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麻道日記⑨

 マコトちゃんは、例にも漏れず、
もともと誰の知り合いで、誰経由でつるむ様になったのか分からない。

ナベさんは自分だと言うが、誰もそれを確かめようがない。

人がその人生で何人くらいの人と関わるのか分からないが、憧れる人の数は僅かにみえる。

 俺はそもそもガードが低く、憧れの浮気体質で、相手の性格や動きや容姿も含め、自分に無いものにいちいち反応しては傾倒する。

だから俺がマコトちゃんに初めて会った時に、所作に感じるところがあって、この人とつるむんだろうな、という予感は既にあった。


「2週間あるから逆にいいんだよ。その間に色々考えるのよ。」


これは、バルサ対インテル、CL 1stレグが終わった後に、
「あーこの後すぐに2ndレグがみたい」
と拙速に呟いた俺の発言に対するマコトちゃんの回答だ。


マコトちゃんちで、ハイになって、みんなでサッカーを観ていたときだった。

年齢が2個上なことや、麻を扱うときの手際の良さや、ピポーテの重要性を説くときの説得力なんかが、俺を惹き付ける要因だった。



  逮捕される数年前は、俺はバンドをやりながら、アルバイトを転々としていた。マコトちゃんに知り合ったのもその頃で、家も近いこともあり、直ぐにつるむようになった。

よくよく聞くと、一時新宿の三角ビルでネットのサポートセンターで働いていた時、実はマコトちゃんも、同じフロアで働いていたらしい。世界狭し。
インディペンデントのアパレルブランドの手伝いをしながら、マコトちゃんもアルバイトで生計を立てていた。

あの頃はみんな何かやっていて、みんな苦労していた。

何かをやってないと生きていけない人種なんだと気が付いたのは、だいぶ後になってからだった。

たまたま同じ方南町に住んでて、サッカー好きで、草好きの20代男性独身フリーターなんて、一緒にいたらダメな理由しかない。


 俺が留置場から出てきて最初に連絡をくれたのもマコトちゃんで、電話では何も言わずに車で家に押しかけて、出てきたばっかりの俺を温泉へ連れていってくれたのはいい思い出だ。

                                 * 

 もう一人、バンドメンバーでリーダーのユウジ。いやユウジくん。俺は18歳で、ひとつ上のユウジ君に大学で会って、それからずっと音楽のことを教わった。5~6年経って気が付いたら一緒にバンドを組んでいた。

ユウジ君は忌野清志郎好きの両親から生まれた根っからのロックンローラー。ラモーンズとローリング・ストーンズからのベルベットアンダーグラウンドえんソニック・ユース。ニルバーナ先輩にダイナソーJr、スマパンを経て、ヨラテンゴへ。だーいぶ端折ったけど、ユウジ君は高校からの連れと、そういう文脈を、一切合切まぜこぜにしたガレージバンドを組んでいた。

そのバンドのグルーピーだった俺は、自分でもギターを触りだして、ビースティ・ボーイズやウータンクランといった自分の文脈も入れつつ、バンドに合流するのだった。



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