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さよならモラトリアム 第1話

 二十歳の誕生日を迎えてもうすぐ三年になるが、相変わらずあたしは柊家において飲酒を認められていなかった。
 いつのことだったか、たった一缶のチューハイを、何の気無しに冷蔵庫に入れていたところ、母はあたしのことをアルコール依存症だとなじった。
 中身が見えない紙袋に入れて、あまり使われないチルド室に隠しておいたそれを冷蔵庫から取り出すと、ダイニングテーブルに運ぶ。幸いながら、まだ母が起きてくる気配はない。
 あたしは安堵すると、母校指定のジャージのポケットからブラスチックのボトルを出して、蓋を開けた。眠気覚ましのために飲んでいるカフェインのサプリメントである。
 就職活動とファミリーレストランのアルバイトと小説の執筆の両立には、これが欠かせない。しかし、中から白い錠剤を出すと、中身はたった五錠しか入っていなかった。
 仕方なく、戸棚から未開封の風邪薬と鎮痛剤を出す。母の会社の関係で貰えるそうだが、この柊百合子(しゅうゆりこ)という女はアルコールだけでなく、市販薬も少し使っただけで依存症になる、と信じて疑わなかった。未開封の薬はどちらも使用期限を半年近く過ぎている。

「まあええか、どうせ死ぬんやし」
 ここ数日で、立て続けにろくでもない出来事ばかりが続いていたのである。大学時代から換算すれば、今月で就職活動も三年目に突入したが、全くうまく行く気配はなく、大学卒業から九か月経った今も、あたしの肩書は「フリーター」である。
 大学を卒業してからは、母からのお達しで、毎月五万円の生活費を納めることがあたしのノルマになった。
 しかし、平日の朝から夕方に就職活動をしている、門限が午前零時の、容姿に劣る女に出来る仕事は、夕食時から閉店までのファミレスのアルバイトしかなかった。そして昨日、あたしは晴れてそのファミレスのバイトをクビになった。
 扱い上は有難くも「自己都合退職」ということにして頂いたが、事実上は解雇も同然であった。無理もない。あたしはその店の店長である望月桂一に告白し、交際を求めて玉砕した挙句、鞄に入れていた小説を勝手に読まれて「気持ち悪い」と罵られていたのである。
 文学賞に応募するつもりで書いていたが、どうせ、夢のまた夢だろう。もう、人生に後悔などない。覚悟を決めたとき、あたしはこの家に住むもう一人の女と目が合った。ダイニングテーブルに散らばる大量の薬を目ざとく見つけると、母は冷静な口調で言い放った。


「マコちゃん。ママに薬物中毒者を養う余裕はないわ。明日にでも家を出ていきなさい」
 あたしは目の前の景色が歪んでいくのを感じた。確かに、死のうとしたのはあたしが悪い。しかし、いきなり出て行けと言われても、頼れる友達はいない。自分でマンションを借りる当てもない。
 おまけに昨日、アルバイトまでクビになった。いったいこれから、どうやって生きていけば良いのだろうか。皆目見当がつかない。
 現実逃避するように、あたしはインターネットのミニブログを開いた。ハンドルネームの「愛純紫蘭(あすみしらん)」は小説を書くときに使う名前である。ほとんど誰も見ていないが、日頃の愚痴を書き込むにはちょうど良かった。いつものように、短文を投稿する。
「生きるのも苦手だけど、死ぬのにも失敗しちゃった。明日には家を出なければいけない」


 どうせ誰も見ないだろう。恥ずかしくなったら消せば良いだけだ。これからのことは、追々考えよう。そんな風に考えると、あたしは散らかした薬をすべてゴミ箱に捨てて、母がいなくなった台所を出る。その日は皮肉にも、いつもより早く眠りにつくことが出来た。


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