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頭の良い人は不幸になるのか?

コロンビア大学ビジネススクールの博士号過程で研究をされていアダム・マストロイア二がなぜ頭の良い人は不幸になるのか?を学術的に説明されているのでまとめてみます。
アダム・マストロイア二は大学で主に人間がどう社会を認知しているか、また、そこで起こる誤解や勘違いなどを研究しています。

結論:関係がない。

結局のところ、頭の良い人は不幸なのか?と言うと、関係はほんの少しだそうです。IQ150の人間がひきこもりになり、自分の人生がどれだけ不幸なのか不満をずっと叫んでいると言うこともあり得ますし、逆に学術的バックグラウンドが全くなくても、幸福な指数がとても高いということも多いに起こりうるとのことです。
ではなぜなのか?折角取った学歴は幸せにつながらないのはなぜなのか?続けて説明してくれています。

人生においての決断力と論理的に問題を解決することは違う。

学校でのテストが人生の満足度を測ると言ってはそうではありません。IQテストですごく高いスコアを出したとしても、人生でとても愚かな判断を下してしまうことはよくあることだと言う。
だがしかし、知的レベルと幸福レベルが比例すると言うデータはなく、一概には頭のいい人が不幸だとも言えないという。
ただ単に人生において起こりうる問題が、学術的な場面で試される問題と全く違うので知性レベルと幸福レベルは全く違ったものと考えた方がよいそう。
高学歴の人間の方がゲームプレイヤーな傾向が多いが、人生ゲームが上手なのと人生が楽しくなるのとは違い、ゲームでプレイをすることに集中してしまい、人生ゲームでのお金や特典的なものが偽物だということに長い時間気付かないことも多々あるのではないか。と説明されています。

資本主義社会と幸福を追い求める方向性のずれ。

遊びや、ゲーム、パーティー、趣味の釣りなど、心を満たしてくれるものに割く時間は会社でのスプレッドシートづくり、プレゼンテーションづくり、商談などによって少なくなっていってしまいます。もちろん、社長や部長からの指示に従い仕事をこなしていくことはお金を稼ぎ生活していくことにおいて大切なことです。ですが、そういった仕事の効率や内容をやっていくことが自分にとって価値があるのか、趣味のゴルフが価値があることなのか境目が曖昧になってしまうことは多々起こることだと言う。
趣味に時間を注いでしまう事に、おやつをひそひそ食べるような感覚で罪悪感を感じてしまうこともありますが、趣味に時間を注ぐことも、またそれで生きることだということを覚えておかなければなりません。
資本主義的なレンズで自分の人生を見ることはあまりよくなさそうです。。。

まとめ

結局、頭がいい人が不幸になるというデータはなく、ただ単に幸福な指標を上げるのに、学校で学んだ問題解決力は関係が全くないと言うことでした。
みなさまもnote を読んでいる時点で、モチベーションや人生の質を上げようとしようとしている方が多いかと思いますが、一度立ち止まって何が自分を幸せにしているのかを考えると良さそうですね。

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