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さよならモラトリアム 第5話


 この年の残り一週間を、あたしはスミレとともに過ごした。スミレは大晦日の夕方までカウンセリングを続け、あたしはスミレに代わってカウンセリングの予約の管理を行ったり、依頼人の情報をまとめたりした。
 事務作業を行うのは初めてで、覚えることも多く、あたしは何度も失敗を繰り返したが、そのたびにスミレは丁寧に仕事を教えてくれた。
 そこであたしは、ファミレスのアルバイトを始めて間もない頃の望月桂一のことを思い出した。
 彼はあたしが仕事をミスするたびに、「何で覚えられへんねん。就職浪人は本当に使えんわ」「お前はデブやからトロいねん」「ブスが笑うな。飯が不味くなる」と言った。
 あの頃のあたしは、彼の言葉を「仕事が出来ないあたしに対する愛」だと受け入れていたが、その話をスミレにしたところ、彼女は「それ、普通にパワハラやん」と言った。
 冗談めかして言ったものの、スミレの目が笑っていないことに気付いたとき、あたしの中で、「どうしてあたしはあんな人を好きだったのだろう」という気持ちが溢れてきた。

 それから、あたしは一週間ほど前まで、付き合いたいと思っていたはずの望月桂一のことなど、全く思い出すことなく過ごした。
 大晦日の夜、スミレとあたしは年越し蕎麦とケーキを食べて、この長く苦しい一年の終わりと、あたしの二十三回目の誕生日を祝った。誕生日パーティーの場で、スミレはあたしに、両親を紹介してくれた。

「マリコ、彼女が私の母の椿香奈子。そして彼は藤宮薫(ふじのみやかおる)。私の父よ」

 藤宮薫だけ、苗字が違うことが気になったが、スミレは隠すことなく説明してくれた。スミレによると、彼女の「生物学上の父親」はスミレが幼い頃に亡くなっており、香奈子さんの幼なじみだった薫さんと職場で知り合った縁で、一緒に暮らすことを決めたそうである。
 あくまでも事実婚で、籍は入れていないが、スミレにとっては薫さんこそが本当の父親も同然で、彼の存在があったからこそ、今の自分があるのだという。これらのことを、スミレは嬉しそうに話した。

「もちろん、私は父だけでなく、母も尊敬しているけどね」

 そう言うと、スミレは香奈子さん手作りのケーキを平らげた。柊百合子はケーキを作ってくれたことなどあっただろうか。せいぜい、コンビニやスーパーで買ってきたお菓子を見つけて、「ママに黙ってこんなもの食べちゃいけません」と言われた記憶しかない。
 スミレとの共通点など、小さな頃に父親がいなくなったくらいである。「私なんかはもったいないクズだったから捨ててあげたのよ」と言っていた柊百合子の顔を思い出して、あたしはせっかく手に入れた温かな生活を手放さないようにしよう、と強く誓った。


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