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誰の心にも「ザ・エレクトリカルパレーズ」はある。

(今回の記事は映画の感想を書いておりますが、見る人によって感想は違うと思います。あくまでも一人の感想だと思ってお楽しみください)

 もう1週間以上前の話になってしまうが、年末年始休みに「ザ・エレクトリカルパレーズ」という映画を見た。
 物語の内容を大まかに説明すると、東京NSC(吉本興業の養成所)15期出身のお笑いコンビ「ニューヨーク」が、2年後輩である17期のとあるクラスで発生した「ザ・エレクトリカルパレーズ(少し長いのでこれ以降は「エレパレ」と表記します)」という集団について、様々な立場にいた人たちから話を聞く中で実態を知っていく、という物語である。
 余りネタバレしてしまうと良くないし、人には人の感想があると思うので、今回の記事では私が印象に残ったシーンについて説明する。


 エンディングテーマが流れる中、調査を行った当時の17期生達に、ニューヨークの2人が必ず「あなたにとって『エレパレ』とは何でしたか?」と問う。オリジナルTシャツやテーマソングが作られ、彼ら専属の「喜び組」のようなものが作られた、とも称されるこの集団について、集団の内外にいた17期生達が様々な回答を残した。
 その中でも、特に印象に残っているのは、ある人の「家族」という答えと、別の人の「友達」という答えである。回答だけ見ると実にシンプルだが、これを「どんな立場にいた人が答えたか」が重要である。「家族」と答えたのは、エレパレの基礎を作ったが、ある事件に関わったことで1年間の集大成である卒業公演に出られなくなってしまった方だ。
 一方、「友達」と答えたのは、エレパレとは別のクラスにいたものの、エレパレのメンバーたちと仲が良く、「エレパレのリーダーは彼であった」とまで称された方である。しかし、件のTシャツにもテーマソング(これがこの映画のエンディングテーマになりました)にも彼の名前は無い。
 彼もまた先程の「友達」と答えた方と同じ事件に関わり、卒業公演には出られなくなったが、その直後にエレパレのメンバーとコンビを組み、現在に至るまで活動している。そのため、ニューヨークの2人からは「エレパレを壊して、そのメンバーだった今の相方に近づくために事件を起こしたんじゃないのか?」という疑いをかけられていた。


 友達は自由に選べるが、家族は選べない。友達は自分の都合に合わせて上手く付き合うことが出来るが、家族は自分にとって好都合な時も不都合な時も付き合っていかなければならない。
 しかし、最後に人が帰ってくることが出来るのは家族だけである。その家族を見捨ててしまうのは難しいし、大きな心の負担が伴うだろう。それに比べると友達は自分の人生の責任を取ってくれる訳ではないが、環境の変化とともに付き合い方を変えることも出来る。
 映画の終盤、「友達」と答えた方が「みんなエレパレですよ」と言ったところでテーマソングが流れる。2時間の映画を見た私はこの言葉を「自分は少し離れたところから上手く付き合ってきたつもりだったが、結局は自分も同類だったのかもしれない」と解釈した。それを象徴するかのように、映画は件のエレパレTシャツを着た彼がニューヨークの2人の前に現れ、挨拶をするところで幕を閉じる。
 しかし、彼の口からエレパレの外部でエレパレを敵視していた同期達や、先輩であるニューヨークの名前が出て来て、彼らも含めての「エレパレ」だと称したことが分かる。
 YouTubeのコメント欄に「エレパレは概念」というコメントを残していた人も多かったが、まさに「エレパレ」は誰の心にも存在する、「大人になっていく過程の中で出会う、大切なもの」の象徴ではないだろうか。苦々しさや恥ずかしさなどのネガティブな感情があれども、「エレパレ」というものを通して、それぞれがそれぞれの思いを抱いてお笑い芸人を目指していったのが分かった。

 そして、私が20歳の時に書いた脚本に新しく付けたタイトル「漏電パレヰド。」はこの「エレパレ」に影響されて付けたタイトルです。つづく。


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