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形式的平等主義からの脱却

先日、前文部科学副大臣の鈴木寛氏からお話を聞く機会がありました。
その時に特に印象に残ったのが「学校が抱えている形式的平等主義からの脱却」というフレーズです。

昨年の臨時休校の際には、特にもこの部分が学校の足枷になってしまった場面が全国的にも散見されました。
例えば、オンライン授業に対して積極的な先生がいるのに、できる先生とできな先生がいた場合にクラスによって不公平が生じるので、できる先生にストップをかけてしまう。
また、クラスの大半の児童生徒がオンラインできる環境にあるにも関わらず、一部の児童生徒の通信環境が整わないので、オンライン授業はやらない。
そのような状況に危機感を感じた文部科学省の情報教育担当の課長が学校関係者向けに「できることから、できる人から」「既存のルールにとらわれずに臨機応変に」というメッセージを出して訴えたことも大きく報道されました。
(文部科学省説明会での全文文字起こしの記事)
https://note.com/mmeducation/n/n9ab23ea5a385

これこそ学校が抱える「形式的平等主義」の典型だと思います。オンライン授業を受けることのできない生徒がいるからやらない、という一見すると平等ではありますが、代替案がなく結果として子ども達の学びの保障が損なわれるのであれば、形式的と言わざるをえません
できない先生がいるのであれば、できる先生ができない先生の分のクラスまで含めて一斉にオンラインで配信してもいいですし、難しいのであれば、オンライン朝の会だけでもいいので、できる先生が場をセッティングをしてあげて、できない先生もできる範囲で取り組んでみる。
パソコンやオンライン環境が整っていない家庭があれば、その家庭の子供だけ個別登校させたり、その子だけは家庭訪問や電話でフォローする。
完全な平等ではなく、ベスト(全員にLTE付のタブレットを配布する)でもないのかもしれませんが、納得解を得ながら、不平等ながらも生徒の学びと安全安心を保障するという目的に向けて取り組むことが必要だと考えています。

一方で、学校の教員をやっていた身としては、この辺りの難しさは肌も感じているところです。
そこで鍵となるのが、学校運営協議会をはじめとする外部の力であり、鈴木寛氏もインタビューで「20世紀型の形式的平等主義で運営してきた学校教育は、それぞれの子に応じた学びのカスタマイズがまだまだ苦手です。ですから、学校教育での取り組みは大前提として、営利/非営利を含めた民間教育の力が必要なのです」と語っておられます。
(鈴木寛氏インタビュー:未来の教育は「地域一体」「民間の力」が鍵)
https://coeteco.jp/articles/10563

先日、岩手県でも教育委員会でオンラインの活用について通知を出しています。これまで教員に伝えていた内容を改めて保護者宛てにメッセージとして伝えることで、学校が柔軟に対応しやすくすることが目的です。
教育委員会が学校の「形式的平等主義の脱却」を後押しできる存在になりたいです。

(NHKの記事抜粋)
「さらに実際に臨時休校や分散登校になった場合にはすべての教員や生徒の準備が整うのを待たずに可能な範囲からオンラインでの授業を実施するほか、通信環境が確保されていない生徒については個別に登校してもらうなど柔軟に対応するとしています。」
https://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/20210827/6040011887.html

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