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さよならモラトリアム 終章


 次に目を覚ましたとき、あたしは真っ白なシーツの中にいた。起き上がると、スミレが温かいコーヒーを入れてくれていた。あたしはそれを一口すすって、少しずつ、色々なことを思い出そうとする。
 先程のあたしは自分を捨てた父親を殺して、そのまま同じ場所でもう一度死のうとしたはずだ。あれは一体何だったのか。頭がこんがらがりそうだ。

「今、何月何日の何時何分?」
「十二月二十五日の、朝七時。ここへ来てから、まだ十時間も経ってへんかな」
「ここは、どこ?」
「ロイヤル・パレス・ナニワの四八〇一号室。私の家よ。住所で言うと大阪府大阪市……。中央区と浪速区の間くらいかな」
「あたしは、誰?」
「柊茉莉子。あなた、昨日私に依頼をしてくれたでしょう。まだ何も、始まってへんのよ」

 部屋の暖かさが、あたしを正常に戻していく。ようやく冷静になって、あたしは何が現実で、何が夢かを悟った。
 あたしは自殺に失敗して、家を追い出されて、スミレに助けられた。そこまでが本当で、それ以降に起こったことはすべて、あたしが見ていた夢だったようだ。
 スミレの言う通りである。まだ何も、始まっていないのだ。今なら、あたしはどこへだって行けるような気がした。夢が最悪の展開を迎えたならば、最初から夢で見た通りには行動しなければいいだろう。
 そうなると、スミレには言わなければいけないことがあった。せっかくの機会を手放すのは惜しかったが、うまく行った部分も夢の通りとは限らない。自分で自分の道を切り開くしかないのだ。

「椿さん」
「スミレでええよ。敬語やなくても良いし」
「じゃあ、スミレ。仕事の件やけど、自信もないし止めとくわ。本当にごめんなさい」
 それだけ言うと、あたしはベッドを片付け、コーヒーカップを洗って、スミレの部屋を出る。スミレはわざわざ着替えて、エレベーターまであたしを見送ってくれた。
 大荷物を抱えてロイヤル・パレス・ナニワを出ようとしたあたしに、スミレは最後の言葉を残した。
「この手を離したらあかんと思ったんは、本気やから。何かあったら、いつでも連絡して」

 ありがとう、としか言えないまま、あたしはあの天にそびえるようなタワーマンションを背にして、難波の街に消えていく。
 せっかくのクリスマスの朝だというのに、遠くで大きな雷が鳴ったが、あたしは何故かわくわくしていた。まだ何も、始まっていないのだ。(完)



 小説「さよならモラトリアム」はこれにて完結です。40日間にわたってお読み頂いた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

【おしらせ】
 過去の記事でお話していた、学生時代に書いた脚本を25歳になって書き直した作品「漏電パレヰド。」ですが、2021年3月9日にnoteにアップロード致します。今しばらくお待ち下さいませ。


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