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育児日記 #003 性別役割分業

数日前に、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗氏が、また何やら失言をし、波紋は世界にも広がっている様です。そんな国際問題にまで発展しているJOCトップ発のジェンダー論争と、いち家庭内で起こる夫婦喧嘩を結びつける事は、果たして飛躍のしすぎなのでしょうか。

前回の記事で、こんな一文を載せました。

ドタバタと朝のワンオペをこなし、息子を保育園へ送り届けた後仕事に行き、夜のワンオペを始まる前に、一度余裕を取り戻せる理由として、

「例え仕事で嫌なことがあった日でさえ、職場に行った(家庭から一旦離れる)ことで、気持ちがリセットされたからです。」

1985年に制定、翌年に施行された男女雇用機関均等法を皮切りに、進歩してきたとされる女性の社会進出。職場での平等性への言及はさておき、女性が働く事が珍しくはなくなり、共働きも一般化してきました。

今回は、この時代に、性別役割分業、所謂「男性は仕事、女性は家庭」という考え方が、お互いにとってどの様に影響しているかを考えていきたいと思います。

まずは、私たち夫婦の場合の分業事情について、その問題が最初に発生したタイミングに遡り、お話ししていきたいと思います。

わたし(妻)の変化

私は就活こそ経験していませんが、4年大学を卒業後、約1年半のアメリカ留学を経て、帰国後、他の選択肢を考えずに就職という進路を取りました。その後1度転職をし、今に至ります。正社員として働くのは2社目で、今年で勤続6年目になります。

夫とは、今の会社に勤め出してから、職場とは関係のないところで知り合いました。当時25歳だった私は、自分なりの目標に向かって仕事を楽しんでいました。

27歳、彼との結婚の話が具体的に進み始めた頃、私は結婚しても仕事を続ける意思を再度伝え、彼もそれを快く受け入れてくれました。この先子どもが出来たり、何かしら状況や気が変わったりすれば、その時に仕事を続けるも辞めるも、全て私の好きな様にすれば良いと判断を委ねてくれていました。

そして、仕事でキャリアアップを目指す最中、結婚してすぐに妊娠をしました。

産休に入り、一度途絶えたオフィスでの仕事、新しく始まる母親業に、振り返ってみれば、当時は不安の方が大きかった様に感じます。それでも、いざ出産してみると、可愛い息子に毎日癒され、何分初めての事だらけの育児に戸惑い、1年間の産/育休があっという間に終わる頃には、職場に戻る事で、息子と離れている時間が長くなると思うと寂しいし、元々ズボラな私が、これから仕事と家事と育児の両立が出来るのか心配で、このまま専業主婦という選択もありなのかも知れないという考えが、一瞬頭を過ったことを覚えています。

それでも、やはり仕事を辞めるという選択をしなかった私は、息子が1歳の誕生日を迎えると同時に、時短勤務という形で職場復帰を果たしました。


夫の変化

今年で44歳になる夫は、男子校出身で、社会人になってからも、恐らく今よりも、より男社会が強調されていた中で戦い抜いてきた結果、所謂「男らしさ」(力強さ、包容力、権力等に象徴される)が強い男性です。

そんな彼ですが、結婚、出産というイベントを迎える度に、私の仕事に関する選択は、全て私に委ねてくれていていました。

一方、夫は、結婚しても、子どもが産まれても、仕事を辞めるという選択肢は無く、寧ろ家庭に抱える人数が増えれば増えるほど、「もっと頑張って稼がねば」という思いが強くなっていた様です。

特に自営業という働き方をする彼は、語弊を恐れずに言わせてもらえば、会社に属している限りは毎月給与が貰える私と比べて、自分が休んだり怠けたりすれば、毎月の稼ぎに直に影響が出るという事実から、無理なスケジュールで働く日も度々ありました。

勿論、それは心身ともに疲れることで、彼も度々その本音を漏らすこともありましたが、根本に野心が溢れている彼は、自分の事業が拡大していく事や従業員からの評価に、喜びを感じていたのも確かです。


私たちの週末

それぞれの働き方を続ける中で、度々喧嘩の原因となってきた「ワンオペ家事、育児」。

結婚後、事業の拡大を意欲的に進める夫の忙しさは増し、帰宅が遅かったり、休日も仕事に出かけたり、時間を問わず仕事の電話がかかってきたりする事は日常茶飯事。
だけど、それについては私はさほど嫌に思う事はありません。寧ろ、彼の仕事に対する姿勢は尊敬することのひとつですし、事業の成功は家計にもプラスの影響を与えてくれると思うと感謝の気持ちでいっぱいです。仕事の内容についてもよく話を聞かせてくれて、時には私に意見を求めてくれたりもしています。そんな「風通しの良さ」は、彼の仕事を応援したくなる要素のひとつでもあります。

喧嘩になる時は、大抵彼が完全に休みの日。

「男は仕事」説を信じる夫は、勿論仕事への責任感や使命感は並ではありません。それと同時に、「女は家庭」とまでは言わないにしても、「男が家庭」という概念はほぼないに等しい人です。

彼が完全に仕事がない日は、彼にとって「オフの日」。目が覚めるまで寝続け、ソファに座りテレビをゆっくり見て、心身を休める日。普段から、会社の責任者として過度なストレスを感じているのですから、勿論そうやって好きなことをしたり、ゆっくり過ごすことで、ストレスから解放される時間を作る事は大切です。

ただ、忘れていませんか?

家事と子育てに休日はないと言う事を。

寧ろ、週末は、家事や育児の平日です。

「家事労働」(Domestic labor)と呼ばれる様にもなった無償の、しかし生活する上で必要不可欠な仕事は、家庭にいる時間が長ければ、その分課せられるタスクは多くなるのです。週末も、決まった時間に起きる息子に私も起きる様促され、その後は平日と同じように、洗濯を回しつつ、朝ごはんの支度と息子が食べるのをお手伝い。時間のある週末は、午前中のタスクに掃除が加わります。

それを横目に(いや、多分見えていない)、やっと起きてきた夫は、そのままソファで寛ぎます。

夫への尊敬と感謝の念はどこへやら。

ここから、私の機嫌が徐々に悪くなり、彼の地獄の休日が始まるのです。


矛盾と葛藤

ワンオペ問題を巡って繰り広げられる、私たちの夫婦論争の出発点も終着点は、毎回大体同じです。

大抵の場合、数ヶ月に一度、溜め込んだ爆弾を私が夫に投げつけるところから戦いは始まります。

『「家族の為」に無理して事業の拡大を進めているのであれば、家族の為に、今はもう少しスピードを落として、家にいる時間はもう少し家のこともしてほしい。私も働いているし、多少あなたの収入が減っても、家族3人十分生活していける。』と、彼の成功を応援していたはずなのに、裏腹なことを言う私。

これに対して、最終的に夫が提案する解決策は、私が仕事を辞める事。
そうすれば、私の自由な時間が増えて、日中好きなことが出来るだろうと言うわけです。

残念ながら、そこにこの問題の解決はありません。

私は、自分の自由時間確保の為に、戦争を始めた訳ではありません。この戦いで、私が本当に求めていたものは、夫の、パートナーとしての協力意識。
自由な時間は、協力体制が整い、家事育児の分業がなされて、結果的にもたらされるベネフィットのひとつです。

そもそも、外で働く時間さえ、私にとっては「自由な時間」であり、(例えストレスを感じる業務でさえ)ストレス解消に一翼を担っているということを、彼は忘れているのです。
何故なら、彼にとって、外で働くということは、「自由な時間」という認識より、拘束や責任、「大黒柱」としての義務という意味の方が強いからでしょう。

何度も同じ事が原因で喧嘩をし、なんとなく仲直りを繰り返してきていますが、私たち夫婦は、結局まだ、お互いが本当に納得のいく形で、この戦争を終結させる為の条約を結んだことはありません。

家庭において、仕事、お金、家事、育児、これらは全て必要なモノです。だけど、1人では両立がとても難しいし、前者2つ/後者2つで分けて考えることは、今や夫婦間に軋轢を生む可能性が増えました。

「男は仕事、女は家庭」

令和の時代になっても、未だに残るこのステレオタイプは、男性にとっても、女性にとっても、呪いのようなところがあります。「俺だってもっと子どもといたい」、でも、経済力も求められる。「好きなように仕事をすれば良い」でも、家庭の秩序を守ら為にはどうしても時間に制限が出る。男女ともに、矛盾する2つを同時に求めてしまうのです。

JOCの森会長は、最終的に発言を撤回し、陳謝しましたが、表情や話し方から、どうしても心の底からの謝罪とは思えません。立場的にも、彼の言動は認め難い事ですが、仕方ないと思わざるを得ない部分も多少あるのかもしれません。
森氏の人生の4分の3ほどは、社会的にも男性と女性の役割分担は今よりもしっかりされていただろうし、彼の周りもきっとそういう考えが主流で、彼の常識となっていたのでしょう。半世紀以上信じてきた思想を天地逆転させる様なことは、とても難しい。
この世代をどれだけ批判しても、多分あまり何も変わりません。

国が、組織の指導的地位に女性3割程度、という目標を掲げるなど、より男女や人種の平等を目指すよう求める風潮は、まだあくまで風潮(=トレンド)のような気がします。森会長はあの立場だから余計に注目されますが、ただ世間に注目されていないだけで、巷で同じように発言している人は多かれ少なかれいるはずです。こういう発言を野放しには出来ませんが、今の段階で過剰に批判や反論をしても、結果は私たち夫婦の喧嘩の結末と同じようなところで終わってしまう気がします。このトレンドを定着させるには、あと何世代か越える必要がありそうです。そして、男性の意識だけでなく、女性の意識も同時に変えていかなければ、きっとお互いに新しい未来はないのではないかと思います。ジェンダー論寄りの話になってしまい、それだけでいくつものトピックがありそうなので、これはまたの機会に改めて考えていきたいと思いますが、ワンオペ家事・育児という、いち家庭内での問題と、ジェンダー格差という、世界的に問われている課題が、切り離せない位置にあると言うことは間違いなさそうです。


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