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【エッセイ風連載小説】Vol.16『その謎はコーヒーの薫りとともに夕日に解けて』

Vol.16
九回表「恋も流行りもキョリ感は大切に」


 
東京国立博物館の特別展を観終えたカレは、その興奮冷めやらぬまま上野恩賜公園内のカフェ『O』にいた。他にも国立西洋美術館や国立科学博物館など、いくつかの美術館、博物館、そして動物園をも有する日本最古のこの公園は、都会の森であり、知識の森でもある。
 
窓際近くのテーブル席で特別展の図録を拡げ、カレは鑑賞の余韻に浸っていた。
 
「やっぱ私、見る目ないのかな」
「ってか、アレじゃいいとこ見つけるほうが難しいよ」
 
隣のテーブルから聞こえてきたその言葉は、図録に夢中になっていたカレのその視線を遮るかのように目の前を通り過ぎ、しおりとなってページに挟まれた。さりげなくカノジョたちを見ると、カレと同じ展示の図録やグッズを持っている。
 
「見る目ない」という言葉からカレが連想したのは、展示についての感想だ。
 
自分も誰かと一緒だったら、こうしてカフェでコーヒーでも飲みつつ、その誰かと鑑賞後のおしゃべりを楽しめるのにな、とささやかな妄想をしてみる。しかし、作品に対して「いいとこ見つけるほうが難しい」とはなかなか手厳しい。
 
「なんか雰囲気よさげだったし」
「あのさ、絵は雰囲気でもいいけど、オトコは雰囲気で判断しちゃダメでしょ」
 
───ん?
図録を拡げながらカノジョたちの会話のページをめくっていたカレだったが、全く見当違いのところを開いていることに気づき、慌てて別のページを開き直す。
 
そう、それは「展示の作品について」ではなく、カノジョたちが「先週合コンで出会ったオトコについて」の話だった。
 
「ちょっと話せばわかるじゃん?流行りモノ追っかけてるだけの中身スッカスカのミーハーオトコだって」
「美術館とか博物館とかたまに行くって言ってたから・・・だって美術館や博物館に行くオトコって魅力3割増しじゃん?」
「スーツじゃなんだからさ」
「それに、ちょっとチャラそうな雰囲気だけど、実は美術館や博物館行くって聞いたら、ちょっとオッ!ってならない?」
「こないだ映えスポット行ったとか、映えメシ食べたとか、芸能人の誰かに会ったとかさ、とにかく流行りモノとか話題になってるコトが大好きで自慢したがりの、しょーもないミーハーマウントオトコに萌えも映えもトキメキもなくない?普通」
「言われたらそうだけど・・・」
「それに、見た目も3割増しだったし」
「どういうこと?」
「夜の闇が見た目を盛ってるってこと。薄暗いとこで見たら誰でもそれなりに見えるじゃん」
「・・・けど、流行りモノとか場所とかよく知ってるから、それなりに楽しくていいかもよ」
「タグるかタブればよくない?カレの場合、未だにググってそうだけど」
 
トレンドを常に意識しチェックすることはモテテクだとばかり思っていたが、一概にそうとも言えないのかもしれない。そう、今は誰もが指先ひとつであらゆる最新情報を手に出来てしまうのだ。
 
「映えスポットに行くことや、最新の話題を知ることがゴールだと思ってるオトコが多いけど、実はそこからがスタートだからさ」
「どういうこと??」
「だって、映えスポットや最新の話題をただ見せたり話したりするのって、せっかくのプレゼントをむき出しのまま相手に渡すようなもんじゃん。映えスポットをどう魅せるか、最新の話題をどう披露するかがキモなわけよ。ま、そのあたりのオトメゴコロをくすぐれるオトコはなかなかいないんだけどね・・・」
 
カノジョはボヤき、短いため息をつきつつ、言葉を継ぐ。
「人間を人間たらしめてるものって考えたら、やっぱ『考えること』じゃん?考えるアタマがあるから人間なんだよ。『考えるあし』とも言うしさ」
 
「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは『考える葦』である」

自然の中における人間の存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表した、フランスの哲学者パスカルの言葉である。
 
「歩くグーグル君もさ、きっとモテたかったりマウント取りたくて流行りだのトレンドを追いかけてるから、そこだけ見れば何となくアタマ使ってるように見えるけど、実は何にも考えてないんだよ。だってそうじゃん、流行ってたり話題になってるそのモノやコト自体に興味があるんじゃなくて、流行ってたり話題になってるっていうその事実だけに興味があるわけだから」
 
そのオトコにとってのすべての判断基準。
 
それは「今流行ってるモノ」
そして「今話題になってるコト」
 
ネットやテレビ、雑誌など、情報はそこかしこに、これでもかと溢れている。そうした情報を人は日々取捨選択し、その結果がそれぞれの個性やセンスとなってその人を形成している。
 
しかしそのオトコの場合、今流行っていることが「正義」であり、今話題になっていることが「正解」なのだ。
 
そのことに何の疑問も疑いも抱くことがないばかりか、そうした「流行り」という名の波に乗り遅れまいとサーフボードを手に走り、「話題」という名の電車に乗ろうと、必死にその電車を追いかけ、飛び乗る。
 
「例えば、服の話をすれば『今年のトレンドはこのカタチでトレンドカラーはこの色』とか、ゴハン行く時も最近話題になってるお店だから行くとか、みんなが持ってるからスマホはiPhoneが常識でしょ、とかね」
 
自分が選んでるように見えて、実際は世間や周りの多数派が支持するものを盲信し、それにつき従っているだけ。
 
自身のココロが悦ぶことよりも、自分が優越感に浸り、他者に対してマウントをとれることだけが目的である選択をしていることに本人はどれくらい気づいているのだろうか。
 
「本人は流行りとか話題を誰よりも早くキャッチする自分をイケてるって思ってるのかもしれないけど、傍から見ればそんなものの価値なんて流行ってる間のそれこそ一瞬じゃん?そもそも、その人が流行らせたわけでも話題を沸騰させたわけでもないわけだし。なのに、まるで自分の手柄みたいなドヤ顔って、なんか見てて痛々しいし本当に可哀そうだなって思う」
 
カレは想像してみる。
考えているようで何も考えてない・・・というよりカレ自身、ふと気づくと考える隙を与えてもらえないような感覚に陥るときがある。
 
ひとたびスマホを開けば、さまざまな情報が勝手に向こうから飛び込んでくる。そして、それを何となしに読み、何となく理解し「世界を」「時代を」「知識を」「今というトレンドを」わかった気になっている。
 
もし、そこで一旦立ち止まって考えようとしなければ、すぐに次の情報が飛んでくる。そう、スマホを開いているかぎり、朝から晩まで。まるでわんこそばでも食べるかのように、自分で蓋を閉じない限り「情報のおかわり」は続くのだ。
 
しかも、自分が意識的にスマホやパソコンで検索する事柄によって、その趣味嗜好はネット上で学習され、その後は自分で検索するより早く、向こうから勝手に自分好みの情報が届くようになる。
 
人はますます考える機会を奪われ、いつしか「情報の奴隷」になっていく。意識することなく、無意識のうちに。
 
「スマホ片手に、流行りモノとか話題のモノに縛られて思考停止になってるオトコは論外だけど、実際はほとんどの人がどんどんモノを考えなくなってきてるんじゃないかって気がするんだよね」
 
電車に乗った時、ふと周りを見るとほぼすべての人がスマホを見ている。待ち合わせ場所で友達を待っている時もそう、何かの行列に並んでいる時もそう、気づけばみんなスマホ画面に没入している。
 
自分が好むネット記事を読み、好きな動画を観て、好きな音楽を聴く。まるでステレオタイプの風刺画を見せられているようだ。
 
「家でも外でも、それこそどこでも自分の好きなものに囲まれてるって幸せなことなのかもしれないけど、外でも自分だけの世界に浸り続けるのって果たして、人として正解なのかなって思う」
 
カレはふと数か月前の自分を思い出す。

とあるカフェでカレはイヤホン越しにある言葉を聞いた。それは・・・

                    つづく

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