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毎日がホラーな夜


私には、ここ数年続いているナイトルーティンがある。
 
ナイトルーティンとは「夜の習慣」を意味し、毎日決まって行う一連の流れのこと。
 
私のナイトルーティン、それは読書
寝る前の読書にはストレス緩和やリラックス効果があるとされ、さらには安眠が期待できる上に記憶力も向上するなど、まさにいいこと尽くしなのだが、私の読書に限って、そうした効果は薄い気がする。
 
なぜなら、毎晩私が読んでいるのは気持ちがおだやかになるようなエッセイでもなければ、心健こころすこやかになるような小説でもない。
 
私が夜な夜な求めるのは「怪談話」、「怖い話」を読んでいるのだ。自分でも訳が分からないほどドハマりし、やめられないのである。
 
そもそも怖い話を読むと、ほぼもれなくゾクゾクドキドキするため、頭は覚醒かくせいする。ストレス緩和やリラックス効果、そして安眠効果とは真逆の脳内活動が行われているであろうことは容易に想像がつく。とてもじゃないが夜寝る前にすることではない。自分のことながら少し心配になる。
 
振り返れば、もともと怖い話が好きだった。
小学生から高校生ぐらいまでの夏休み期間、決まってどこかの局で「怖い話」が放送されていて、まさに「怖いもの見たさ」でテレビにかじりついていた。
 
ただ、だからといって心霊スポットに行くことはしなかった。たまたま近所に心霊スポットだったり廃墟がなかったからなのかもしれないが、今思えばそれは賢明な判断だったかなと思う。
 
例えば、目の前からヤンキーな人が歩いてきたとする。物珍しさでヤンキーを見たとしよう。「何見てんだコラ!」「今ガン飛ばしただろ!」などと因縁をつけられ絡まれる可能性が出てくる。
 
興味本位で心霊スポットに行けば、いつ霊に絡まれ、因縁をつけられるかわからない。まさに「触らぬ神に祟りなし」である。
 
もともとは、夜なかなか眠れなくて始まった読書が、いつから怖い話縛りになったのか、その理由は定かではないが、気づけば毎日夜が来るのを楽しみにしている自分がいた。
 
今夜はどんな怖い話が私を恐怖のどん底へ突き落としてくれるのだろう・・・と毎日寝る前が一番ワクワクする時間になっていた。
 
夜の読書はタブレット一択いったく。最初のうちは「怖い話」「怪談」といったキーワードで検索し、ヒットしたページに書かれている話を読んでいたが、そのうち読書のサブスクであるAmazonの読み放題プラン(Kindle Unlimited)の怪談本を読み漁るようになった。
 
Kindle Unlimitedは凄い。読み放題の怪談本が無数にあるのだ。例えるなら、お菓子好きな人がお菓子の家にいるようなもの。右を見ても左を見ても、上も下もすべてお菓子。手を伸ばせばいつでもお菓子が食べられるように、Kindle Unlimitedは指先ひとつで私を毎晩怖い話の世界へといざなってくれる。
 
が・・・このナイトルーティン、人にはオススメしない。
 
ちょくちょくうなされるのだ。そして、ちょくちょく「助けて……」という自分の声で目が覚める。なかなかホラーでシュールなシチュエーションである。
 
もしかしたら、テレビ画面から出てくる『リング』の貞子さんのように、文章と文章の間や文字と文字のすき間から、なにやらよからぬものが出てきて、眠っている私の首を絞めていたりするのかもしれない。うなされて起きた時は、そんな想像や妄想をすることも実は楽しかったりする。
 
ただ・・・もし「世の中、起こることすべてに意味がある」のなら、このナイトルーティンにも何かしらの意味があるはず。
 
少し、考えてみた。果たしてどんな意味があるのだろう、と。

先日、こんな出来事があった。
 
埼玉県秩父市の三峰山山頂にある三峯神社に行ってきた。怪談本がそのきっかけをくれたのだ。
 
さまざまな怖い話を読んでいくなかで、どういうわけか、この三峯神社が何度も私の前に登場する。今思えば、もしかしたらほんの数回しか目にしていないのかもしれないが、なぜか気になる神社として私の記憶に刻まれていた。

いろんなことがうまくいかず、いろんなことで思い悩んでいた時、私は導かれるように三峯神社に行った。
 
「三峯神社に行ってすぐにこんないいことがあった」
「三峯神社でこんな不思議な体験をした」
 
今のところ、そんなわかりやすい「何か」は起きていない。
 
けれど、引いたおみくじを見て、私は背中を押してもらえた気がした。

こんなことが書いてあった。
 
深き闇を知ることで、本当の輝きを手に入れる
 
いろんなことがうまくいかず、今はまるで闇の中にいるかのような状態かもしれないけれど、だからこそ、あがきもがくのではなく、その深い闇の中でただじっと耐えてみる。すると闇に目が慣れてきて、闇の中に微かな光という名の希望を見つけられるかもしれない。
 
私はそんな風に思った。
本当の意味は違うかもしれない。
けれどきっと、大切なのはその本当の意味なんかじゃない。

自分の心が感じ、思い、信じられることが大切であり、自分にとって一番正しいことはきっと、前を向くこと。
 
すっかり後ろ向きになっていた私に、前を向かせてくれた神様に感謝したい。と同時に、希望を見せ、私の背中を優しく押してくれた神様に謝りたい。
 
だって・・・日々、怖い話に背筋を凍らせているがゆえ、私の背中はとんでもなく冷たかったはず。

つめたっ!?」
 
神様のそんな声が聞こえた気がして、私は少し笑ってしまった。
久しぶりに、私は笑った。


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