見出し画像

サイボウズの「取締役の社内公募」への反響を考える

スコラ・コンサルト 塩見 康史

サイボウズ株式会社が行なった「取締役の社内公募」が反響を呼んでいる。
特にネットニュースなどで、「新卒1年目も取締役に」などと、ややセンセーショナルな切り取り方で報じられたこともあり、SNSなどでも賛否の意見が飛び交っているようだ。
サイボウズは発信力のある会社で、これまでも、先進的な働き方改革の取り組みや、複業(副業)促進などで、賛否の反応を引き起こす発信を何度も行なってきた。
ところが今回の取締役の社内公募では、サイボウズの発信に対する、これまでの世の中の反響と大きく異なる点がある。それは、これまでの反響は賛否はありながら、おおむね好意的な反応が見られたのに対して、今回は内容に対する否定的な意見が多く聞かれることだ。これはどういうことなのであろうか。その背景を考えてみたい。

その前に、まず、このことを考察する上での私の立場に言及しておく必要があるだろう。
私が所属しているスコラ・コンサルトは、サイボウズチームワーク総研と、チームワークをテーマとした共同研究を行なっていて、私はサイボウズメンバーとの定期的なミーティングの場などを通して、サイボウズという会社の考え方、仕事の仕方等に、直接触れる機会がある。
つまり、「近めの第三者」という位置から、サイボウズの生態をリアルに、かつ冷静に観察することができると思っている。
そういう立場を活かして、今度のできごとについて考えてみたい。

■取締役の社内公募は、”おおまじめ”な取り組み

まず、当たり前だが、サイボウズは取締役の社内公募に”おおまじめ”に取り組んでいる
今回のことに限らないが、世間の耳目を集める取り組みは、「話題づくりだ」とか「奇をてらっている」などと批判されやすいので、サイボウズの意図はそういうことではないのだということを、先にはっきりさせておきたい。
取締役の社内公募のニュースへの反響が起こった後に、サイボウズのメンバーと話す機会があったが、今回の件についての世間の声とサイボウズ社内の感覚との間に大きなギャップがあることに驚いていた。
そのメンバーによると、今回の件も、これまでの自分たちの理想の実現のための歩みの延長上に、さらに一歩を踏み出したに過ぎないという認識だった。そういう意味で、サイボウズにとって、取締役の社内公募は、奇をてらうどころか、”必然の一手”だったのである。
しかし、サイボウズメンバーが、世の中の感覚とのギャップの大きさに驚いたように、サイボウズ側でもいわゆる「普通」の世の中の感覚が分かりにくくなっているのだろう。
サイボウズが追い求める理想と、世間の「普通」との間のギャップ。それは、いったいどのようなものなのであろうか。

■「取締役とは何か」に対する2つの見方

日本の企業を観察すると、取締役という存在について、大きく2つの見方があると思われる。

①経営スキルの専門家としての取締役
②社内秩序における長老としての取締役

①は、経営やビジネス・戦略などに関する専門の知見を持ち、大胆な意思決定を通して、企業価値を向上させ続ける事ができる人材という見方だ。いわゆる「プロ経営者」などはその典型であろう。
②は会社に長期間にわたって貢献し、年功序列的な階段を上りきった、大きな人間的影響力を持つ人物という見方。いまでも日本企業にはこういうタイプの取締役が多い。
ややステレオタイプの見方だが、①は欧米のいわゆるグローバルスタンダードを範とするビジネス観に立脚している人。②は古き良き日本的経営に立脚している人と言えるかもしれない。
そして、①と②のビジネス観は、往々にしてたがいに対立してるように見える。誤解を恐れず言えば、①のビジネス観の人は、②のビジネス観を古くて時代に合わないものだと思いがちである。一方、②のビジネス観の人は、①のビジネス観を嫌い恐れている(もちろん、①と②をうまくハイブリッドしたビジネス観を持っている人もいる)。
さて、このように見てくると、今回、サイボウズの取締役の社内公募は、①の人にも②の人にも理解ができないシロモノであることが分かる。今回のニュースに対して否定的な意見が多かった理由は、おそらくここにある
サイボウズは、日本の大半の人のビジネス観である①でも②でもない、「第三の道」を行こうとしている

■浮かび上がる日本企業の「聖域」

私は今回のサイボウズの取締役の社内公募は、日本企業の多くが暗黙のうちに抱えている「聖域」を浮かび上がらせたと考えている。図らずもその「聖域」に触れたがゆえに、このような大きな反響があったのだ。
それは、「序列意識」とでもいうべきもので、社員間の序列を明確にして、発言権や報酬を厳格に序列に沿って付与しようとする規範である。もっとも、その序列の尺度は①と②で異なる。①の尺度はビジネスの専門家としての能力であり、②の尺度は企業共同体への長年にわたる貢献である。「新卒1年目も取締役に」というニュースは、①の価値観からも、②の価値観からも、容易に受け入れられるものではないだろう。
「序列意識」が悪いわけではないし、組織を束ねるための力学として必要という側面はあるだろう。しかし、そういう価値観はこれから少しずつ変化していくと思われる。
実際に最近では、フラットな組織、オープンな組織が増えてきている。そういう組織では、新卒1年目が取締役でもOKという感覚の会社も多いだろう。例えば、スコラ・コンサルトも完全に上司・部下のまったくないフラットな組織で、社長や取締役も社歴に関係なく、選挙で決めるという、フラットな組織運営を行なっている。
フラットな組織のメリットはたくさんあるが、最大のメリットは、人間の自由や可能性を最大限に発揮できることだろう。逆に言うと、「序列意識」は人間性を抑圧する傾向がある。

■サイボウズにとっての取締役は、民主的リーダー

先ほど、サイボウズは第三の道を行くと書いたが、私の表現では、サイボウズは企業において、”民主的な社会”を実現しようとしているように見える(サイボウズは、そのような表現を使っていないが)。したがって、サイボウズの取締役は、①とも②とも異なる、「民主的リーダー(代表)」である。
民主的な組織の目指すところは、人間の自由や可能性を最大限に発揮できるようにすることにある。そこでは、民主国家の基本原則のように、主権(=主役)は、社員一人一人であって、会社や取締役という支配機構ではない。そして、社員一人一人が、会社全体を良くすることに積極的に参画していく、つまり経営やガバナンスに参加していくことなしに、民主的な運営は成り立たない。この「一人一人が参加していく」ための仕組みが取締役の社内公募なのである。

こういう価値観の組織では「序列意識」は入り込みようがない。18歳の1票より、60歳の1票の方が重いということもなく、意欲ある人は、みなリーダー(代表)に名乗りを上げることができる。
若い人は、仕事や人生の経験が少ないから意見を言うことを控えるのではなく、若い世代の目線から、全体を良くするための意見を言う。こういう側面は、「シルバー民主主義」という言葉に表れているように、現在の日本の政治に欠けている要素でもある。

このようなことは、あまりにも理想論的であると感じる人もいるだろう。確かにその通りだが、サイボウズはその理想へ向けて、全力で挑戦し、試行錯誤しているように見える。
今回のサイボウズの取締役の社内公募の取り組みは、図らずも日本企業の「聖域」を刺激して、賛否を巻き起こし、誤解も生じたが、私から見ると、サイボウズの他の有名な取り組み、「働き方改革」「100人100通りの人事制度」「複業(副業)推進」などと軌を一にする、企業における「民主的な社会」の実現という一貫した文脈で理解ができるものなのである。

(後編に続く)「なぜ、企業において民主的な社会の実現を目指すのか」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?