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「寝そべり族」は公園で寝そべっているわけじゃない
『推し活はかどる中国』をパラパラとめくっていたら、「躺平」も取り上げられていた。著者のはちこは「躺平」の日本語として「何もかもどうでもよい」を当てている。
学校や職場での過競争(内巻)に対抗する言葉で
(中略)
「躺平」も若者の自虐で、(日本メディアの取り上げ方は)一種のジェネレーションギャップである。
日本のニュース番組などは、公園で寝そべっている人たちなどの映像を使って説明された影響で、本当に日中公園へ行って、一日中寝そべってを過ごしているような印象を持っている人がいるかもしれない。
「躺平」については、中国国内でもおもに上の世代から、こうした若者の消極的態度を批判する風潮が強いと『シン・中国人』で斎藤淳子が述べている。
中国社会では、競争は人々をあらゆるシーンで管理している。過去30年間「頑張ればもっと得られる」と信じ主体的に走り、得るものがあった時は良いが、今は競争でやむなく走らされていると人々が感じ始めている。「寝そべり族」は、そんな新しい段階に中国が入ったことを象徴する言葉なのかもしれない。
中国の競争社会を象徴するエピソードだと思ったのは、オリンピックのメダルに対する考え方だ。
日本でも是非はともかく、メダルを獲得出来るか否かが重要で、メダルを獲得した選手と4位以下の選手へのメディア対応がまったく違うことがある。
ところが、中国では「金牌=金メダルしか価値がない」とされる風潮があるらしい。銀メダルや銅メダルを獲得した選手が、金メダルじゃないから意味がない、と肩を落とす場面も少なくないらしい。
思えば、歴史的にも科挙のトップ合格者を「状元」と崇めたり、トップへのこだわりは日本より相当強いといえる。
私の90後(1990年以降生まれ)の友人も
必ず夢は叶う!とか、頑張れば必ず!とか、もうそんなアメリカンドリームみたいな映画はもう見たくない!という。
親世代の期待を一身に背負って終わりなき競争に巻き込まれた若者たちが、
「もううんざり。もうどーでもいいわ」と「躺平」したくなるのもわからないではない。
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