食べ物に一生困らないという思い込み
百日祝い
朱の漆器、祝い箸、歯固め石など神社のないカナダに住む私は儀式的な伝統のアイテムを持ち合わせていませんでしたが、真似事を自分なりに再現したつもりです。
カナダでは日本の素晴らしいお惣菜は手に入りませんが、鯛、小豆、もち米、蛤、里芋など素材は足を伸ばせば何とか手に入れることができました。
生後100日ベビーに作業中断されながらも、手に入れた貴重な食材を夢中で調理したのは何だか良い思い出です。
生まれて初めて筍を自分でアク抜きしたり、お赤飯を作ったり、日本食を作って食べることができて、寝不足なんて忘れてワクワクした気持ちだったことを覚えています。
いつも欧米食になりがちな我が家の食卓が日本食で彩られた時に、何ともいえない満足感がありました。
生まれてきたことだけで
おめでたい。
すくすくと大きくなり
将来を見通す力をつけて
良い出会いに恵まれますように。
よろこびいっぱい
しわしわになるまで
生きていけますように。
一生
食べ物に困ることが
ありませんように。
祈るだけでは
願いが叶わないのかもしれない。
世の中の急激な変化から
そう思うようになりました。
記念写真を撮るためだけの百日祝いでない。
百日祝いは私にとってはリマインダーでした。
当たり前のようにお腹を満たすことができる今の世の中に感謝し
でもそれが当たり前のように一生続かないかもしれないと。
一生食べ物に困らないためにできる限りのことはやっていこう。
真似事の行事を真面目に捉えすぎと思われても、私はお食い初めをした日に感じたことを大切にしていきたいです。
一生
食べ物に困ることが
ありませんように。
『一生
食べ物に困ることなどない』
そう思い込まないこと。
そこから食べものに対しての考え方も変わっていきました。
食べるものに困ったことがないからこそ、毎日何でもどれだけでも食べられると思い込まない。
令和という何不自由ない便利な時代に異国の地に生きる者だからこそ、日本の素晴らしい食文化、伝統、精神、もっともっと誇りに思えるように学んでいきたいです。
カナダに住んでいると、「一生に一度は日本に行きたい!」と夢を語ってくれる人に出会うことは一度や二度だけではありません。
日本にいて日本の食文化、伝統、精神にいつだって触れることができる方達が私も羨ましいと、今日本に行けないからこそ強く思うのです。
我が子の生後100日目にそう感じたことをこれからも忘れずに、自分にできる限りのことを実践していきたいです。
今日も食卓にごはんが並び、元気に生きていることに感謝。
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