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下手な文章を公開する人の心理(私の場合)

書いた文章が,自分で撮った写真の数千分の1しか褒められない。単純に文章より写真ばかり公開しているからだと思いたい。

しかしどれだけ書き直しても読みづらく,自分でも文章の下手さに驚く。

学生だった2年前も,寝不足を言い訳にできない,日本語ネイティブとは思えない文法で修士論文を書いた。辛々読んでいただいた後の,指導教官の一言。

「全力を出してない人の書くものは整ってるけど,あなたの書くものはいつもいびつで,何かを壊すパワーがある。」

はっきりと,文章がガッタガタだと言われた。その上で内容に関しては,学術雑誌に載せるべく働きかけてくださり,編集スタッフさんとのやりとりも経て,掲載に至った。

著者とライターと編集者に分担されているように,多忙とかで一冊ぶん書けなさそうな著者の場合は,ライターが書く。著者が構成を組み立てられなくても,編集者が仕事をしてくれる。

いびつさを気にして文章を世に出せない人は,著者とライターと編集者の役割を一人で完璧にこなさないといけないと思っていると思う。


でも私はそのうち,何一つまともにこなせない。

修論は一人弱小メディアなので,主題と章構成を考えるところから,校正まで一人でする穴だらけの文章だった。(もちろん,自分で校正しても大してマシにならない)
各工程のどれか一部でも誰かに任せられるなら,とっくに任せていたはずだ。こういうネットの文章でも同じく。

文章のいびつさは自他共に認める。それでも,未だに指導教官の言葉を思い出しては,いびつであることすら言い訳にできないと思い直す。文章がガタガタのまま,それごと肯定してもらえたのは初めてのことだったから。

きっと文章に限らず,どこも完璧でないこの「いびつさ」が,逃れようのない自分なのだと思えた。

文章を出さずに萎縮することは,いびつでない自分を期待されているかのような思い上がりだった。
私本人がいびつさに気づいていなかっただけで,私の文章が整ってることなど誰も期待していない。


指導教官の一言に付け加えるなら,私は何かを壊そうとして文章を書くことはない。
定期的に吐き出さないと,いびつな頭が壊れそうなだけなのだ。


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