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2.1. 茶道の前衛性に関する先行研究への批判

「茶道団体」の「前衛性」

茶道教室で教授される点前作法以外のことをしているという点で,「茶道団体」は一種の前衛的な動きだと推測される。
彼らの茶会は実験的で創作的であり,「前衛」という言葉の指すものと合致しているように思われる。

ただし,茶道史における急進的な存在として彼らを単純に位置付けることは,時に現実と反してさえいる。
その理由は以下の通りだ。

否定と破壊を目的としない前衛性

茶道に限らず,前衛性は主に芸術思想の文脈で論じられてきた。

「一連の芸術思潮が,『すべて伝統的なるもの』の否定と破壊を有していた」〔鈴木 2006: 384〕とあるように,多くの芸術は常に社会変革や政治的思想と関連づけられ,現存のものを変えることを目的として行われてきた。

しかし「アート」や「自己表現」という言葉が日常語になるにつれて,必ずしも政治的思想と結びついていない前衛性に関して,政治的視点でのみ論じることは,もはや十全ではない。

もう一点,現状の否定と破壊を目的としていない前衛的活動もあることが,前衛性研究では議論し尽くされていない。


「茶道団体」が対峙する「茶道」

ここで触れておくべきは,仮に「茶道団体」が「茶道」を全否定すると,彼らの存在自体が成立しないという事実である。

疋田は「アヴァンギャルドは,既存の歴史が構築してきたものを強く意識する芸術潮流である。故に(中略),誰が如何なる関係性にどのように対峙しようとしていたのか,という視点を外して考えることは困難なのである」〔2006: 370〕と指摘している。

「茶道団体」の活動が「伝統」的な茶道と比較して前衛的に見えるのであれば,彼らが対峙しているのは「茶道」のどの部分なのかを詳細に追う必要がある。


「伝統」と同時代的に存在する

モダンが無ければポストモダンが無いように,前世代的な遺物が無ければポストモダンは存在し得ないというパラドックスをデューヴ〔2001〕が指摘した。
ポストモダンもいつか古典になる。

しかし本稿ではこのような立場をとらない。

なぜなら「伝統」的な一つのものが終わりを告げて新しい時代が始まっているのではないからだ。

本稿における「伝統的」な茶道と「前衛的」な茶道の二者は,同時代的に存在しているのである。


本稿のインフォーマントが「新しい芸術の存在表明を過去との『切断』の意思表示のうちに求めた」〔塚原 2006: 396〕と解釈するのが正しいだろうか。

この問いは第4章まで留め置きたい。


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