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さよならモラトリアム 第7話

 結局、あたしはせっかく手に入れたスミレのカウンセリングルームでの仕事を、たった一ヶ月で手放すことにした。年始に起こった柊百合子の一件があって、これ以上スミレに迷惑をかけられないと思ったのだ。あの女は確実に、スミレのことを知っている。
 すぐに辞めることも考えたのだが、あたしは自分に一か月の猶予を与えた。仕事の引き継ぎや再就職の不安があったのはもちろんのこと、柊百合子の言葉が気になって、本当のことを知りたかったのである。
 しかし、それをスミレに切り出すことは出来なかった。当然、柊百合子や香奈子さんの手を借りることも出来ず、仕方なく、あたしは一人ですべてを進めることにした。

 カウンセリングルームでの仕事を続けながら、あたしはDNA鑑定の結果を待っていた。鑑定のために貯金のほとんどを使ってしまったので、スミレのもとを離れて、新しい生活を始めるために、いくらかのお金を集める必要があった。そのため、あたしはスミレが休みをくれた日でも、工場で日雇いのアルバイトをして小銭を稼いだ。
 そんなことが出来たのは、ひとえにこの生活を手放さなくても良い、と信じたかったからである。柊百合子があたしに言ったことは、不安にさせるためのでたらめだと思わなければ、こんな無茶を一か月も続けられなかった。

 DNA鑑定の結果を見て、あたしは愕然とした。スミレはほぼ間違いなく、生物学的に言えばあたしの「姉」だということが分かったのである。柊百合子はこの手の冗談を一番嫌うタイプであった。それを分かっていれば、冗談だと思う隙など、どこにもなかった。

 あたしはスミレに何も言えないまま、仕事を辞めた。スミレは寂しがっていたが、どこまで真実を知っているのか分からなかった。そして、またあたしは仕事も行き場も失って、一人になった。
 結局、幸せは続かなかった。あたしが少しでもどん底から這い上がれると勘違いをすると、それ以上のしっぺ返しを食らうように、更なる不幸が訪れるようだ。

「君、住所の欄に何も書いてないけど、書き忘れ? 困るんだよね。連絡先分からないと」

 そう言われて、あたしは口ごもる。お金がなくて家を借りることが出来ず、インターネットカフェに寝泊まりしています、という真実を話せないまま、面接会場を後にした。
 その日以来、あたしは就職活動を一切辞めてしまった。リクルートスーツは上下で四万円したはずだったが、リサイクルショップで売ったところ、百円にもならなかった。
 四十日ほどの短い間で、あたしの肩書きは「ファミレスでアルバイトをしていた就職浪人」から、「インターネットカフェに寝泊まりする日雇い労働者」になっていた。


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