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【TEALABO channel_29】意思をもって自由な道を歩んだからこそ切り拓ける我が茶業道 -小堀製茶 宮原佑季さん-

鹿児島のブランド茶である「知覧茶」の作り手を直接訪ねて、その秘めたる想いを若者に届けるプロジェクト「Tealabo Channel」。

日本茶は全国各地に産地があり、各産地で気候や品種、育て方が違います。そんな違いがあるから「知覧茶」が存在します。一年を通して温暖な気候がもたらす深い緑色と甘みが特徴である知覧茶の作り手の話を皆さんにおすそ分けします。

第29回目は、『小堀製茶』の宮原佑季さんにお話をお伺いしました。お父さんで代表の満朗さんにも同席していただきました。

好きな道を歩んだ結果

小堀製茶はお父さんの代で現在3代目です。

佑季さんの曽祖父が立ち上げ、当初は共同工場として運営されていたといいます。その後、個人茶工場として独立され、平成7年に再度共同工場として後岳地区の生産者2組と一緒に創業し、現在に至るそうです。

“小堀”は後岳地区の中で満朗さんが住まれているところの地域を由来としているのだとか。

後岳地区の他の茶農家と同じように小売を中心に事業を展開されています。

今回は佑季さんがUターンし就農されてから、ちょうど1年が経過した時期の取材でした。この1年を振り返り、現在の心境を深掘りしながら、満朗さんとの対談形式でお届けできたらと思います。

小堀製茶 宮原佑季さん

佑季さん:普通科の高校を卒業し、関東の大学で教育分野を専攻しました。就職は製薬会社を選択したので、Uターンするまで全く茶業と畑違いのフィールドにずっといました。両親からは「後を継ぎなさい」と言われたことはありません。「好きな道を歩みなさい」とずっと言ってくれて。就農を決め、Uターンしたのは昨年の2月でした。

満朗さん:帰ってきてくれるのは嬉しかったのですが「厳しい世界だぞ」と念を押して伝えました。戻ってきてからは畑や工場の作業を一生懸命してくれています。どんどん質問をしてくれて教え甲斐もあるので「どうにかやっていけるのではないか」と思うようになりました。全くゼロからのスタートなので、しっかり腰を据えて就農してくれて良かったです。

小堀製茶 代表 宮原満朗さん

まずは体を動かして、失敗しながら

佑季さん:何もかもわからないままで就農しましたが、この1年間を振り返ると楽しかったですね。一度、県外で社会人経験ができたのは大きかったです。営業の仕事が辛い時期もありましたが、そういう時間の積み重ねもあって今があるので。おそらく、大学を卒業後にすぐ就農していたら同じ感覚で仕事ができていなかったと思います。外での経験があったからこそ、茶業の魅力を感じられているんです。

満朗さん:畑で機械を操作していると、よく失敗するんです。「あちゃー!」と思っちゃうのですが、私も昔そうでした。「失敗しながら、色々覚えてきたな」って。だから、息子にもまずは体を動かして、失敗するように伝えています。最初からできる人なんていませんし、そうしないと体に染み付いていかないですから。この間も防除機の操作がうまくいかなくて(笑)。防除(※)も摘採(※)も一つずつ教えているところです。

防除(※):農作物に悪影響を与える病害虫や雑草を防いだり除くこと
摘採(※):お茶の新芽を摘むこと。

茶工場(小堀製茶を含めた3農家で運営)

佑季さん:この1年は情報収集や状況把握の繰り返しだった気がします。恥ずかしい話、品種の名前や自社の畑の場所すら把握できていませんでした(笑)。手伝いに来てくださる方々や地域の茶業家の先輩たちにも色々と教えてもらいました。学ぶことが多かったですし、何もかもが新鮮に感じる日々でした。

満朗さん:息子は高校からは下宿生活で、大学はそのまま県外へ出たので、中学校を卒業してからは年に数回しかコミュニケーションをとっていませんでした。元々大人しい性格なので、そこまで会話はなかったのですが、この1年で以前よりも親子で話をするようになったと思います。後岳地区の若い子たちが息子のことを迎えてくれたので、さらに安心しました。

自分の意思で道を選択する

満朗さん:父も口数は少なかったですが、好きなことを自由にさせてくれました。私は高校卒業後に静岡の茶試験場で2年過ごしたのちに就農しましたが「後を継げ」と言われたわけではありません。自分の意思で就農しようと決めたんです。兄弟2人は大学へ進学したのですが、その時は借金してでも大学へ行かせてくれました。そこがあったから私も子供には自由にさせていきたいと思ったんです。

佑季さん:高校でも野球をしたかったので、その想いを父に伝えたところ鹿児島市内の学校へ行かせてくれたんです。当時、同じ地域で鹿児島市の高校へ進学する人は少なかったと思います。大学では先生という道に興味があって教育学部を選択しました。どの道を選択しても父からは一度も反対されたこともありません。全て自分で考え、進む道を選択してきました。だから、両親には感謝しかないです。

自園から望める後岳地区の景色


満朗さん:
自由にさせてはいましたが、心のどこかで「帰ってきてほしい」という気持ちも少しはありました。でも、茶業界が低迷してきたこともあって、妻とできることをやって、私たちの代で終わらせてもいいのではないか。そういうことも考えていました。ありがたいことに継業する道を自分の意思で決めてくれました。教えられるだけのことを全て教えて、あとは息子の好きなようにやっていけばいいと思っています。

満朗さん


佑季さん:
僕も父と同様、子供には自由にさせたいと思っています。就農したければすればいいし、違う道を歩みたければ、そうすればいい。会社員だろうが、公務員だろうが、確約された未来はありません。どんな時代であっても、その時をどう生きるかが大事だと思うんです。自営業の良さは、それが体現しやすいところかもしれません。自分のそんな背中を見て、子供にも自分の道をちゃんと選択してほしいです。

佑季さん

戻れる場所があることの幸せ

佑季さん:父がずっとお茶づくりをやり続けて、しっかりと基盤を残してくれたのはとても大きかったです。Uターンする前に会社員の友人たちに報告すると「戻れる場所があるっていいよね」と言われたんです。20代の頃はそういうことを深く意識したことはなかったのですが、今はそれが財産だと思っています。おかげで、今までの経験を活かし、小さなまちで少しずつですがチャレンジすることができているんです。

満朗さん:周りの人からは「どうして帰ってきたの?」とおっしゃる方もいると思います。「茶業界も厳しいのに…。」って。特に妻は心配していました。でも、景気が良い悪いではなく、あとは本人がどれだけ頑張るかじゃないかと思うんです。人様に迷惑をかけず、元気にやってもらえたらそれだけでいい。父としては、息子がやりたいことをサポートしていくだけ。それに尽きます。

後岳からの風景

佑季さん:自分たちでつくったお茶は美味しいと思って育ててきました。今後は小売にさらに力を入れたいと考えていまして、ここ1年でオンライン販売を始めたり、パッケージを変えたり、今まで自社として出ていなかった催事にも先日初めて出店しました。元々営業をやっていたので、催事ではお客様の声を聞きながら、楽しい時間を過ごすことができました。小売をどう伸ばすかって、自分たちの認知を上げることに繋がってくると思うんです。幸い、父は自由にやらせてくれます。ただ、私は器用ではないので、同時にたくさんのことはできません。だから、一つ一つ形にしていき、小さな積み重ねていくしかない。できることは全部試したいです。そんな気持ちで2年目以降もお茶づくりに励んでいこうと思います。

好きな道を歩む(選択する)ことは
簡単なようで大変です。

どうしてその道を進むのか。
きちんと自分で考えないといけないですし、
同時に責任も生じてきます。

でも、大変な中にいるからこその楽しさは必ずあります。
リスクを背負うことで切り拓いた先には未知の世界が待っているのではないでしょうか。

今回の取材を通して
自分で考え、道を選択することの大事さ
そして、その可能性。

そこを改めて感じることができました。

【プロフィール】
宮原 佑季(ミヤハラ ユウキ)
1986年南九州市知覧町生まれ。
高校を卒業後、大学(教育学部)へ進学。大学卒業後は製薬会社の営業として勤務。2022年Uターンし就農。父のもとで茶の栽培、製造を勉強中。

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