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すべての動機を自分から。

 誰かにこう見られたいから飾ること、思ってもないこと言ってる人がいてもその場で流すこと。歳を重ねるごとに上記のような社会で生きるための術を使っている。使ってしまっているのかもしれない。それで疲れるのは不毛だから、私は割り切ってことを成し遂げている。自分を救うためにかいている詩や絵。好きなことは趣味で伸ばしながら技術が伴ったときに大きくなればいいな。と願いながら趣味と仕事を両立させているつもりだ。
 ある日、子供が「どうして靴下の色は同じじゃないといけないの」と私に質問した。私は上手く答えられなかった。(心の声:いいじゃないか。靴下の色が違うそういうデザインでしょ。もしかして、違う色の靴下同士を組み合わせたのかな。新しい流行りになるかも。素敵。)心の声が漏れ出しそうで葛藤していたが、結局上手く答えられなくて悔しかった。今ならこう言いたい。
「自分が好きで履いてるならいいやん!すてき!」って。これからの時代は、もっと自由で奇想天外な職業も出てくる。生き方も多様になり、より自立した子供を育てることが求められる時代。自己決定する力を伸ばすことが大切だと日々思う。そのために、私もそうであるが全ての動機を「自分」にすることが大切だと考えた。外発的動機の方が人間の行動を作用するが、私は内発的動機付けを自分でできる人でありたい。一人の大人として、仕事の時もそれ以外も。
追記
最近、人に変わってるね。直したほうがいいよ。と意見をもらった。私はこう答えた。
「私は変わりません。私は私なので」。私は自分にとっての普通は他の人にとっての普通じゃないと知ってる。(心の声:あなたにとっての普通も私にとって普通じゃないから。)
私は、人それぞれの価値観を押し付けるような人になってはいけないとその人の話を反面教師として聞いていた。結局、普通ってないから。自分にとっての正解を自己決定して生きていく。その強さがあればいい!