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4.2.3. 「茶道団体」の活動が「茶道」である理由

破壊を目的としない「前衛性」

ここまでに概観したように,「茶道団体」の多くは,歴史上の偉人やエピソードを援用し,自らの活動に正統性を付与していた。(4.2.以降参照)

ここで,第2章で触れた議論を思い起こしてもらいたい。
鈴木〔2006〕が述べたように,前衛的な芸術思想が「すべて伝統的なるもの」の否定と破壊を有していたのならば,上述のような千利休を援用する論理展開は,いわゆる前衛的思想とは方向性が異なる

「茶道団体」にとって,否定と破壊は目的ではないと言ってよいだろう。


部分的な「伝統」の援用

しかし,ここでいう千利休の援用は,決して利休回帰とイコールではない

智子さんは,美術館等に行く理由を「(茶会の)ヒントを探しに行ってるんですよね。当時どういう表現が好まれてた,みたいなことを茶会で言いたい」と説明する。
展示品を見て「現代で考えて言えばこういう意味(に解釈できる)」と考え,茶会のアイデアを得ると述べていた。

しかしそれは「都合のいいところだけ」であり,先人や名物に関する知識の一部を自らの茶会に取り入れているという趣旨の発言をしていた。

全部を取り入れようとした場合は先人への回帰を目指していると考えられるが,インフォーマントたちの目的は異なる。


茶道の「編集」と「活用」

達也さんは「何かを壊してつくるというよりは,ある物を活用する」と述べていた。
流派の「茶道」に背こうとする意図は感じられないが,活用という語は,全てそのまま踏襲するのではなく,部分的な援用を示唆している。


そしてこの部分的な援用作業は,智子さんの言葉で言うところの編集作業である。
彼女は「全然違うものを編集,エディットして持ってくるっていう,もともとの茶の湯の方が面白い」と捉えていた。

逆説的に聞こえるが,既存のものを編集する方が「もともとの茶の湯」だと考えているようだ。


もちろん,部分的にではなく全体の援用を試みるケースもあるが,その場合も模倣が目的ではない。
先人の積み上げてきた知識や知恵の上に,「自分のお茶」を築いていくのである。

翔太さんは「時間もお金も制約されてる中で,一番効率よく,良いものや良い暮らしをつくる」のなら,千利休が一生かけて得た知識や知恵を「学んで受け継いで実践」する方が賢いと述べる。

彼にとっての過去の知識・知恵とは,知識欲を満たすための学習のような,学ぶこと自体を目的とした学習ではない


「僕は千利休とは違うスタイルです」

同時に,先人からの知識や知恵といったリソースは,真似や再現をするためのものではなかった。

インフォーマントは,千利休のような歴史的な茶人を理想(到達点)とする人々とは,姿勢を異にしている。

あるインフォーマントは,「正しいものが分からないと(いけない)。歪んだものでは味わいが浅い。お茶の先生のもとでちゃんとやった上で」と,本人が所属する流派を「正しいもの」と呼んだ上で,はっきりと「僕は利休とは違うスタイルです。(利休は)茶聖って言われてるから,いいものだと思われてるけど」と述べていた。

彼が千利休から始まった三千家 [注30] のうちの一つに所属しており,その流派の茶道教室を運営していることが,この発言を余計に面白いものにしている。

後述するが,字義通りに捉えると矛盾しているように思われることが,彼らの中では全く矛盾していない


「高次の文化」をそのまま受容しない

上記のような,ある既存の文化をそのまま受容しない姿勢については,文化受容Inculturation [注31])という概念で説明できよう。

人々はただ機械的に外来の文物を受容するのではなく,抵抗や編入といった,彼ら自身の文脈における価値判断と意味付けの過程〔高橋 2016: 62〕を経るという説だ。


こうした文化受容に関しては,高次の文化が低次の文化に対し,政治的または軍事的勢力,経済的勢力,文化の発達程度の相違による勢力の違いをもって圧倒的な影響を与えるという図式が立てられていた [注32]。

しかし本稿で見てきたように,優勢な文化を劣位の者がただ受容するわけではないという一例の現代版が,「茶道団体」なのではないだろうか。

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[注30] 千利休の息子がそれぞれ興した,表千家,裏千家,武者小路千家の3つの流派をまとめて三千家と呼ぶ。
[注31] ポリネシアの孤島であるティコピアを調査したファースは,ティコピア人はヨーロッパ的文化を単純に受容し,それによって伝統的文化要素が置換されるという形式ではなく,彼らが能動的かつ選択的に外来の文化要素を取り込み,それを自らの文脈で伝統的文化体系に編入させる形式で対応したという点を強調した。つまりティコピア人は,「彼らの孤立的状況の中で,受容してきたものに合わせて自分たちの文化を成形することをしいられるというよりはむしろ,受容してきたものを変形させることも可能であった」〔Firth1983[1936]: 31〕のである。
[注32] 1935年の社会科学調査会議(social science research council)でR. レッドフィールド, R. リントン,及びM.J. ハースコヴィッツが定めた定義によれば,文化変容とは,異なった文化が生ずる現象を意味する。伝播論は,民族文化の歴史的発展の経過を再構成することに着目するのに対し,この文化変容論では「伝えられた文化要素は如何に受容されたか」という受容の問題に力点が置かれている〔高橋 2016: 62〕。

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