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さよならモラトリアム 第8話


 就職活動をしていた時間が空いたことで、またあたしは小説を書き始めた。そこで、あたしは悟ってしまった。
 結局、あたしが小説を書くのは、何かしらで有名になりたいという承認欲求を満たすことと、まともな職を手に入れることが出来ていない現実から逃れることが目的であり、それを読んだ他人がどう思うかなど、もはやあたしには関係なかった。
 現に、スミレに愛されている、と思えていたときには、小説など書かなくても生きていられた。そもそも、小さな頃から、本などまともに読んでこなかった人間に、小説など書ける訳がなかった。言ってしまえば、ただの暇つぶしを、もう何年も続けてきたのである。
 スミレと出会ったSNSも、消す気も起きないほど見なくなっていた。そろそろアカウントを削除しておかないと、先日の柊百合子のように、悪意を持って近づいてくる人間がいるかもしれない。そう思って開いてみると、コメントがあるのを見つけた。


 コメントの主は「シュトゥルムフート」という少し難解なハンドルネームを使う人物であった。プロフィールを見ると、五十五歳の男性であった。話が合うのか心配していたが、会社を早期退職して、様々な人との交流をしようと思ってSNSを始めたらしい。
 寂しいのは自分だけではないようだ。工場での日雇いのアルバイトや小説の執筆の合間に、あたしはこの「シュトゥルムフート」とメッセージを交換するようになった。
 その中で、彼についていろいろなことを知った。まず、彼もあたしやスミレと同じ大阪の人だった。あたしは藤島市、スミレは大阪市内に住んでいたが、話によるとシュトゥルムフートは梓山市の朱橋という町に住んでいるそうだ。
 梓山、という響きに、あたしは懐かしさを覚える。梓山はあたしが幼い頃、柊百合子と出て行った父親と三人で暮らしていた街だ。
 顔も本名も声も知らない相手が、自分が幼い頃に過ごした街の名前を文字として見せてくるのは、どこか不思議だった。
 こうしている間に次の一か月が過ぎた。初めのうちこそ、この生活に刺激を感じていたが、慣れてくると心身の疲れを癒せないまま朝が来ることに不安を覚えるようになった。
 思えば、自殺未遂を起こしてスミレに救い出されて、スミレと姉妹だということに気付くまでの一か月は、何と贅沢だったのだろうか。インターネットカフェの冷たい床で目覚めたとき、あたしの目からは涙がこぼれていた。


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