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実はコロナに罹ったことがある話

昨日は感染対策についての持論を徒然なるままに書いてみましたが、そんな自分も、実はコロナに罹った経験があるのです。

2020年2月。あれはまだ、コロナというものが対岸の火事だった頃のこと。

豪華客船で初の国内クラスターが発生して、少しだけ巷がざわつき始めたかなという時期に、大阪のライブハウスでクラスターが発生したというニュースがあったのを、皆さんは覚えていますか?

未知のウィルスに対して、誰も、こんなにも長い間、世界を苦しめるなんて思っていませんでした。花粉症もしんどいしマスク付けておこうかなぁ。大多数がそんな程度で、マスクをしている人の方が少なかったんじゃないでしょうか。

事の発端は2月半ば。

この2年ですっかり劇場の民と化しておりますが、それまでは専らライブハウスの民でした。大型の音楽フェスにも足繁く通い、時には遠征し、爆音ジャンキーとして推しバンドを追っかけて楽しく生きていました。

その日も、推しバンドが数組出演するライブイベントが二日間開催されるということで、友人と一泊二日で大阪遠征を敢行。2日間ともライブは夜だったので、昼間は海遊館へ行ったりカレーを食べたりスパに行ったりと、全くもって"いつも通り"の遠征旅行を楽しみました。

唯一、いつもと違うことと言えば、前夜に別件で珍しくオール状態だったこと。仕事終わりから地元の仲間内の飲み会になだれ込み、明け方帰宅してほぼ寝ずに遠征準備をして午前中には品川駅から新幹線乗車という、自業自得の強行スケジュール。睡眠大事。今思えば、その一言に尽きます。免疫力大事、これほんとに。どんなに気持ちが元気でも、身体は疲れているんです。現代人はなんやかんやで忙しい。皆さんどうぞご自愛くださいね。

話を戻して、2週間後の2月末。

そのライブイベントに居た人のコロナ発症が判明、参加していた人は出演者参加者ひっくるめてほぼ強制的にPCR検査という世の中の流れに巻きこまれ、あれよあれよと自分も陽性が判明して即隔離!入院してください!となっちゃったのでした。

今でもわからないんですよ、本当にそこで感染したかどうかなんて。ライブハウス以外にもたくさんの所に出向いているし、もちろん仕事にも行ってたので毎日通勤ラッシュでもみくちゃにされてましたし。でも陽性は陽性!保健所からは入院準備早うせいって要請!DJマツザキ風にお送りしました。

いや~しんどかったな~。何がって、元気なのになーーーんにもすることがなく、約一か月閉じ込められっぱなしだったことが、です。入院した時にはほぼ無症状だったんですよ、自分。
大阪行った次の週くらいに、カーンと一晩高熱が出て、そのあと暫く嗅覚がどこかにいっちゃってた以外は、めちゃくちゃ元気だったんです。極限まで疲れると熱を出すことがよくあるので、発熱もそれだろうし(寝不足で遊びまわった)鼻も、今年の花粉はえげつないな~くらいの印象でした。

最初の数日は良かった。「すぐ迎えに行きます」って言われて焦る中で詰め込んできた文庫本をしこたま読み漁って、久しぶりに夏休みみたーい!とかっていい気分でした。まあ1~2週間でさくっと退院できるでしょ、と高をくくっていました。甘かった。

もう皆さん感覚麻痺して覚えてないかもしれないですが、あの当時はそれはそれは厳しかったんですよ、ええ。陰性反応が連続2回出ないと退院させてもらえなかったんですよ。今じゃ信じられないよね~。結局こんなふうになるんなら、あの時のぎっちぎちな締め付けは何だったのかと。わしゃあ何のために閉じ込められたのかと。

一回陰性になって、二回目また陽性。5日間くらい明けて再検査して、陰性。次も陰性なら退院だ!ってなったあとに、また陽性に逆戻り。

30超えたいい大人が、大人(医師・看護師)の前で大泣きするってなかなかないですよね。いやぁ、でもあの時は本当にぽきっと心の折れる音が聞こえたんだよなぁ。

だってこんなに元気なのに!空もこんなに青いのに!すぐそこにアトラスタワーも見えるんだ。あの街には大好きなひと達が住んでるんだ、桜咲いたよって皆連絡をくれて、はよ出てこいお花見しようやって言ってくれて、なのに、出られなくて。推しの舞台も観に行けなくなっちゃって。

咳も鼻水も痰も出ないんだから、マスクしとけば誰かに移す可能性だって低いじゃん。せめておうちに帰りたいですって何度言っても当たり前だけど出られなかった。今はこんなにがばがばなのにねぇ。なんだかなぁってね。

自分は、嗅覚もちゃんと戻ったのは不幸中の幸いだったのかなとは思います。あと、毎日のように電話やLINEで繋がってくれた妹の存在も大きかった。感謝感謝感謝。

結局、退院できたのは約一か月後でした。かなり理不尽に失われた3月。
まださ、感染拡大した今みたいな状態で、対策してたけど罹ってしまったよ~というなら、まあ諦めもつくし仕方ないなぁと思えたと思うんです。でもねえ、本当に一方的にぶん殴られたみたいな感じだったから、誰に当たることも出来ないし、自分を責めるような状況下でもなかったしで、しばらくはずーっと心がささくれていました。

ほんとう、何の時間だったのアレ、と、今でも思いますよ。採血や検査の一回くらいあればまだねえ、ああ世のため人のためにもなるのかもしれないなと思えたんでしょうけど、なーんにもなかった。何の役にも立てなかった。

日々健康に規則正しく起きて三食食べて寝て、本来なら幸せをかみしめて然るべき状況なのに、気が狂いそうだった。いや、実はあの時に自分は気が狂ってしまったのかもしれない。

なんせ、それ以降、予定のない一日を家で一人で過ごすことが本当にできなくなってしまいました。心も身体もこんなにも元気なのにどこにも行かない、何にもしないでいる、ということが、もう、耐えられない。それこそ発狂しそう。予定のない土日なんてもう最悪。むりむりむりむり!!ということもあって、趣味と実益を兼ねて、土日はカレー屋さんでお手伝いを始めたりしたりして。

そして死生観というか、物事の考え方の根幹も激変。離婚を機に変化の片鱗は感じてはいたけど、一気にブーストした体感。またいつ何時、自由を取り上げられてしまうかわからないから、明日、今と同じように生きていられる保証なんてないから、じゃあ、今日という日を一番大事に楽しんで生きてやんよ、って。その日暮らしといったらちょっとニュアンスが変わるかもしれないけれど、先のこと考えて躊躇するのは勿体ないと思って生きるようになりました。今だ、今。なによりも大切なのは、今。そんな気持ち。無論、他人様に迷惑かけるようなことは慎む。これは当然の理性。

そんな日々も、もう丸二年も前のことになりつつあるんですね。びっくり。

二年経ったのに、まだみんなコロナと闘ってるんですね。誰も予想してなかったことだよなぁ。一日でも早く。何の気兼ねもなく深呼吸できる日が来るといいなぁ。

連日増える数字ばかり見ていると、明日は我が身かと心も萎えてきちゃいますが、自分で自分に胸張れるくらいの対策をしていくしかないんだと思います。ここまでやってたんだからもう仕方ないね~って笑い飛ばせるくらいのことを、してみたらいいと思います。今を大事に。

なんだか取り留めも無さ過ぎてむりやり締める感がものすごいですが、とりあえず自分は、コロナに罹ってすったもんだあったけれど、そのおかげで、今めちゃくちゃ楽しく生きられています、というお話でした。

眠る前に、あ~今日も楽しかった!良く生きた!もし明日の朝目覚めずにこのまま息絶えても、我が人生に一片の悔いなし!!って思える今日を、生きていきましょうよ。ね。

ちゃんちゃん。


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