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学校で子ども達に時間をかえす(意思決定の機会をつくる)

先日、経済教育を推進する一般社団法人CEE(Council for Economic Education)の方からお話を聞く機会がありました。
たくさんの貴重なお話の中で、私が特に心に刺さったキーワードは「選択と意思決定」です。経済教育とは、単に経済活動を学ぶということではなく、児童生徒が主体的に選択と意思決定できる環境をつくることだと教えてもらいました。

自身が中学校の教員をしていた頃を振り返ると「選択」の機会は比較的用意できていたのではないかと思います。学級活動や授業の場面でも、AかBかを生徒が選ぶことは少なからずありました。
もちろん、主体的・対話的で深い学びの必要性を感じている今では、それさえも不十分で、結局は多数決の中での選択でしかなかったと反省しかないのですが、それでも選択の機会はできる限りつくろうとしていました。
一方、「意思決定」に関して言えば、当時はそんな場面をつくろうともしていなかったと思います。

選択と意思決定の違いを説明するのは難しいですが、私が話を聞いて納得したのは「意思決定とは結果が良くも悪くも自分にかえってくる」というものです。
企業における意思決定の場合、得るものや失うものは「お金」になるでしょう。企業の選択によって、利益を得られることもあれば、投資を回収できないこともあります。機会損失や時間損失も、お金に変換することができます。

児童生徒は、自らの意思決定により「お金」を失うことはありません。しかし、有限な「時間」を失うことはあります。そして、その結果は全て自分に返ってきます。
自分の「時間」を勉強に当てるのか、スポーツに当てるのか、漫画やゲームに当てるのか、どれを選ぶのかによって将来は大きく変わります。もちろん、人生に無駄な時間などありませんので、何かしらは自分に返ってきます。
でも、将来の選択肢を広げる、狭めるという観点では、やはり時間というものをどう使うのかはとても重要な意思決定になるでしょう。

そう考えたときに、私の頭に浮かんだ問は「学校は児童生徒に自分の時間を自分で何に使うのかを選択し、意思決定させることができているのだろうか」というものでした。
その問に対する自分の中の答えは「No」でした。逆に、学校は児童生徒から時間を(強制的に)集めて、等しく分配しているイメージが頭に浮かびます。
無駄な時間を過ごさないという意味で、その方がリスクは少ないのかもしれません。でも、そこに児童生徒の主体性はあるのでしょうか。そんな状態で子ども達に意思決定をさせることなど、できるのでしょうか。

これは、学校や教師の問題というよりは、今の学校教育システムの全体問題なのかもしれません。
教育を所管する文部科学省は、財源(お金)がないと嘆きますが、全国1000万人以上のこの国の未来を担う子ども達の「時間」に影響を及ぼす権限と責任を有していることをもっと自覚すべきだと、自戒を込めて強く感じています。

もちろん、全ての時間を子ども達に返すべきだとも思っていません。特に、スマートフォンの普及により、時間は子ども達の自由意志の及ばない領域になりつつあると感じていますし、家庭・学校とスマートフォンとで、子ども達の時間の争奪戦をしているというのが私の印象です。

でも、だからと言って、子ども達の時間を学校が独占すべきではないことは明らかです。
学校で子ども達に時間をかえすために何ができるのか、何をしなければならないのか。
学校教育に関わる全ての関係機関が向き合わなければならない問だと思います。

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