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さよならモラトリアム 第9話

 スミレに会いたい、というあたしの気持ちを予想していたかのように、二か月前にスミレと交換していた連絡先から、メッセージアプリに着信があった。
 スミレからの連絡は、話したいことがあるので、直近で会える時間があれば教えて欲しい、という内容だった。
 スミレとはロイヤル・パレス・ナニワで午後十時に待ち合わせることにした。閉室時間を過ぎたカウンセリングルームに、客として訪れるのには勇気が要ったが、スミレは快くあたしを迎え入れてくれた。スミレの傍らには、香奈子さんと薫さんもいる。


「遅くなってしまってすみません」
「大丈夫よ。それよりマリコさん、大丈夫なの? スミレから、ずっとアルバイトしてるみたいだって、連絡があったけど。あまり女の子が深夜まで働いてると、危ないからね」

 薫さんが、あたしのことを「女の子」として心配してくれたのが嬉しかった。しかし、あたしが夜中まで働いていること以上に、スミレと香奈子さんにとっては心配なことがあったようだ。
 香奈子さんは薫さんを自宅に戻らせると、あたしとスミレをカウンセリングルームに案内した。カウンセリングルームの扉を閉めると、香奈子さんは言った。

「マリコちゃん、『シュトゥルムフート』という男の人とインターネットで交流してるみたいやけど、あの人と付き合うのは止めた方がええわ。まだ、断定はでけへんけど」

 香奈子さんの言葉を聞いたスミレはSNSの投稿が印刷されたコピー用紙と、何枚かの写真をあたしに見せた。SNSの投稿にはところどころ、赤いペンで線が引いてある。スミレは写真と投稿を見せながら、一つずつあたしに説明した。


「まず、生年月日と梓山市朱橋在住って書いてる時点でアウトやね。勤務先は書いてへんけど、業種と職種と早期退職者を募集してた時期を調べたら、一発で検索出来たわ」

 まだ、スミレが何を言っているのかが分からなかった。あたしが何も聞けずにいると、香奈子さんは机の上に置かれた一枚の写真を拾い上げて、あたしに見せた。若い男が、赤ちゃんを抱いている。その男の顔立ちは甘く、どことなくスミレに似ているように思えた。

「あなたのお母さんのこと、どうこう言う訳やないんよ。傷ついてる女の子を身ぐるみはがして放り出すのはどうかと思うけど。彼女にも彼女なりの事情があるんやと思う。私と彼女は同じ男に騙されて、いろんなものを無くした。黒沼天雄が家を出て行ったのは二十五年前やったわ。スミレはまだ二歳やった。あいつ、今はこんなところにおったんやね。自分の娘のことも忘れて、若い女やと思って平気な顔をして近づこうと思ったんかなあ」

 黒沼天雄。あの男はあたしが朱橋を出ていった三歳の時まで、一緒に暮らしていた。二十年前に、柊百合子が「捨ててあげた」と言っていた父が、スミレの父親でもあり、柊百合子を狂わせ、香奈子さんを傷つけていたことを、あたしは知ってしまった。

「まあ、あくまでもシュトゥルムフートが黒沼天雄って決まった訳やないから。今日はゆっくり泊まって行きや」
 やたらに冷静なスミレの様子が怖かったが、あたしはその言葉に甘えるしかなかった。


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