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自分史倶楽部・誰もが歴史を持っている~小さな大人時代 前編 不登校から退学、そして...てこパカ自分史④ 

自分史バレンタイン
続き

今回のnoteは、Twitterの自分史倶楽部の企画に参加した時の自分史ツイートの続きからの取り纏めです(*^_^*)

バレンタインにまつわる思い出は、ほろ苦く、恥ずかしい話を投稿しました

たまたま帰省していて、また帰ろうと駅のホームに行くと、そこに

彼は立っていました。

心臓が一瞬飛び出るか⁉と思うほど、ドキン‼

同じ高校に進学していたけれど、話す機会も無かったのですが、退学したことは聞いていたそうで、しっかり者のイメージだったから、驚いた、と言われました。

色々、思い出話もしながら、夢や、やりたい事も聞けたし話せて、一つの節目に感じました。

中学生〜

さて、もう一度、中学生の頃に戻ります。

思春期で情緒も不安定、私はコロコロと考えや行動が変わっていたように思います。

漠然とした不安と、将来の目標がよく分からない時でもありました。

小学生の頃の活発さから、大人の女性になるためにはどうすればいいのか、そんな事を思いながら、いい子ちゃんぶって、なるべく真面目にニコニコおとなしくしようとしました。

でも、本来の自分自身ではありません。がさつでおっちょこちょい、なかなか無理な事で、

結局、やりたい事やっちゃえ!

したもん勝ち!と行動するように。

しかし、また、体調を崩しました。

没頭しすぎるようで、良い睡眠、良い食事、適度な運動、

どれも守れていませんでしたね(>_<)
特に爆食‼️
例えば、メロンパン5個イッキ
おはぎも5個くらいぺろり
しかも、夕食前に…

大事な時期、中3で、スイッチが切れました。

はじめは、何度か頭痛や腹痛で休み、その後は、行く気持ちがしなくなり、数回に渡り不登校でした。

イジメ問題や学校で嫌な事などは
多分無かったですね

稀なケースなのでしょうか?

何となく、面倒くさい、てありませんか?

何だか、これ、アホラシイ、そう感じると、全部ストップ、思考停止でした。

そして、かけがえのない思い出となったはずの部活動の引退試合は

あっけない終わり方をしてしまいました。

練習が出来ていなかった事、自信がなさ過ぎて、やる気が出なかった、

この時のゆうこちゃんの電話のトーンから伝わるがっかりした思い、私のマイナスの感情は、はっきり覚えています。

中✖、中3〇 ^^;

置き薬は、簡単に手に取ることが出来たので、勝手に服用していました。

すると、余計に頭痛が起こるようになっていました。

この時は既に父が自宅敷地内で商売を営んでいたので、よく手伝っていました。

働くと学校の事を考えなくて済むから、気分的に楽だと思っていたので楽しい時間でもありました。


高校休学・退学~

無事進学できて、友達もすぐに出来て、気持ちよく新生活をスタートできました。
でも、周りの子達が自分とはかけ離れて、すごく大人に思えたんです。
気付かないうちに、焦りと不安は募っていきました。


父は、個人事業のネオン看板屋さんでした。将来は、弟と一緒に商売をするんやで、と言うようになりました。
当たり前のように仕事を手伝っていた私は、そういうもんかな、と思うようにしていましたが、心の奥で何かが引っかかっていました。
すると、頭痛のする日が増えました。

仕事の忙しい両親に代わり、1人では行かせられないと心配して、祖母が病院についてきてくれました。
色々検査しましたが、脳に病変は無く、度数が合ってなかったメガネだけは交換するように進められ、後日母と作りに行きました。


実は、日に日に睡眠の質は落ちていました。
夜な夜な見る夢は気持ち悪い物ばかり。
大量の虫に襲われたり、大量の手だけ出てきて捕まれたり。
今でも覚えています。
リアルに感じ、最悪な夢でした。
うつらうつら寝るので、朝が起きられなくなりました。
もう、登校どころじゃ無かったです。
睡眠不足で頭は痛いし、

なんな~ん?!って気分

自分が一番、おかしい、変だ私、って思ってる時に、父は容赦しませんでした。

厳しい父と心優しい母、そのバランスが良かったんでしょうか?
少しずつ、体調も改善、明るい方向へ。










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ご覧いただき、ありがとうございました!!

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