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自分史コラム 瀬戸際バブル世代へのエール

「クリスマスのホテルランク」を自慢してた大学生時代


この前どっかで「1990年代」みたいな記事をみて「わりと最近だ」と思った瞬間、それがすでに30年前後も前だったと知って愕然とした私。
そんな私を含めていまの50代前半は「90年代バブルの最後の残り香」世代です。
 
1980年代後半、日本政府が公共事業拡大と低金利政策を実行したことにより、企業・個人にお金が余り、それが株や不動産に回ったことが日本に空前のバブル景気をもたらしました。
1989年12月29日の日経平均株価はなんと38,957円44銭と、史上最高額を記録したそうです。

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参照:日経平均株価の歴史と過去の株価の推移
Source: Datastreamのデータを基にIG証券作成

その頃私らは、高校生のくせにディスコを借り切ってのパーティーをやったり、ブランド品のバッグやDCブランド(もはや死語)を買ったり、大学生になったらなったで、クリスマスに彼女と過ごすシティホテルのランク自慢をしたり。「お立ち台」のジュリアナもこのあたりの話し。
直接は知りませんが、内定確保のために海外旅行やクルマをもらえた、なんて都市伝説みたいな話も聞いたことがあります。

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今はなき赤坂プリンスホテル(現東京ガーデンテラス紀尾井町)

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ガルウイングのトヨタ「セラ」も1990年発売。今にして新鮮w(参照:webモーターマガジン)
  
そんななか、ひねくれ者の私は「就職して企業の歯車になるのは嫌だ」などとカッコをつけて就職活動はしませんでした。しかし当時活動していた友人がそれまでに入れなかったような大企業に入れるような話を、喜々として学食で話していたシーンが記憶にあります。

今の若い人にしてみれば考えられない状況でしょうが、恐ろしいのはそれに対して多くの人々がそれに対してなにも考えていなかったということ。
ダサいとかダサくないとか以前に、そう、狂ってたんですよ(笑)。

とにかくそんな時代だったのです。流行にはとんと疎い私でさえ、そんな流れのなかで中途半端に、しかし確たる不安もなく青春を謳歌していました。今さらですが、若い人たちにはホント、申し訳ないと思っています。

歴史は繰り返す、というけれど。

しかし大学を卒業した1991年、バブルは突然崩壊。その後日本は「失われた20年」といわれる長い長い不況が続き、さらに2008年のリーマン・ショックが追い打ちをかけ、株価は6,994円90銭と、バブル時の5分の1まで低下。

その後は安倍政権による新自由主義の台頭と、それに伴う規制緩和や錬金術的な金融政策により、現在の株価は12月7日時点で約29年ぶりに28,000円代を推移しています。
株価という経済を測る指標が、実体経済を超えたところでガンガン進み、株成金がゴロゴロ生まれるこの感じ、90年代のバブルと似てる。歴史は繰り返す、という言葉が頭をよぎります。

しかしあの頃とくらべて現在は、多くの若い人たちがクルマも買えない、ましてやクリスマスにシティホテルなんてとんでもない、奨学金ローンが卒業時には重くのしかかり、高齢者に至っては生活保護を受ける人が増加の一途を辿っているという状況。
残念ながら一億総バブル、みたいに社会全体が浮かれてたあの時よりも経済的格差が拡がっていて、エグさが増しているのは事実です。

50代は「分岐点で正念場」

そんなことを感じながら過ごしていたら、たまたまこんな記事を見つけました。

この記事によると、いま企業は慢性的な人手不足でありながら、高騰する人件費を抑えるために、50代社員の早期退職や配置転換をガンガン進めているとのこと。かといって、その世代の再就職が厳しいのは言うまでもありません。
 
こうした状況に、対象になった人達はもちろんですが、経営側としても頭を痛めていると、いろいろなところで見聞きしています。数も多いことや、バブル期のフワッとした仕事のツケが今になって倍返し(古)、お荷物扱いされちゃって、嗚呼かわいそう。
このように50代にとっては、かなり向かい風の状況であることは間違いありません。

とはいってもなんの保証もない自営業の私にしてみれば、早期退職で退職金ももらえたり、給料が多少下がってもクビになるわけじゃないじゃない、と思うのも事実。

またもちろんのこと、全員がバブッてたわけないですし、これまでやってきた業績や仕事の知見など、本人たちが感じていない、またはちゃんと評価されていないその人の価値って絶対にあるはず。
上述の記事にあるように、これまでの経験や人間力を活かして、配置転換してとてもうまくいったケースもあるそうです。

だってバブルのよさも知りつつ、なんとかネットも使えるという、いわゆるアナログとデジタルの合間を生き残ってきた経験があるんだから、後世のためにも、50代は今こそが分岐点、これからが正念場だと思うのです。

これから本当に「在り方」が問われる時代に

ここまで偉そうに書いてきましたが「私はバブってるヤツラとは違うぜ」と言いたいのではなく、同じ時代を生きてきた仲間として、一緒にがんばろうぜ!とエールを送りたい気持ちで一杯なのです。

さっきも書いたとおり、私はまともな就職もせず、バブル期に仕事上の恩恵は全く受けていませんし、そのまま失われた20年のなか、グダグダと人生を送ってきたタイプ。

そんな遠回りの私からみれば、しっかりと会社でお勤めをはたしてきた多くの同年代の方がビクビクしたり、腐ることなどないと、尊敬の念をもってお伝えしたいのです。
ただちっぽけなプライドや固定概念だけはこの際捨て去らないと、ほんとにただの「イタいバブルオヤジ」になっていくだけなのは間違いありません。

そこで大事なのが「在り方」なんだと私は思います。
そもそも自分とはどういう人間なのか、とか、なにを幸せと思うのか、とか、残りの人生をどう過ごしていきたいのか、といった「自分自身の在り方」を、私たち50代は改めて一回見直し、アップデートする必要があると思っています。

ここでそのアップデートをしておけば、これからさらに激動、激変していく時代のなかでも、変に媚びずに、また流されずに、しなやかに自分の軸をもって生きていけると思うし「これからだからこそできる」ことに期待感も感じれるはず。

「仕事だけが人生じゃない」なんて、若いときはマジメに働くことから逃げる言い訳でしかなかったことが、今ならそれなりの説得力をもった言葉として聞いてもらえるようになったんですから。
 
そんな反省と思いをこめて、数年前から私は「自分史」を学び、それをもとに友人らと「マインドフルカフェ」というプログラムを開発しました。

このプログラムを進めるなかで、特に今年からいろいろな企業の方に注目していただきお話していますが、予想通り多くの人事担当者が、50代以上の社員について悩みを抱えています。
こんなふうに会社だって必死なわけですが、実はそれよりも大事なのは個人としてどう幸せに生ききれるか、そこだと私は思うんです。

最後は自分の宣伝みたいになってしまって恐縮なんですが、そこを改めてアップデートするお手伝いを、私自身が50代をむかえ、これからの自分の在り方を証明するためのライフワークとして進めていきたいと、来年にむけた抱負も兼ねて書きました。

同世代のみなさん、また企業の人事担当者の方、もし共感いただけたら、気軽にメッセージやコメントください。
これからを幸せに楽しく生きる在り方を見つける旅をご一緒できたら、これ以上の喜びはないと思っています。ぜひお待ちしています。


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