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「何をどのように吸収する?」

 先日、学校で子どもが「はい。どうぞ」と言って折り紙で作った一輪の花をくれた。紙を細長く丸めて茎を作り、花びらをつけた花。その花は生花ではなかったけれど美しかった。私がその子に「これ何」と問うと照れながら「花だよ」と言って自分の教室に戻った。私はその花を教室に飾り1日を始めたのであるが、最近痛感していることがある。人生の中で、与えられるものや自ら欲して掴みに行くものをどのように吸収するかは自分次第であるってこと。そしてその幸福感度が人生を豊かにするってこと。私にとっての幸せは100円のおにぎりを誰と食べるかで、お金で買えるものではないと思っている。その際、お金以上の小さな幸せを幸せと思えるための状態が必要で保ちながら生きている。先日、花をもらった日は週末であった。私自身、小さな幸せを吸収する力、センサーが弱っていた。その際、その子が花をくれて幸せを感じ、生きる活力が沸いた。私は、幸せを感じる力を自分で保つためには、人生において他者から与えられる幸せも必要なのだと再確認した。またその幸せは、お金ではなく気持ちの込もったプレゼントを誰にもらうか。そして、その幸せを吸収して自分がどう変換していくかが大切だと学んだ。
 先々日、大切な人からケーキをお詫びということで買ってもらった。本当は侘びじゃなくて愛情で、それを侘びと言ってくれるその人を尊敬している。むしろ、こちらが詫びるべきだと思う。そのケーキを食べている時に思った。大切な人に買ってもらったケーキ、何でこんなに美味しいんだろうと。正直、先週の土日の試験から金曜まで走り、翌日に授業参観を控え疲弊していた。しかし、そのケーキを食べただけで不思議と元気が出た。大切な人にもらうものを最大限吸収できる自分でいたい。そしてそれを記憶として覚え、その感情を作品に残し続けたい。
 先日、授業参観の後、大学時代にお世話になった家庭科の教授が経営するカフェのパーティにお邪魔した。大学時代に教授の授業で絵本を描いた。その教授がお芝居をしており、授業内で書いたその絵本が芝居の脚本となった。その後、卒業後も芝居の動画の挿絵を描かせていただいたり、環境祭りにスタッフとして参加させていただいたりと現在にいたる。そのカフェで音楽や芝居、料理に触れながら先人たちにたくさんの話を聞き、異世代間交流をした。先人たちは皆、教授と繋がりのある人々で好きなことを楽しそうに表現していた。その姿は、自ら好きなものを最大限吸収している姿であり、好きなものを通して他者に幸せを与える姿であった。寒空の下、薪割りの音さえも音楽になるこの場所でお芝居と音楽に触れられ幸せ感度が上がった1日だった。
 以上、私にとっての幸せ感度の上がるエピソードを綴り、やはり自ら表現者として幸せを他者に与えつつ、他者から吸収できる存在でありたいと考えました。今読んでくださってる方だけの幸せの形があり、それはその人しか知らない目に見えないものだと思います。私の日々の一部を勝手ながらご紹介させていただきました。最近は、バタバタしているように思うので、地に足をつけて歩くことを意識します。時間も過ごし方次第で感じ方が変わる日々。その変化の切なさを日々感じながら一日一生で歩みもを進めるとします。