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千葉雅也「現代思想入門」を読んで

タイトルには似つかわしくない感想かもしれないが、とても勇気づけられる本だった。「フランス現代思想の本」というと高尚で世間離れしたもののような気がしてしまうが、この本ではむしろ世俗性こそを肯定し、「こんな生き方でよいのだろうか」と日々落ち込みがちな読者を元気づけてくれる。

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ひとまずざっくりと内容を振り返りたい。まずは、デリダ、ドゥルーズ、フーコーというフランス現代思想のスーパースターの思想の紹介から始まる。脱構築とはなにか、彼らが何をどのように脱構築したかが最初の3章に渡って説明される。

それから「逸脱」の系譜として、ニーチェ、フロイト、マルクスの思想を取り上げ、そこから、現代思想を読む上での前提となってくる精神分析(主にラカン) の章が続く(現代思想は精神分析批判によって展開されている部分がある)。

この後の展開は独特で「現代思想のつくり方」という章が続く。ここでは現代思想を成り立たせる4つの原則があるという指摘があり、現代思想の組み立て方が図式化されている。読者自身が現代思想を展開していくための、いわば実践のための章である。

そして最後は、主に日本で展開された否定神学批判の流れを押さえた上で、永遠に解けない単一の課題に取り組むという世界観から、複数的な問題にひとつひとつ有限に取り組むことへの価値観の転換を示唆する。結びの爽快感が印象的だが、ここでは引用することはやめ、ぜひ皆さんにも読んでいただきたいなと思う。

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まず読んでいて意外だったのが、現代思想が必ずしも差異や逸脱を手放しに称揚するものではなく 、仮固定的な同一性、秩序を前提としていることが強調されていたことである(あくまで「仮固定」であることが重要ではあるが)。私の浅い知識では、フランス現代思想というと「差異の哲学」という思い込みがあり、旧来の体制、価値観において除外された他者を擁護する思想であるという印象が強かった。しかしこの本を読んでいると「とにかく差異を持ち上げればよい」ということではなく、仮固定的な同一性と差異の行き来によって、よりラディカルに物事を考えることこそが現代思想の真髄なのだということが理解できた。

そして何よりも印象に残ったのが、毎日をただ懸命に生きる人々を肯定する内容だったことである。哲学というと、研究者たちが「存在とはなにか」など、人間の根源的な問題に対して、難しい知識を持ち寄りながら議論をしているようなイメージがある。私自身は、研究に没頭することに一定のあこがれを持ちながらも企業勤めを選んだタイプの人間なので、このように根源的な課題にひたむきに向き合う姿勢を尊敬しているし、それと比較すると自分自身の今の生き方が恥ずかしくなってくる。

私が仕事で日々向き合っている課題と言えば「どうやったら伝わりやすいパワーポイントの資料が作れるか」「サイト内のボタンの色は赤と緑のどっちがいいか」といった小さなものが大多数を占めており、深夜にこうした仕事をしていると、とてつもなく意味がないことに時間を費やしている気がしてくる。

しかし、ここで「意味のある仕事とはなにか」といった課題設定をしてしまうと、永遠に反省する毎日が続いてしまうのだろうな、というのがこの本を読んで気づいたことだ。「世の中には意味のある仕事とない仕事があり、意味のある仕事に時間を使うことがよいことだ」という思い込みを捨てないと、一生手に入らない「意味のある仕事」を巡り、反省する毎日が続いてしまうだろう。この本が投げかけるのは、そのように手に入らない絶対的な何かを追い求める生き方ではなく、日々のひとつひとつの問題に対して即物的に対応し、うまく行かなければ有限に反省をする、という生き方の方がリアリティがないですか?という問いだ。ここに気づいたときには、視界がひらけた感覚があった。

ただ、ここでも脱構築的な思考を手放してはいけないのだろう。意味ある仕事というのは「ない」と断言もできない。みんなが「意味がある仕事とはなにか」を考えることを止め、周囲の人や環境、資源のことを考えることが全くなくなってしまってよい、ということではないのだと思う。

人はやはりできれば自分なりに「意味がある」と思える仕事をしたいし、できれば周りに「良い」影響を与えたいと思ってしまうものだ。それは前提としてある。だけどその「意味がある」「良い」というのは仮固定のものであり、絶対ではないことは覚えておきたい。そして、日々のあらゆる局面で「意味があるか」をジャッジしようとする自分を疑い、意識的に意味の切断を試みてみたい。そうすることで、肩の荷が降り、日々をもっと軽やかに楽しめるようになるのであろう。

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