幸せの届け愛 〈第6章〉(最終章)
「繋がる思い」
僕の見ている世界は
過去と今を生きる人々の
願いや希望の光と
恐怖と不安の影が複雑に交わっている
ずっと暗く憂鬱に感じて
関わりたく無かった
好きになれないと思っていた
でも、よく見たら、どの場所も、いつの時代も
本当に神秘的で美しく癒やしと安穏の世界だった
近江の国にて
滋賀県には日本最大の面積と貯水量を持つ琵琶湖がある。
およそ440万年前に形成された古代湖だとか。
誠弥は、電車に揺られながら車窓から見えた琵琶湖や雄大な山々を見ながら、かつて、この空を戦闘機が飛び交い、弾薬が落とされた時代が確かにあった事を考えると、当たり前では無い、今日の平穏なこの瞬間を、とても愛おしく感じた。
一緒にいる女性の魂は、ずっと不安な悲しみで満ちた心で75年近くも彷徨っていたことになる。
どれほど耐えがたい時間だっただろう。
会えるといいな、そう願うばかりだった。
[おい、次の駅ぐらいで降りた方が良さそうだ。]
”ぎんじ”が言った。
「分かった。」
誠弥はとりあえず適当に切符を買って電車に乗り込んだので、乗り越し代金を支払い能登川という駅で降りた。
タクシーに乗り、”ぎんじ”の案内に従って着いた先は、何も無い、だだっ広い田園地帯だった。
”ぎんじ”と見た記憶の風景とは違って、青々と作物が育ち、とても豊かな景色だった。
「お兄ちゃん、こんな田んぼのど真ん中で一人で大丈夫かいな?飲み物も持って無いんちゃうか?帰りは電話してくれたら、また迎えに来るよ。」
そう言うと、運転手は冷えたペットボトルのお茶と名刺を誠弥に手渡した。
「どうも、ありがとうございます。」誠弥は彼から受け取ると、料金を支払い降りた。
降りた場所から、結構歩いた。
そして、20分くらい経った場所で辺りの《気》が動くのが分かった。
[どうやら、いるな。この辺だ。]
”ぎんじ”の声に女性は前のめりになり、
[[シンペイ(信平)?]]と声をかけた。
徐々に、周りの空気が張り詰めると、ゆらゆらと《気》が動いた。
必死で生前の姿になろうとしているのだろうか?
うっすらと姿が現れはじめた。
ようやく見え、
..カアサン、ほんまにカアサン?..
お互いに存在が分かると、二人は、しっかりと抱き合うことが出来た。
..ここじゃ、ぼっけぇ大事にされとる。けど、一目カアサンに会いとうてえ、待っとった。ほんまに会えた。..
信平の魂が言うには、二人は、岡山県の出身だそうだ。
そして、ここから近い集落の人々が自分の墓を建て埋葬してくれたとの事。毎年必ずだれかれお参りしに来てくれるらしい。
そこへ、紗優がやってきた。
『なんで?誠弥が?えっ、ぎんちゃんも!』
「紗優!久しぶりだね。たまたま大阪に仕事の用事で行ってたら、この女性に出会って頼まれたんだ。」
誠弥はここまでの経緯を説明した。
『これって、偶然なのかしら?何だか決まってたような展開ね。
で、ぎんちゃんが、まさかの、まさかの!!』
紗優が不思議がるのも無理ない。
”ぎんじ”は自分の命を奪った悪縁の相手だった。
”さえ”が自身の中に居なければ憎むべきところ。
[知らん、ただ案内する羽目になったんだ。]
不服そうな顔で言う”ぎんじ”に対し、紗優はニコニコしながら、
『すっごいことよね。うん、なんか、かっこいい。私はリストに従って動いてるだけだから、びっくりしちゃった。ねぇ、次はどこに行くの?』
[それも、知らん。とにかく、悪縁になるような記憶を回収するだけだ。
お前は魂の本体を連れて行くんだろ?]
『そう、そうなのよ。って、えっ?』
かの世からも言われたように事が運んでおり、鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった。
息子、信平と無事再会できた母親の二人の魂は、”ぎんじ”と紗優の働きのお陰で、穏やかで優しげな表情になり、手を取り、かの世へと向かおうとした。
ふと、誠弥は、
「せっかくですし、最後に琵琶湖でも見ながら話しませんか?紗優、時間あるのか?」
『う~ん、特に期日の指示は無いわね。だって、もう、何回も回収に失敗したよ~、ってリストみたいだし。』
「よし、行こう。」
誠弥は、名刺を取り出し、電話をかけた。
10分程でタクシーが到着。
「お兄ちゃん、ご利用ありがとう。どこまで?」
「すぐ近くで琵琶湖がキレイに見える場所って、ありますか?」
「あ~、じゃあ、あのベンチへお連れするとしますかいな。」
笑顔でそう言って、誠弥を乗せると、
正しくは、場所狭しと紗優、ぎんじ、親子も乗込みタクシーは走り出した。
そこは、琵琶湖岸沿いにあった。
時々車が走っているが静かで穏やかな場所だ。
「ちょうど良かったねぇ。誰もいないからゆっくりするといいよ。」
タクシーの運転手は、予約が入った、とかで、
「また良かったら電話ちょうだい。」と言い去って行った。
誠弥は、運転手さんから頂いたお茶を飲みながら、しばらく親子で語り合いながら琵琶湖を見つめる二人を見守った。
”ぎんじ”と紗優も、何やら、こそこそ話しているようだ。
誠弥は気分がとても良かった。
まるで海のように波の音が心地よく、太陽の光でキラキラした湖面、広々とした開放感に癒やされた。
やがて、親子は、
「そろそろお願いします。最後にステキな思い出になった。ありがとうござんした。」と礼を言うと、
手を取り合いながら、紗優と共にかの世へと旅立っていった。
”ぎんじ”は、[俺もとりあえず、これ、持って行くな。]
そう言うと黒い霧が現れ、一緒に消えてしまった。
紗優も”ぎんじ”も居なくなり、ぽつんと一人になった誠弥。
自分もベンチに座って琵琶湖を眺めてみた。
何だか、とても清々しく、この光景を忘れないと思うのだった。
時を越え世代を越え
9月に入った。毎日暑い日が続いている。年々、夏が長くなってるんじゃないかと思うほどだ。
仕事は順調で、月花との関係は想像以上に順調で良好。毎日が笑顔で過ごせていた。
これほど、気持ちが穏やかに、ずっと一緒に過ごせる関係が築けたのは、
リョウの存在と、まこと〈実〉が無事に産まれてきてくれたからこそだと思っていた。
また、月花とは、同じ仕事を理解し合い、より良くしていきたいという強い思いで繋がっているから、お互い絶対的な信頼で結ばれていると感じられた。いつも心から熱い気持ちでいっぱいだった。
正直、蓄えが有るわけではなかった。正社員で働くようになって、やっと半年だ。
子どもは、みるみるうちに大きくなるよな、その都度、色々必要なんだよな、と考えていたので、極力、生活は慎ましく心がけようと思い、チャイルドシートや様々なベビー用品類は、ネットやリサイクルショップで探して買い求めたり、必要最低限の予算で揃えた。
有り難いことに、知り合いなどから巡り巡って手に入れるなども出来た。
リョウさんの残した月花名義の通帳は、近いうち、子ども名義の物に変え、将来、まこと〈実〉に話す時に一緒に渡そう、と二人で決めた。
最近、まこと〈実〉は首が据わり、しっかりしてきたので、
そろそろ月花と一緒に佐藤さん宅へ行こうと思った。
連絡してみると、いつでも都合を合わせられるとの事、
こちらの希望をお伝えし伺うことになった。
当日になり、車を走らせ、佐藤さん宅へ。
庭には、趣味で育ててる、と聞いていた、たくさんのプランターがある。
今日も花や木々で賑わっていた。
佐藤さんは、月花ともすぐに打ち解け、娘さんの子ども時代のエピソードで盛り上がり、話が弾んだ。
途中で、僕たちは授乳やおむつを替えしたりと忙しなかったが、
その様子を嬉しそうに見ながら、
「こんなに笑って賑やかなのは、考えたら、初めてかもしれないね。自分が親だった時は、お前に任せっきりで、よく覚えてないよ。悪かったな。」
奥さんの写真に向かって話しながら一緒に過ごす佐藤さんは、とても楽しげに見えた。
「一人暮らしでお困りの事はありませんか?」月花が聞くと、
「困ってる、と言うかね、やっぱり炊事や掃除かな。」
「スッキリ整理整頓されてますよ。」と月花が言うと、
「散らかすニンゲンは居ないからね。でも、窓ガラスやお風呂、トイレも気になっているんだ。」と。
「じゃあ、僕、時々来ますよ。」
「いやいや、そんなつもりで言った訳じゃないんだが、、、」
「気を遣わないで、任せてください。」
誠弥と月花がにっこりすると、
「そうだね、せっかくだからお願いしてもいいかい?」
「はい!」
「心から心へ、ってこんな感じかな?すごく気分が良いんだけど。」
帰り道、月花が言った。
「うん、そうだな。僕さ、この掃除の仕事に出会って、つくづく良かった、って思うよ。
コンビニでバイトしてた時も、仕事してお給料貰ってさ、で、好きな事に使って、働き甲斐がある、いいな、って思ってた。
でも、それ以上に、些細な事で、今日みたいな、ちょっとした困りごとのお手伝いをするだけなのに、とっても喜んで貰えるしさ。
無理に物を売ったりしなくてもいいから気もラクで、コツコツやるだけで喜ばれるしね。
もちろん、どんな仕事も基本は、相手のために、自分も喜べる事を、とか、おんなじだと思うけど。」
「ほんと、それ!この仕事って、やった私も嬉しくなるし、後腐れ無くてやりきった時の感じが、すごぉく好きなの。」
お互いに好きな事などを心ゆくまで話しながら帰り、自宅に着いてからも話しは尽きず、かけがえのない一日となった。
世界は思いで繋っがている
一方、”ぎんじ”と紗優の中の”さえ”は、かつては夫婦だった二人。
初めて、魂の道標の共同作業を終えた日から、お互いが強く思い浮かぶようになっていた。
かの世にて、紗優は
『アーナン、ぎんちゃんに会ったんだけど、何だか、この前現れた影のボスみたいな感じのヤツとよく似たような事が仕事だか何だか言ってやってたのよね。それに、この、腕章みたいなの?つけてたの!!ぎんちゃんだから、銀?』
・・・本当に不思議な事が立て続けに起こりますね
いったい、あの者は誰なのでしょう?・・・とアーナン。
そこへ、突然ムーハスが現れ言った。
……紗優、ご苦労だったね。その事だが、私も想定していなかった。
まさか、これほど、自由に繋がっていたとは。
ぎんじには、こちらの世界で共に活躍してもらいたかったのだが。
この事態も、起こるべくして起こった、必然的事象だったのだろうか?
影の中から現れたという、あの者は、アポスだ。
私自身から生み出され、私であって私とは異質の者。
まったくの異世界を築き、そこで、複雑な最期を遂げた魂に働きかけて貰っていたのだ。
こうした関わり合うような存在では無かったはずなのだが、、、。
”ぎんじ”と誠弥との出会いでかの世もこの世も繋がってしまったのかもしれぬ。……
・・・それは、良くない事なのでしょうか?・・・
……アーナン、私にも分からない。アポスを見守るべきか、再び会うべきか。
自身の細胞を複雑に分裂させ、意図的に意志を持たせ生み出したのは私だ。
それに、ニンゲンを含み、すべての生き物、すなわち、私から生まれ分化した種達は、様々に進化し、さらに別の種族が生まれるなどして、まったく私の意の届かぬ繁栄をしてきた過程を考えれば、何が起きてもおかしくは無い。まだまだ、無限の可能性を秘めている存在達、と言えるのは確かだ。……
紗優は、新しく渡されたリストを手にして、
『ムーハス様が分からないなら、これから、どうなるのかしら?
とにかく、先ずは、今からは、これ、やらないと、ですね。
では、行ってきます。』
言うと、紗優は各指定場所へと向かうのだった。
所変わり、この世の影の世界。
ぎんじは、回収した仮面状の魂の記憶を手にアポスの元に戻っていた。
[なるほど、勝手に引き寄せられるわけだ。]
腕のリングが稲光りと共に示す方向は、この世への道標だった。
・-・-・ご苦労だったね。こちらへ。・-・-・
アポスの声に、一瞬で魂の記憶達は、ぎんじの手元を離れ、無造作に浮遊しあちこちにバラバラに積み上がっていった。
[これらを消さない意味はあるのか?]ぎんじが尋ねると、
・-・-・残念ながら、完全に消すことは出来ない。
消滅、つまり起きた出来事を無かった事にするのは不可能でね。
お前だって、分かっているだろう?
[俺が吸収して持っている魂達の、このやかましい声のことか?]
”ぎんじ”は聞いた。いつも、頭に響いているからだ。
・-・-・苦悩や悲しみの魂の声は、時々ニンゲンに思い出させるために必要でもあるものだ。
ニンゲンは歴代に渡って、同じ失敗を繰り返し迷い悩んだりしながら、知恵を持つようになり、技術も生み出してきた割には、本当に呆れるほど何でも忘れる生き物だ。
自身の存在が、どの生き物とも変わりなく、一つずつの命しか持ち合わせていない、偉いわけでも特別でもない、いかに愚かで儚いものか、思い出させるために、恐怖や不安を解き放つのだが、残念ながら、年々、その効果が薄れてしまってる。
どうやら、忘れる、という働きは、多くの生物より長い寿命を持ったことで痛みを受け入れつつ、記憶をしまい込み、新たに進むための自己防衛反応として作られた機能らしい。
実際に、脳には記録されていて、ふとした瞬間に思い出したりもするニンゲンだって多くいる。・-・-・
・-・-・そうだ、お前は既に魂でもあるから、これらの声は、うるさい、と思いながら平気だろう?
しかし、生きているニンゲンは違う。それらの負の思考や声に悩まされ、支配され、通常の動きが出来なくなる事が起きてしまう。
それに、なぜか、心の受け皿が生まれながらに小さい者ほど、多くその機会を持ってしまうようでね。
厄介な心の病いになる者も多いようだ。
ともかく、ヒトが天寿をまっとうする時に、特に負の記憶は不要となる。
思い残すことがあっては、光の使者は、魂本体をすんなりかの世へ連れて行けないのだ。
そして、かの世へうまく進めないだけでなく、生まれ変わるための道標も見つけられなくなるのだからな。
随分昔は、いったん、かの世へ連れて行き、そこで順番に記憶を消していたのだが、、、。
まぁ、簡単に言えば魂がどんどん渋滞してしまってな。
そこで、かの世を支配していたムーハスは、もう一人の自分を作り、つまり、私を作ったのだ。
そして、影の世界をも生み出し、そこへ私を送った。
長年、そこから真面目に働きかけては、こつこつ作業していたんだよ。
ところが、つい最近、おかしな現象が起きてね。
面白いように、こうして私は、いつでも自由に行き来出来るようになった。
お前にも会えたことだし、今の方が、やりやすい。・-・-・
ぎんじは、うめき声の絶えないこの世を眺めながら、分断しているようで世界は、本当は、いつも繋がっているのでは?と思った。
そして、いつか、あるべき場所へ、本来の姿に戻らなければならないのでは、とも感じた。
それは、ぎんじ自身と紗優のこれからの未来像や誠弥とも深く関わっていくことなのではと感じていた。
天職か天寿か
兄弟愛
「誠弥、今夜はいつものコンビニ3件だが、その前に、仕入れ先の店に行って受け取ってきて貰えるか?明日の配達も間に合わないそうだ。俺は先に出て段取りはしておくよ。」
松本に言われ、誠弥は車で片道1時間の取引先へ向かった。
発注していたのは、床洗浄機に使用するパッド類と他の現場で使うワックスや洗剤。ウエスも頼んであったようだ。
社長の江田は長年同じ取り引き先で購入している。
取り置きや色々融通も利くので親しい相手だが、何かあったに違いない。
店に着くと、スタッフの一人が対応していて、こちらが頼んでいた商品はまとめて用意されていた。
「ご足労願い申し訳ない。ありがとうございます。配送業者と提携せず配達してきてたので、今回はご迷惑をおかけしました。」
「いいえ、大丈夫です。あの、何かあったんですか?」誠弥は聞いた。
すると、
「駐車場から通りに出入りする箇所の鉄板が盗まれまして、何しろ、側溝が広めなんですよ。いやぁ、参りました。車の出入りが出来ないので。」
との事。店の裏側が広い駐車場になっていた。配送業者に頼んでもいるが、運び出しに苦労している様子だった。
確信犯か。重量のある鉄板を運び出すのは困難だ。ある意味、用意周到な犯罪だな。
その時、張り詰めた《気》を感じた誠弥。その方向を見ると、40代くらいの男性と目が合った。その彼はグレーの霧に包まれていた。
体調が悪いのか?どうやら悪霊?
見極めが難しかったが、やや挙動不審な彼が鉄板事件に関わっているのではと推測できた。
これは、警察の仕事だよな、と思ったが、もう一つの視線が気になった。
グレーの霧に紛れて、男性の魂らしき姿があった。
誠弥は、この後仕事が立て込んでいたので、そのまま帰ることにしたかったが、声だけかけてみようと近づいていくと、魂の男の方も近づいてきた。
””私が見えますか?””
誠弥は、軽く手招きして建物の死角へと呼び、
「はい、このまま仕事もあるので帰るつもりなんですが、何かお伝えしたいことがあれば、ひとまず、お聞きしようと思いました。」
””そうですか、ありがとうございます。これもご縁ですね。
尾山巧(たく)、と言います。実は、私は弟でして、兄は孝太(こうた)
です。
数年前から、どうも様子が気になって一緒に暮らして居ました。
今は、こうして傍に居るんですが、まったく気付いて貰えず途方に暮れていたんです。””
「あの、失礼ですが、あなたは、いつ頃お亡くなりに?」
””ちょうど半年前になります。ここで働かせて頂いてましたが、休日の事故で。
両親は早くに亡くなってまして、兄は定職に就かず、あちこちバイトしてるような生活しながら、私と二人暮らしだったんです。
そして事故の後、私の葬儀も終わり落ち着いた頃に社長が声をかけてくださって、兄はここで働くようになりました。
ようやく、慣れてきた様子で、本当なら、会社に感謝してもしきれないのに、どうして、、、。””
弟と名乗った彼は、とても悲しく辛そうだった。
「あの、また必ず来ますから、良かったら、住所教えてくださいますか?」
誠弥の問いに彼が答えたので、メモして別れた。
今度は犯罪関連か?難しそうだな。
さすがに、どうしようかと思案しながら仕事をしていると、
「おい、誠弥。具合でも悪いのか?」
松本が聞いてきた。
「いいえ、すみません。集中します。」
いけない、ぼーっとして怪我でもしたら大変だ。
誠弥は、気を取り直し、ガラス清掃や換気扇洗浄の作業を進めた。
3件目が終わると、もうすでに朝の5時過ぎで明るかった。
松本は、現場から直帰し、仮眠後また夜勤。
誠弥は荷物を会社へ運んでから帰り、同じく仮眠後は午後の出勤で1件だけなので、その仕事が終わったら、さっきの男の所へ行ってみることにした。
本能と理性
ヒトの本能って何だろう?
細胞から由来する遺伝的な反応、つまり、
細胞組織を守る、イコール自分を守ろうとすること、
それは、生きたい、と願うこと、
生きるためには、傷つけられたり攻撃をされたくない、
だから仲良くなりたい、と思うこと、とか、かな?
じゃあ、本能の反対は?
繰り返し学習することで得た知識に基づいて身についた行動を行なう理性のことになるのだろうか?
誠弥は、男の家に着いた。
インターホンを鳴らすと返事があった。弟さんの伝言を預かっていた、と言うと、すっとドアが開いた。
「こんばんは!はじめまして。
いつも仕事ではお世話になっていました。マイチェックの久下といいます。
突然、すみません。昨日、姿をお見かけして、もしかして、お兄さんかと思い、会社の方にお聞きしましたら、そうだったんで思い切って尋ねて来ました。」
「そうでしたか。どんな伝言を聞いてたんですか?」
男が言い、誠弥が話そうとしたら、
「おい、尾山、降りてこい。」と下から声がした。
その声に、明らかに顔が強ばった彼の様子と弟さんの様子に、誠弥はただ事ではないことを悟った。
””久下さん、お帰りになった方がいいと思いますよ。””
下を覗くと、5~6人居るようだ。魂より、うんとたちが悪いな、緊張が走った。
誠弥は一緒に降りていき、
「困りますよ、尾山さん、時間指定で伺ったんですから、キャセンル料、お願いします。」
と誠弥は、わざと大きめの声で言った。
「おい、兄ちゃん、すまないが、約束していたのは、こっちも同じなんだ。
何やさんだ?」
「清掃会社です。ハウスクリーニングの件で伺ってまして。」と言うと、
何人かでこそこそ話しはじめ、
「悪いが、あんたにも来て貰う。」
まずい、と思ったが、すでに遅く、一緒に車に乗せられてしまった。
目隠しでもされるのか、と思ったが、それは無く、
着いた先は、華巻興業不動産(株)と書かれた事務所だった。
なんだ会社か?けど真っ当なのか?雰囲気的に、ちょっと違うような、、、。
「尾山さん、どうして無理なんだ?今日こそは、うん、といって貰わないと。」
年配の強面の男性がいきなり詰め寄ってきた。が、誠弥に気付くと、
「なんだ、この兄ちゃんは?どうした?」
と連れてきた者に尋ねた。
「なんか、掃除屋らしいですが、肝が据わってまして、なんか知ってるんじゃないかと思いまして、ついでに。」
「バカか、思い込みでここへ連れてきたのか!」そう言うと、往復ビンタ。
(お~、とんでもなく短気な人だ。)
誠弥は、申し訳なさそうな尾山と顔を見合わせ、一息つくと、
「あの、お取り込み中、すみません。よく分かりませんが、僕はただの清掃業社の社員です。本当に。」と伝えた。
すると、年配の男性は、
「なるほど、確かに、ただ者ではない気概を感じるね。」
そう言い、尾山に向き直すと
「とにかく、尾山さんが後を継いでくれないと、困るんだ。
ウチの娘は、あんたしか無理、て言い張ってる。」
今度は、尾山の弟さんと顔を見合わせた。
「じゃ、なんで鉄板なんか盗んだんですか?勤務先の会社を困らせて、どういうつもりですか?」
尾山が聞いた。
「それは、元ウチの系列のしょうも無い奴らだろう。何か勘違いしたようだ。そいつらには、よく言っておくから、怒りを収めてくれないか。」
「そういう問題ではなくて。」
話が通じず、尾山の困り果てた様子に、もどかしくなり誠弥は、口を挟んだ。
「その件は、きちんと警察に届けて下さい。それに、もしかして、親が、子どもとはいえ、成人の大人の恋愛に口を出したりしてます?」
「関係ないだろ、家族になるんだ、家同士の問題でもある。まぁ、若い兄ちゃんに分かる話じゃないだろうね。」
少し、カチンとした誠弥は、
「家族の大事な問題、ってことくらい分かります。でも、ギャラリーが色々言ったり動くのは変ですよ。それに実際若造ですが、僕は結婚して子どもだっています。」
と叫んでしまった。
一同、驚いた様子だった。
「当人同士の問題でしょう?好きで好きで仕方なかったとしても、縁が無ければ結ばれませんし、短い関係で終わる事もあるし、また、新しい出会いもあったりしますから。こんなの、変です。」
言い切った。
「お兄さん、幾つだい?」
「18歳ですが、それがなにか?」
すると、「あっはっはは~」男性が大笑いし、
「孫くらいの兄ちゃんに説教されてしまったな。
いやぁ、確かに、わしは、親バカだよ。
だがな、娘の幸せを願ってるだけなんだ。」
一気に場の空気が和んだ気がした。
そこへ、息を切らせて入ってきた女性。
どうやら、娘さんのようだ。
「もう、父さん、やめてよね。なんで、こんな事!」
怒り心頭の様子。
「咲季(さき)ちゃん!」
「孝太さん、本当にごめんなさい。私のせいで。」
聞けば、一人娘さんで、父親は今は不動産業中心だが、前職は反社会的組織と深く関係があった生き方だったそうで、威圧的な雰囲気が抜けきれず、な様子。仕方ない、で片付けるべきか否か。
ところで、尾山と娘の華巻咲季さんは、二人とも37歳、高校の時の同級生だった。
数年前、尾山がバイトしていた店で再会。声をかけたのは咲季の方からだったそうだ。
いずれにせよ、誰から見ても、いい独身同士の大人だ。
周りがどうこう言うなんて、おかしい話なんじゃないか?誠弥は、完全に拍子抜けした。
そして、幾つになっても恋愛っていいもんなんだろうな、と思った。
さてと、帰らねば!
「あの、キャンセル料とか要らないんで、僕、帰ってもいいですか?」
(元々ウソだったので、そもそもキャンセル料なんて発生しない。
ごめんなさい。心の中で謝った。)
と聞いた。
「あ、あ~。そうだったね。すまなかった。
おい、お前、元の場所までお送りしなさい。」
魂姿の弟の巧さんは、真横で、申し訳なさそうにしながら僕に頭を何度も下げた。お互い苦笑いになった。
良かった。一応、めでたし、めでたし。
そのうち、紗優らが巧さんを迎えに来るのかな?
そう思いながら別れた。
誰かを好きになると、相手のことを、たくさん知りたくなる。
自分の事も知ってもらいたいし認めて欲しくなる。
でも、それは強要できない事。
自分の気持ちを優先して本能のまま動きたくなっても、理性ある誠実な態度と言動で関係性を徐々に築きながら維持していく課程が大事だよな、と思う。
まぁ、二人は、まんざらでも無い様子だったし、周りの大人達の利害関係がなければ、悩む必要もないみたいだったな。
誠弥は、うまくいくように願った。
無事、家についた。
「誠君、遅かったね。また、誰かに出会ったとか?」
「う、うん。そうなんだ。でも、今回は、結局、普通の人達の恋愛関連問題だったから、僕は関係なかったよ。」
「どういう状況?意味分かんない。」
「まあ、つまり~」
なんだかんだ話し、子どもとも、バタバタしながらも、和やかに過ごし寝顔にほっとした。
そして、また貴重な一夜を重ねられ幸せな時間だった。
今日も幸せの笑顔を届け愛
すっかり衣替えの季節。熱かった夏は過ぎ、
まあまあ多忙だった10月も終わり、11月になっていた。
今日も、誠弥は仕事も家庭生活も心から楽しんでいた。
紗優、アーナン、星來らは、相変わらず、光の使者として多忙な日々を過ごしていた。
”ぎんじ”は、”さえ”との記憶、つまり自身の記憶は戻らないまま、影の使者として幾度も紗優との共同作業があり、二人で会う時間が増えていたが、なぜか時々不安な気持ちに駆られた。
漠然と”ぎんじ”は感じていた。
ムーハスとアポスの気分にも随分と影響されそうだが、
これからも、このまま天職を続けるのだろうか?
それとも、いつかは消える?
過去は変えられない。
だから、”さえ”と新しい二人の関係を築いていく時間が許されるのなら、『今』、と淡い希望を持ちはじめていた!!
ある朝、誠弥は、目覚めると、また月花に輝く白い霧のような光を見た。
そうか、新しい家族に出会えるんだ。
自信を持って分かった。
目にする世界の一つ一つには、誰かの愛が込められていてる。
世界中の歴史をたどれば、
数えきれない人々の過ごした軌跡と思いが確かに存在し、
今日も誰かや誰かのお陰様だらけの人生の歩みの一日。
だからこそ、尊いこの世界を、今居る場所を、
かつて生きた人々の魂の声を、
出会う人達を、大切な人を、
そして、自分自身を大事に愛して生きていきたい。
生きるとは、愛をたくさん見つけて、
強く信じる心を育てて、
誰かや誰かに届ける旅のよう。
同じく目が覚めた月花を抱き寄せると、
「おはよう、また男の子みたいだよ。」
そう言うと、ピンときた月花。
「ほんと?そうなの?わぁ、私たちって、今までも
よくやってるけど、もーっと、がんばらなきゃね。
うれしいね、まこと〈実〉、お兄ちゃんになるんだって!」
***完***
《主な登場人物》
久下誠弥(くげせいや)
読書好きで一人で過ごす時間を大事にしたいタイプ
大勢の中では疲れやすく、あまり他人と関わりたくないが、
生命エネルギーが見える事から様々な出逢いに巡り会う
ぎんじ 負のエネルギーの化身
およそ800年前から存在している
アポス この世の影の主
紗優 誠弥の幼馴染みで同窓生だった魂から光の使者
久下 月花(るか) 誠弥の妻
佐藤 誠弥の亡き父の元彼女の父
最後に
勇士の霊魂を弔い平穏と平和の祈りを込めて
2023年8月で戦後78年を迎えます。
台湾で長年奉公しながら暮らしていた祖父は、現地で召集され戦地へ赴いたと聞いていました。
今の私があるのは、無事に祖父が帰還したからですが、心には深い悲しみと怒りを抱えたままである事は、強く感じていました。
今年、祖父らの残した約30年ほど前の原稿を改めて手にしました。
達筆で難読な原稿もありますが、あまりにもむごい惨状も記されており、
確固たる決意で、多くの方々の目に留まる事を願い書き残した皆様の思いが伝わりました。
当時の祖父が有志らと冊子にした自主製本は手元に残っていませんが、
お求めになった方や、地域の公民館、記念館等へ寄贈、もしくは販売したはずなので保管されていると思います。
しかし、随分と劣化しているので、記録として改めて転記していこうと思っています。
君がため何かおしまん若桜 散って甲斐ある命なりせば
昭和20年8月14日当上空において米機と交戦し惜しくも大空に散華すその肉片を此処に埋む 縁ありてこの地に死すは前世は当集落の人なりしか 碑を建て永く功を傳えん 香煙昇りて雲となり永く勇魂を慰めん
▷前話
〈第1章〉
サポート大歓迎です!創作活動等に使わせて頂きます。