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酒好きになり店を出したら人に騙され人に救われた話①

2007年1月20日
私は呆然としていた。

沈黙の中、時間だけが過ぎてゆく
センター試験自己採点の結果
今まで見たとこのない点数が目に飛び込んできた。
模試でも取ったことのないような最悪な点数に目を覆った。

気づけば、窓の外をぼーっと見つめていた
『もうこの見慣れた景色を見ることも少なくなるんだな』


呆然として家の玄関を開けると
いつも明るく迎えてくれるばあちゃんが言葉少なげだった
今、思うと全て察していたのだろう。

生まれて18年間、ずっと父方の祖母と一緒に暮らしてきた。
両親共働きでいつも部活から帰ると
「おかえり!おにぎりつくったけん、食べんね!」と言って
いつもおやつ代わりの食べ物などを作ってくれていた。
そして、物心ついたときには一緒に相撲を見るのことが日課になっていた。

そんな、ばあちゃんっ子だった自分は
心配させたくない一心で空元気を装っていた。

「いやぁ、センター試験ダメだった!」
明るく言ったつもりだが表情に出ていたのだろう。

「そうね。まぁこれで終わりじゃないけん、頑張らんば!」

気落ちしていた自分にとって
その優しい一言でかなり救われた気がする。

目標としていた“長崎大学”への入学が遠のいた

それは、今思うと当時87歳だった
ばあちゃんにとって”孫”と会う時間が少なくなることを意味していた。

残された道は唯一、私立で受験の手続きをしていた”福岡大学”だけだった。

唯一、滑り止めとして受験した”福岡大学”
『近くの私立で名前を知っているから。』
『長崎でも受験ができる会場があるから。』
その程度で受験した大学だった。

福岡大学受験日当日…
受験会場は長崎にある予備校だった

後のない私はとても緊張していたのを今でも覚えている。
「落ちたら、来年はここで勉強しているのか。」
などとネガティブな感情だけが襲いかかる。

そんな緊張の中、国語の試験が始まった
制限時間は60分。
淡々とペンを走らせていく。

あっという間に時計の長針が1周していた。
「まぁ、なんとなくできたかな。」
そんな程度の手応えだった。

そして英語の試験もなかなかな手応えで終えることができ
午前中の試験は終わった。

『これは受かるかな。』
そんな余裕も少し出てきた時は
午後にここまで不安になることがあろうとは夢にも思っていなかった。

目の前に置かれた1枚の紙と鉛筆と消しゴム
これだけで今後の人生が決まるのだ。

「試験時間は60分です。はじめてください!」

会場内から一斉にペンを走らせる音が鳴り響く。
スラスラと解答していき
残り1問を残して時計を見て愕然とした。
まだ試験開始から10分しか経っていなかった。

一気に不安が押し寄せる

『本当にあっているのか。』
『そんな簡単なはずがない。』

いろんな思いが交錯する
一度、ペンを起きゆっくり振り返る。

間違いが一個もない
そして最後の問題も
何の問題もなく解くことができた。
周りにいる高校の友達と答え合わせをすることで
不安は一切なくなっていた。

そして後日
福岡大学合格発表の日を迎えた
パソコンによるオンライン発表
手応えはあったとはいえ、とても緊張していた。

家のパソコンの前に座りマウスを動かす
手汗が止まらなかった。

受験番号を探しゆっくり見ていく。
そこに自分の受験番号があったときは
一瞬で安心感が押し寄せてきた。

「合格したよ!!」
ばあちゃんにすぐ伝えた。


「当たり前たい!」
そんな素っ気ない一言だけの会話だった。

今振り返ると、本当は長崎に居て欲しかったんだろうなと
しみじみ思うことがある。

ここからばあちゃんの口癖が変わった
「正太が大学卒業までは生きとかないかんね!」


合格発表当日は安心感に包まれていた。
しかし、翌日から漠然とした劣等感に苛まれた。

2007年4月
嘉松は福岡大学のキャンパスにいた。
当時は福岡大学に入ったことが
現在にも大きな価値を与えるなんて知る由もなかった。




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