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【やんなる短歌】まとめ③

-はじめに-
「やんなる短歌」とはごご茶が作った短歌の愛称のようなもの。嫌になっちゃう…やんなっちゃう…やんなる!という気持ちの時に短歌を詠むことが多い為この名称になった。たまにやんならない気持ちの時に詠んだ短歌が混ざるのはご愛嬌。

西瓜には遠い夏の日詰まってる
切ればたちまちタイムマシンに

毎年夏になってあの瓜科独特の匂いをかぐ時、遠い昔の子供の頃に食べたスイカのことを思い出します。具体的に言うと、私の場合は夏休みに行った九州のおばあちゃんの家の光景。
細かい場面設定は違っても、みんな一人一人“スイカを食べていた夏の記憶”って何かしらあると思う。
夏といえばスイカ、スイカといえば夏!国民全体で“ある一つのイメージ”を共有できるのって改めて考えると凄いことだなあ。

日曜の朝はいいこと起きそうで
何も起きずに日曜の夜

早起きできた日曜の朝!天気も晴れ!今日はなんでもできそうな、何かいいことが起きそうな気がする!
…とか思ってたら、家事やネットサーフィンや読書してる間にもう夜。結局いつも通りの何もない一日やん!という気持ちの短歌。
最後を、“日曜の夜”にしようか“月曜の朝”にしようか少し迷いました。

起きてこぬ家族の食事を作り 居
ひとりの私と夏の 朝あした

これも日曜日に浮かんだ短歌。休日の朝、地味にストレスなんですよ。起きてくるのかこないのか分からない家族の朝食を用意するのかしないのか問題。
でも誰もいない休日のリビングは私の貴重な瞑想&創作時間だったりします(だから敢えて無理矢理起こす事はしないw)。

虫取って飼って殺してまた取って
飼って殺してまた取ってくる

これは太古の昔から子どもあるあるかなー、と(勿論虫さんには敬意を払いつつ)。
だから、こういう行為をする子やご家庭がダメだと批判したい訳ではありません。そういう事実があるなぁ…という生活の一部を切り取って詠んだ短歌。
ちなみに息子はそれほど虫が好きじゃないので、取ってきた虫を「飼いたい」と言った事はありません。自分自身が“虫取って飼って殺して”タイプだったので、覚悟していたものの少し拍子抜けしました。

学校が嫌という子を見送った
朝顔に水泣いてるみたいな

久しぶりに「学校行きたくない」と言いだした息子をどうにか送り出した朝の短歌。ちょうど水をやった後だったので朝顔が泣いてるみたいに見えました。
嫌がったのはその朝だけで、翌日以降は復活。ほっと一安心しつつ、「そっか、じゃあ休んでいいよ!」と言ってあげられない自分の対応に、これでいいのかといつも迷ってしまいます。流石にいじめとかあれば休ませてあげたいけど、ただ「なんとなく嫌だ」で休ませていいのか…と考えてしまって。毎日ブレブレ。

壊れたら終わりだという人達は
甘やかし過ぎも良くないという

上のような出来事があった時に色々悩んで人の意見を聞いたりネットで調べてみたりして。そうしたら両極端な意見なんかも出てくるわけで。
優柔不断な私は「どちらも一理あるな」なんて思ったりして結局ドツボにハマっていくのです。
どの意見も正しいし正しくない。息子に、私に合っているかはそれこそオーダーメイドで取捨選択していかねばならないのだ。
…と頭では分かっているものの…ねぇ(泣)

必要とされていないと感じつつ
2、3度すがる確かめるため

生きていれば「あー、この場所で私っていてもいなくてもいい存在だな」「あー、この人達にとって私っていなくてもいい人なんだろうな」と薄々気付いてしまう事がある。
でも、そうじゃないのだと信じたい。自分もここに居ていい存在なのだと思いたい。私の被害妄想かも…私ってば慌てん坊だから…テヘペロ☆って言いたい。
だからさりげなーく話しかけたり行動したりして確かめてみる。大体予感は当たるんですけどね(笑)そんな悲しい人間の(私の?)さがを詠んだ短歌。

-おわりに-
短歌や俳句は、読者に解釈を委ねるほうが十人十色の味わいがあって楽しいと思うのですが…自分で解説つけちゃいました(甘栗むいちゃいました、みたいなライトなノリで敢えて言う)☆

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