自分史エッセイ 「粉骨」という儀式
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自分史エッセイ 「粉骨」という儀式

私の父は2018年に84才、母はその9ヶ月後の2019年、85才で黄泉の国へ旅立ちました。生まれたのも死んだのも時期はほぼ一緒。
ともに自らの人生を並走してきた同志のような関係で、旅立ちまで仲のいい二人でした。

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そんななか、私と妻は二人の遺骨を分骨して、自分の家に残すことに決めました。実家の仏壇とは別に、自分の家でも二人の証を残しておきたいと思ったからです。

しかしそれをどう保管するかが問題。
少しとはいえ骨そのものでは場所も取るし、自分で粉にするのもどうなのか…と迷っていたところ、妻が「粉骨」という、遺骨を粉末にしてくれるサービスをネットで見つけてくれ、お願いすることにしました。
こんなことは、それこそ一生に何度もない自分史の1シーン。
今日はその体験を通じて感じたことをみなさんにお伝えしようと思います。

多様化する供養へのニーズから生まれた粉骨

今回粉骨をお願いしたのは東京江戸川区の「中島石材」さん。
問い合わせに丁寧に対応してくれたことと、粉骨作業に立ち会いをさせてもらえるということに加え、母の妹である叔母一家の家にとても近かったことにもご縁を感じました。

粉骨は「納骨堂が狭くて骨壷が入らない」「お墓の改装のため」「海洋散骨などを希望」というように、供養のスタイルの多様化により、たくさんの会社が手がけているそうです。
その意味でいえば、実家でお墓を建てるけども、私らの家に置きたいというこのケースもそうしたものなのでしょう。

粉骨作業は、洗浄、乾燥させ、粉骨したのちパッキングして殺菌、とかなり専門的。全く知識がない私らにしてみれば、その作業一つひとつが新鮮な驚きです。
メールでの何度かのやり取りのすえ、粉骨作業に立ち会う日となりました。

粉骨は「儀式」だった

いよいよ当日。オフィス兼作業場であるマンションの1室に、私、妻、叔父叔母、従妹の5人で訪問しました。

綺麗に掃除してある部屋で社長の中島さんとご挨拶。
中島さんは、本業の石材屋さんでお墓を開けることが多々あり、暗くジメジメした納骨室に骨壷が窮屈に納められていることに心を痛めて、この事業を始めたそうです。
通常お墓の下は土ですし、普通の人は見る機会などないわけですが、確かにご先祖さまの骨壷が窮屈なのは子孫としては忍びないもの。
粉骨で容積は4分の1になり、お墓にたくさん納骨できるというのも、ビルの中に納骨堂がある時代ですから、ニーズはあると感じます。

マスクから覗く優しいまなざしと、説明から伝わる誠実なお坊さんのような中島さんと清潔な作業場を見て、安心して両親のお骨をお渡しできました。


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洗浄と乾燥の一時間ほど近くでお茶をして戻り、いよいよ粉骨作業開始。

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乾燥により持っていったときよりも小さくなっていたお骨は、父と母で色が微妙に違うことにも気づきました。

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量が少ないので機械を使わず、乳鉢で入念に粉骨し殺菌。


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仲のよかった両親だから、一緒に混ぜることも考えたのですが、独立した個人としての思いも大切にしていた二人ですし、さすがにいつもくっついてるのは暑苦しいかもしれないから(笑)、分けておくことに。


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こうして粉骨は没年月日と名前が記載された小さな袋に収まりました。

正直なところ私は、骨という物質を粉にするということを単なる「作業」として考えていました。
しかし中島さんの一つ一つの工程の丁寧な所作を見ているうちに「粉骨は故人に思いを馳せる大事な儀式なのだ」という思いが湧いてきたのです。
袋に手を触れると、両親から「ご苦労さま、ありがとう」と言われているような感じとともに、静かな満足感が伝わってきました。
妻や親戚がその袋をしみじみさすっている様子からも、同じように感じていることが伝わってきました。
父よ、母よ、遅くなってごめんよ。でも綺麗にしてもらえてよかったね。

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「粉骨」にまつわって見えた人の思い


終了してふたたび中島さんとお話し。
「私はこの仕事を1日1組様だけと決めています。
粉骨の作業を誠心誠意取り組ませていただくことで、故人とご遺族に満足していただきたいですから。自分でも仏教の勉強をしているんです。」

東京の巣鴨にある勝林寺というお寺は、平成30年に世界的建築家による大改修の際、中島さんに納骨堂建築の計画段階から参加を依頼され、「時と灯しびの間」という素晴らしい納骨堂ができたそうです。

こちらは勝林寺のホームページからお借りしたものですが、お聞きしたとおり、中島さんはじめ、ご住職や建築家の方の思いが伝わってくる素晴らしい納骨堂です。

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「駅前のビルの中に作られた納骨堂は、機械のようにレールで移動してご遺族の参拝スペースに移動するのですが、中はまるで物流倉庫みたいに暗いんです。
故人の気持ちを想像したとき、暗い倉庫のなかで『あ、今日もあの人が呼ばれた』と呼ばれない人が感じていたらかわいそうじゃないですか。
だから『時と灯しびの間』は、故人がそういう寂しい思いをしないことを一番に配慮して計画させていただきました。」
 
これも知らなかった話。言われてみればそうだけど…そこまで考えているのかと驚き。
 
「よくいろんな人に『このような仕事で怖い思いをしたこととかないんですか?』と聞かれるんですが、全くないですね。故人に喜んでいただけるように心を込めていますから、もしそうした人たちの魂がいるとすれば、私を応援してくれると信じてます。だから全く怖くないし、逆にすごく心強いんですよ。」
話を聞けば聞くほど「この人は石屋さんじゃなくてお坊さんみたいだな」という気分になってきます。ふと気がつけば時間もかなり過ぎていました。


「私もこうしてご遺族とお話しすることが好きで、ついついこうして長い時間話してしまうんですよ」という中島さん。

彼がお骨をモノではなく、あくまでも人という存在として扱っているからこそ、儀式のような厳かさを感じたのでしょうし、その思いを共感する人たちとこういう心のご縁ができていくのだろうと感じます。
本当にここにお願いしてよかった。全員でそんな温かい思いに包まれながら「粉骨の儀」は無事終了したのでした。

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両親の死というビッグイベントが1年のあいだに立て続けに起こったことで、私は「やはり死に方は生き方なんだ」という実感を得ました。
父の旅立ちからすでに2年半、母も1年半経っていますが、これからも両親が遺してくれたものは随所で私の自分史に現れてくることでしょう。
 
この「粉骨の儀」も、中島さんのような人がこの世に生きていること、またそういう人とご縁ができた自分史の1シーンとしてここに記しておきます。

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柳澤史樹(やなぎさわふみき)Profile 自分史活用アドバイザー/ ライター/ 編集/プランナー 株式会社TwoDoors代表社員/クリエイティブユニット Team LINKS代表/ 農的生活者 株式会社 Two Doors https://www.twodoors.link/