I/LOVEにできることはまだあるかい

不用意に乱れない空間が好きで部屋にいる時は大体同じ音や声を聞く癖がある、最近の自動再生機能は優秀で良く聴くアーティストさんと似た傾向のアーティストさんを続けて流してくれて便利。
なのでRADのMVが公開された時も『嗚呼、今年の映画の曲か』と思って聴きつつ『LOVEの愛』か『私のI』かを考えたけど、映画を観て『わたしはダブルミーニングで聴き続けるだろうな』と思った。
帰って来て調べたら歌詞カード的にはLOVEの方らしいけど、あの映画の登場人物達は『これだけは絶対に譲れないI(わたし/ぼく)』を持っていたのでダブルミーニングでも悪くないと思うんだ。

以下『細かなストーリー解説』ではないが未だ観ていない、今後観る予定の方はブラウザバックプリーズ。


めっちゃ気になったこと。

晴れ女にしてくれた神さま、ルール説明しました?

そこが一番気になった。
たぶん『スポンサーの数が凄くて開始数分間は広告ごちゃごちゃ、バーニラバニラ!』とか『監督が地上波全50話の方のエウレカセブン好きかな、私も大好き』とか消えるくらい考えながら観ていた。

都合の良い願いが代償なく叶うことは、ほぼない。
そんなことが許されたら、我々の世界は各々の願望でしっちゃかめっちゃかになる。簡単に説明する為に別の作品の言葉を借りるなら『等価交換』だが、この作品にも応用出来る。欲しいものがあるなら、それ相応のものを差し出さなければならない。

つまり今回の場合『陽菜ちゃんに天気を操る能力を与える =等価交換= 能力を一定値まで使うと神さまのもの(人柱)になる』だったみたいだけど、その能力を使う代償を陽菜ちゃんすら途中まで気付かないし知らない。
なぜか。
最初にルールを教えていないからだ。
絶対に後から代償が必要になると思ってハラハラしつつ観ているのに陽菜ちゃんが余りにも容易く能力を連発するので「巫女さんや人柱の家系や血筋なら慣習として伝わっていないか?」と考え観ていたが、帆高くんへの説明を聞いて「悪い神さまに当たったな」と思ってしまった。

これは、ある種の呪いだ。
そして、ある種の怪異だ。

世界線が違えば忍野メメ辺りに祓われている。

大切な人の病室で晴れを望む陽菜ちゃんに「自分の結界内へおいで?」と社を光で照らし呼びつけ、恐らく『鳥居をくぐると神さまの領域』という概念が存在しない子に祈らせ勝手に契約を完了させ代償を教えることなく能力を押し付け使うだけ使わせて連れ去る、魔法少女勧誘系のキューなべぇーくらいブラック。
その辺りは『人間が訪れず社が荒れ果て神格が衰えたことで説明をする時間や余力が無かった』等も考えられるが、考えたいのでもう一回観たいなという感じ。若しくは小説には書いてあるのだろうか。
(でももし陽菜ちゃんが晴れを望まず別のことを望んだらどうなったのだろう、ずっと晴れを望む子を探して呼んでいるなら呪いと書いてマジナイではなくノロイだな…)


ここまで勢いで書いたので後から大幅な修正をする予定。文章の組立てより鮮度を優先した感想でした。
2019/07/30  急ぎで記入

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