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4.3.3.2. 解釈(3) 「今ここ」は「伝統」より確かである(後編)

「個人」であることへの圧力

政治学者の宇野〔2010〕は,近代社会の基本的理念である「平等」の意味が,「みな同じ」から「ひとりひとりが特別な存在であることを認める」ことへ変わったと述べた。
各人が差異を主張し,かつオンリーワンであることを求めるようになったのだ。

そこで最大限に強調されるのが,「個人の選択」「個人の差異」〔倉数: 284〕であり,人はどこか強迫的にオリジナルな「私」を追求せざるを得ない

ここでいう「個人の選択」「個人の差違」は,前編での洋平さんの引用中に見られた「自分の作った茶杓や用意した空間」,といった類のものであると考えられる。

写真 「鴨茶」(本章4.1.3.)の項で登場した中山さん作の茶杓。傘の骨からできているため,この茶杓には「骨折り損」という銘がつけられている。(2016年11月29日筆者撮影)


「自作の茶道具」は目利きを黙らせるか

茶会の中で,あるインフォーマントが異様に細い金属製の茶杓を用いたことがあった。
適切な量の抹茶を掬うには4往復ほどしなければならないほどの幅である。

「いつもはアルミで打つんですけど,真鍮は硬くて」といった語りは,普段から茶杓を自作していることを示していた。

筆者が同席した客のうちの一人は,茶碗を見ては「欠けてる」「焼きの問題だと思うんだけどね」と焼物に造詣が深いことを匂わすコメントをしていた。
しかし拝見 [注36] の際にその細い茶杓を前にすると「ぎょえー。これはぎょえーだね。参りました」と感想を述べた。

あれが洋平さんの言う「自分で作った茶杓だったりとか,拙いけれど用意した空間だったりとか,そういうもので,ガラッとひっくり返ってしまう」瞬なのだろう。


「茶道団体」の創意工夫に見られる現代性

茶杓を自作するのは,年配の茶道修練者も同様だ。
同様に,茶会を催す人であれば誰でも,創意工夫は凝らす(努力はする)ものである。

その他の茶道修練者と「茶道団体」の代表の「お茶」が,どのように異なっているのかを考えた際,「アバンギャルド茶会」(本章4.1.2.)や「鴨茶」(4.1.3.)を思い起こしてほしい。

車の中に畳を挿入した「移動茶室」や,茶釜を乗せた自転車といった茶室空間は,なぜ移動する必要があるのだろうか?


「今」目の前の「ここ」にある「お茶」

「今ここ」言説に絡めて答えるならば,リアルタイムで,屋外でもオフィスでも場所を選ばずに「お茶」を目の前に現出させているという点が,「茶道団体」の活動に共通している。

伝統的な茶会は,格式張った会ほど何ヶ月も前に招待状が書面で届き,会の格式に合った着物を着て茶室まで赴く形式である。


一方で「茶道団体」の茶会は,亭主が空間ごと客(単なる通行人の場合もある)のいるところに赴き,「江戸茶輪」(4.1.3.参照)のように茶会当日にSNSで告知をし,参加するのに事前予約もいらない。

それこそ「今ここ」で茶会ができるのが「茶道団体」だ。


本稿では,インフォーマントが用いた言葉通りに,筆者が便宜的に「今ここ」と表現している。
ただしそれは,言説や思想面に留まらない。

茶会が行われているのが実際に「今」「ここ」なのである。


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[注36] 茶道で「拝見」というと,茶会の後に茶会で用いられた道具を見ることである。亭主が下がった後に道具が残されており,道具に近づいて見る形式もあれば,客が座っているところに道具が運ばれ,順番に道具を触って間近で見ることができる形式もある。ここでは後者の形式の「拝見」を指している。

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