

「リンダリンダ リンダリンダリンダー!」

 曲調が変わり、あさみが叫びだすと、ノリのいい男子たちが一緒に声をあげて盛り上げてくれる!
 びっくりした! なんだこれ!
 ていうか一番跳ね回ってるの、あれ、及川だ! あんたそんなキャラだっけ?

 飛び跳ねる学生たち、わたしたちはその勢いに乗せられたまま、続けてリーガルリリーのリッケンバッカーを演奏する。ところどころで、あさみー、と女子たちの声がかかる。ヨーナーと野太い声が届く。もしかしてわたしたちの演奏はうまくいっているのかもしれない。
 いよいよオリジナルだ。ここではじめて、あさみがMCをする。
「トラペジアのライブへようこそ。次は最後の曲、オリジナルです。曲名はプラネタリウム」
 ユカのステイック、あさみのリッケンバッカーのカッティング。わたしがフロントに出てベースのリフをかき鳴らす。入れ替わるようにあさみがフロントに立ち、歌い出す。

 プラネタリウム 作曲 椎名あさみ
         作詞 佐伯ヨナ
         編曲 トラペジア

 指で伝える
 君のイニシャル

 届くよ
 届けよ

 名前だけを知る君の
 姿を思い描き
 星を繋げる

 流れ星よ 降れ
 箒星よ 導け

 指で伝える
 君のイニシャル

 箒星よ 導け
 青く青く青く 深い インクブルーの空に

 演奏が終わった後の拍手はまばらだった。あー、やっぱこんな感じだよな。
 ふう。
「トラペジアでした」
 わたしたち三人はさっと袖に逃げる。そんなわたしたちの背中にぶわあっと、拍手がディレイして追いかけてきた。
 そして、たちまち
「アンコール! アンコール!」
 男子たちの声。そのあと女子たちの声が覆いかぶさるようにもっと大きな声で。
「アンコール! アンコール!」
 わたしたち三人は、嬉しいというよりも、ほっとしてへへ、と笑う。背中に聞こえる声の大きさに、はっとしてグータッチを交わす。
「アンコール、だって。何かやる?」
 文化祭の実行委員たちに目配せをする。いけいけ、という手振り。彼女たちのあさみを見る瞳の形は完全にハートマークだ。
「みんな分かるやつがよくない?」
「あたしロキノン系で、アイドルとかさっぱりわかんない。相対性理論ではダメ?」
「あー、あさみ、あいみょん弾き語りできんじゃん!」
「あいみょんならきっとみんなわかるよ」
「そうだよ、紅白歌手だし!」
「あんたらできんの?」
「できないから、」
 わたしとユカはうなずきあってあさみを無理やり舞台に送り出す。
(あとでバックに入るから!)
 歓声にかき消されるわたしの声。
 あさみは、わたしたちを睨みつけた後、観念したのかステージの真ん中に立ち、ギターを奏でる。
 ジャーンとギターをかき鳴らし歌うあさみ。

「少し寂しそうな君に
 こんな歌を聴かせよう」

 わあーと歓声があがる。
 あさみ、ちょっと声が震えてる。それでも

「君はロックなんか聴かないと思いながら」

 サビのところで講堂は大合唱。
「ユカ、ゆくよ」
 サビのあと、わたしたちもステージに戻る。
 わたし、笑ってるけど、めっちゃ泣きながら演奏してる!
 カナンちゃんが最前列で手を振ってる。そしてめっちゃ泣いてる!
 あー、そうだ、このバンドの名付け親はカナンちゃんだ。
「バンド名? 三人の女の子なの……? うーん、それなら3つの星がいいのかなあ。あ、星には連星っていうのがあってね。ポラリスとかは3連星なんだけど」
「ポラリスは、そういうバンドあるんだよね」
「そう……。じゃあ、トラペジアは? もっとたくさんの星を指すこともあるけれど」
「トラペジア! ちょっとググってみる!」
 どうやらトラペジアというバンドはないみたい。あさみもユカも即オッケーしてくれた。
「さすが星バカ」
 そんな風に言ったあさみ。あいみょんを弾き終えると、ピックをカナンちゃん目がけて投げつける。おでこにバチン、と当たる。痛ったー、と目をばつ印にした後で、慌ててピックを拾うカナンちゃん。
「トラペジアでした!」
 指でギターの弦をかき鳴らすあさみ。そして最後は三人で締める。大歓声の中、わたしたちは袖に引っ込む。
「やばいやばいやばい」
「あさみ、すごいねー」
 あさみはじっとしたまま動かない。
 背中から声を掛けたユカがあさみの顔を覗き込む。
「あー、あさみ泣いてんじゃん!」
 わたしはよしよしとあさみの頭を撫で、そして三人で肩を組む。
 講堂には閉会式のアナウンスが流れている。

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「ばかばっかの戦場に」

 わたしはチャメから返却された読書感想文に目を通している。一枚いちまいに丁寧にコメントがつけられている。もしかして映画で観たことがバレるんじゃないかな、と不安になったけれど、そんなことはなかった。チャメは正直に自分が読んだことのない本、たとえば『ジョニーは戦場へ行った』には未読なので近く読んでみる、と律儀に書いている。100枚の読書感想文を読むというのはどういう気持ちなんだろう。まあ、学年全体のを読むと考えればそれほど難しいことではないのかもしれないけれど。
 ソファに寝転がりアイスを食べる。文化祭が終わると気候は少し透明になり、生真面目に秋を深めようとする。
 開け放した窓から弾むように入ってくる、いくらか気の早い匂いを、鼻歌しながら吸い込んでいる。

「赤黄色のキンモクセイの香りがして
 たまらなくなって」

 わたしに、胸が騒ぐようなことは起きるのかなあ。
 そう思った瞬間に、アンコールの声が頭の中にこだまする。
「ヨナちゃん、ニヤニヤ笑ってる。いいことあった?」
「あったよ。今もあるよ」
 こぶしをカナンちゃんに差し出す。不思議そうな顔をしながらもカナンちゃんもこぶしを突き出し、グータッチをする。
 トラペジア、ブラボー!

第二話おわり

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次回 第三話 カナン:今日の秘密 公開延期 6月頃を予定中

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<セットリスト>

"ジョニー" リーガルリリー 

"若者のすべて" フジファブリック


"Mars" John Coltrane

"Whatever" Oasis

"Don't Know Why" Norah Jones

"リンダ リンダ" PARANMAUM

"リッケンバッカー" リーガルリリー

"海と花束" きのこ帝国

"君はロックを聴かない" あいみょん

"赤黄色の金木犀" フジファブリック

オールトの雲 第二話 セットリスト


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