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4.6.1. 流派との共存を巡って

組み込み(Incorporation)理論

ある流派では,家元の教室で直々に指導を受けられる研修を行っている。
そこに参加すると,より家元に近い人々と顔を合わせることになる。

その研修に参加してきた大輔さんは,「茶道団体」の活動が家元側にも知れ渡っており,家元筋の人々が「茶道団体」の活動に理解を示していたと語る。

ただ,大輔さん本人が「本質的に受け入れられてるか分からないですけど」と付け加えたように,「茶道団体」を面白いと受け取ることと,活動の内容を認めることは別問題であろう。

仮に本質的には受け入れられていないとすれば,ここでの家元側の反応はどう解釈すべきであろうか。

思い当たるのは「組み込み(incorporation)[注51]」である。

この用語は「抵抗的もしくは革新的文化形態(ファッションや音楽,オルタナティブ・コメディ,アバンギャルド,様々な抵抗的抗議など)が,文化産業や政治的権威によって取り上げられ,商品化されるプロセス」〔ブルッカー 2003: 64〕を指す。

具体例としては,ダメージジーンズや「パンク」といったストリートカルチャーが挙げられる。
登場した当初こそ衝撃的だったが,すぐさま文化産業によって商品化されたことにより,その衝撃はすぐさま鳴りを潜めた [注52]。

つまり抵抗的もしくは革新的な文化形態も,文化産業や権威に取り込まれていくという構図がこの「組み込み」である。


「40歳からは自分流をしなさい」

ここで,「茶道団体」の形態ではないが,独自の「お茶」を追求している茂さん(60代前半,男性)の例を挙げたい。

千利休の教えの一つに「40歳からは師と離れて,西と東を違えてしなさい。40歳までは『茶道』をして,そこからは自分流をしなさい。そこに『茶の湯』がある」というものがある。

当時40歳だった茂さんはその教えを守った。

そして,当時所属していたその流派にはいられなくなった。

流派を離れてから23〜4年が経った現在,茂さんは流派側に呼ばれて「裏千家の道場(教室)で点前することに」なったようだ。
流派側が茂さんを呼んだのは,流派にとっての「進歩」だと本人は考える。

では,20年以上の空白期間を経て,なぜ流派サイドは茂さんを呼んだのだろうか。


自分の茶も「千利休のスタイル」であること

かつては茂さん自身も,「茶道団体」のように「お茶」のワークショップを企画していた。

その内容は「点前を作るワークショップ」や,自分自身のアイデアで茶会行うことを提案するものである。

茂さんが流派に所属していた頃,そのワークショップを行おうとすると,何かしらの”間接的な理由”によって,そのワークショップが中止に追い込まれたそうだ。


ただし,いくら新しく「点前を作る」といっても,茂さんの「お茶」は千利休が大成した侘び茶に基づいたものであると本人は認識している。

千利休から始まった流派が侘び茶のスタイルを否定することは,流派自身の「茶道」を否定することと同義であると茂さんは語る。

茂さんのワークショップが,一見既存の茶道を崩そうとするものに見えたとしても,茂さんのスタイル自体は千利休のスタイルであるという主張だ。


これは第4章(4.2.1.参照)における「茶道団体」の代表者たちの理論と一致する。
本稿のインフォーマントも,千利休との共通点を挙げ,活動の正統性の裏付けとしていた。


「組み込む」側と「組み込まれる」側(1)

茂さんは,流派も「昔ほど(茂さんのような人々を)邪険にできない部分」があると語る。[注53]
だからこそ20年以上の空白期間を経て,いま流派に呼ばれたのだと本人は解釈していた。


流派の「茶道」を否定しては,団体が「茶道」としては成り立たないという,インフォーマント側から見た茶道界の構造をここまでは描写してきた。

しかし茂さんの事例を見れば,逆も然りであるといえるかもしれない。

「取り込み」は流派側から「茶道団体」に対して起こるものだと考えられてきたが,流派も「茶道団体」を否定していては成立しなくなりつつあるのではないか。


「組み込む」側と「組み込まれる」側(2)

茂さんが流派に所属していた頃から現在まで,上述のような流派との摩擦はあった。

しかし茂さんは「流派のことを斟酌できるのは僕だけ。批判もしてない」と述べた。
そこには,茂さんのような流派と流派外の中間に位置する存在こそ,茶道の存続に貢献できるという自負が見られる。

茂さんのような,長い間流派から独立して「お茶」を続けてきた人々の事例は貴重だ。

20年前に「茶道団体」のような実験的な「お茶」を行っていたら,何が起こっていたかを物語っている。


そして今,茶道界における「取り込み」の図式は,20年前ほど単純なものではなくなった


茶道界の外部と内部の協働

洋平さんが自身の活動を流派への「恩返し」と表現したように,インフォーマントは「茶道団体」の活動が流派に貢献するものだと考えている。

智子さんが「(茶道が)消えていくとすると,残しておかないと,何かが失われるとは思ってる」と述べたように,いわゆる流派の外部であるインフォーマントのような人々も危機感を持っていた。

インフォーマントも,一人ひとりが流派の存続について考えている様子も窺えた。

茶道界の存続は,その歴史的にも家元単体で為し得てきたことではなく,禅寺や財閥,女学校といった外部組織との関わりの中で為されてきたものである。

歴史上繰り返されてきたように,茶道の生き残りは,流派の中と外の共同作業にかかっているのではないか。


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[注51] 類義語の「取り込み(co-option)」や「包摂」などもincorporationの訳語として見られる。ブルッカーいわく,「現代社会は衝撃に対して免疫をもっており,それに対するいかなる抗議も短命で,急速に力を失うものだと思われている」〔2003: 64〕。
しかしロバート・メイプルソープの写真や,マーカス・ハーヴィーが描いたマイラ・ヒンドリーの絵に対する人々の反応を見れば,この「組み込み」の概念は過度に単純化された議論であることも伺える。
[注52] 「オルタナティブで対抗的な声のこうした取り込みは,後期資本主義の吸収力の証明であり,また文化的・政治的批判のいかなる前衛的な身振り・戦略も無効だということを証明する」〔ブルッカー 2003: 64〕。
[注53] 従来と異なる価値観を家元が潰すと,「自分(流派自体)の芽も潰すことになるから,家元も無視できない」と茂さん自身が説明していた。その根拠としては,現代の勢いのある外国人茶道修練者などを例に挙げ,このままでは茶道が「家元規模では収まらなくなる。従来ではない価値観が必要」であると結論づける。

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