現実は作れる?..かわいいは作れるみたいに..
結論は結局は自分次第。
以上
最近思っていることの言語化が難しくなっています。
『なんとなく』や『あれっ』の感覚をできるだけ言葉で説明する練習と思って今日は起きた出来事と現実の捉え方についてメモしてみようと思います。
テストで0点取った!
という出来事。
これ実体験です。
算数の引き算のテストで➖の記号を勝手に➕と読み間違えました。
0点のテストは事実として目の前に存在する。
でも現実(とここでは表現します)は考え方次第です。
私Aはこう思うかもしれません『うわ、馬鹿だな。』
私Bは馬鹿だな〜では終わらず『頭が悪い証明書をもらっちゃったから、帰ったら親に殴られる。』と思うかもしれません。
私Cは『な〜んだ、記号を読み間違えただけだから次気をつければいっか。』って呑気さんかもしれません。
私Dは『異常過ぎて障害があるかもしれない』と不安になるかもしれません。
考えようで現実は作られるのだと思います。
私Bの場合普段家で暴力を振るわれているとします。
するとどんな考え方をしたって結局殴られるんだから自分の想いでは現実は変えられないと感じます。どう頑張ったって抜け出せないと。
確かに幼い頃から長年存在を否定されている環境に身を置いていると、自分の存在価値を見いだすことは難しいかもしれません。
でも生きている。
辛いと思うということは、喉から手が出るほどの望みがあるということではありませんか。
こんな苦しい想いをするなら生まれてこない方が良かったと思うことがあるかもしれません。
でも生きている。
それは事実です。先程の例で言えば0点のテストと同じです。
事実をどのように捉えているかで現実が変わるのです。
今目の前に0点のテストを持っていることが絶望なのですか?
0点のテストを取ったということは限界までしゃがんでいて、こっからジャンプするんだぜ!って思いますか?
もうちょっと視点を変えると、0点のテスト自体に意味はないということになります。生きているということ自体はポジティブでもネガティブでもないということです。
じゃあやっぱり意味ないということではなくて、そこでようやくじゃあどうしたいの?何が学べるの?って考えることもできます。
このような話をすると精神論的に捉えられるかもしれないんですが、人の信じている力って本当にパワフルだと思うんです。それは昔の根性論みたいな話とも違います。
不安や恐怖がベースにある限り、ずっとずっと不安や恐怖に襲われる現実しか見えないのです。
周りのせいで自分の現実が悪くなっていると信じている限り、どんどん沼にハマります。
こころのバランスを失いそうになるかもしれません。
人によってやり方はいろいろあると思いますが、やっぱりこんな自分でいたいなって心地良いイメージができるぼーっとした時間を混乱の時だからこそ大切にしていきたいです。
ガチガチに凝り固まった過去の固定観念、制限、教えられてきた価値観、を全て手放して。
まずは自分が愛の存在であることを思い出す。
ガチガチに心が壊れていたらとにかく休みましょう。徹底的に。
1年後に自分のこのメモを見返してみようと思います♪
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