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神戸の会社です。

合同会社ティーアクティビスト 代表の近藤です。

みんな電話でアク、テ、ビー、、ストってなります。何か申し訳ない名前を付けたなと思っています。

私たちは神戸の会社です。

その理由を書いていたら2,900字になりました。

読まない?読む?
どちらにしてもこのページを訪問してくれてありがとうございます。
お茶でもコーヒーでもワインでも片手に気楽にどうぞ。


はじめに

長文を書かせたのはこの言葉が原因です。

「これが神戸だ、という個性を、神戸人は自慢し、大事にする必要がある。なぜならば神戸は日本の神戸というよりも、一面、世界の神戸であるからだ。」

司馬遼太郎『ここに神戸がある』月刊神戸っ子

「自慢し、大事に」しないといけないのです。

小さな工事と大きな工事

4月末より神戸市内に倉庫兼作業場を借りた。六甲山からの風をしっかりと受けとめる高台の4階。

ベランダから海が見え、向かいの公園からは新緑の香りがする。空気がきれいで静かで穏やかな気持ちの良い場所である。

夏の暑さや湿気、余計な香りが心配なのだけれど、風力発電できそうなぐらい風の通りが良いこの場所なら何とかなるのではと思っている。
(個人的には風の谷事務所と呼んでいる)

風の谷で清掃中

兎にも角にも清潔に。そして最高の茶葉を最高の状態で販売する環境を大急ぎで整えないといけない。

振り返ると、法人の登記をするためにシェアオフィスを借りたのは昨年12月。神戸・三宮の中心部にある大きなビルの最上階。眺めがとっても良い場所である。

北に山、南に海、といった典型的な神戸の地形のど真ん中22階。神戸空港に着陸する飛行機が見え、ミント神戸は目線の下に。さらに下を見ると三宮駅を覗き込むことができる。

神戸市役所も海を背景に、高級ブランドのようなシンボルマークをビルの天辺に光らせてこっちを向いている(あちらは30階建て)。市役所周辺はいま大改装で工事中の場所が多い。このエリアは特別な場所なのである。

大きなビルが神戸市役所

そんな景色のシェアオフィス。内装もとってもキレイで、どこかの上場企業や期待のベンチャーのオフィスのよう。仕切られた小部屋は狭く感じるかもしれないけれどスーパー上質空間である。

上場もせず期待もされていないベンチャーのこちらは、残念ながらそんな個室を借りる余裕もなく、みんなが使えるビジネスラウンジで小さく小さく仕事を始めたのである。

法務局や税務署への書類を作り、食品衛生責任者の講習を受け、生産者さんとの打ち合わせなどをしていたらあっという間に5月。色々と恐ろしい。

神戸で会社を設立したのにはいくつか理由がある。ワインの営業として10年間神戸を担当していたこともあるけれど、最も大きな理由は神戸とお茶との結びつきである。

あなたは「神戸とお茶」と聞いて何を連想しますか?

令和に生きる僕らにとっては神戸でお茶と聞くと「紅茶」をイメージするのではないだろうか。こだわりの洋菓子や焼き立てのパン、歴史ある洋館で楽しむ紅茶のイメージである。実際にデータを調べると紅茶の消費量は日本トップクラスを誇る。

総務省家計調査(2013~15年)によれば、一世帯の年間消費額1545円は、全国平均767円の2倍以上。また、消費量は387gで全国2位(全国平均212g)ですが、それより以前は、40年以上にわたって首位の座をキープし続けました。まさに、”全国一の紅茶好きの街”であり、ハイカラな街ならではの記録です。

Feel KOBE : https://www.feel-kobe.jp/column/kobe-tea1/

神戸人にとって紅茶は身近な存在なのである。

神戸からアメリカに日本茶が輸出されていた

神戸とお茶の結びつきはそれだけではない。

神戸から世界へ日本茶が輸出されていたということはご存知だろうか?

そんな事実を私はこの本を読んで詳しく知った。

すごく面白い本なので、気になる人はぜひ読んで頂きたい。
とっても簡単に内容の一部紹介すると

  • 19世紀のアメリカではコーヒーや紅茶よりも緑茶が楽しまれていた。

  • そのお茶は神戸・横浜から輸出されていた。著者のご先祖(ヘリヤ商会)は神戸を代表する製茶輸出企業であった。

  • 神戸居留地は京都などから集められたお茶を加工するための施設が作られ、大変賑わった。

神戸居留地における茶再製場の研究はこの本以外にも色々とあって、例えば水田丞氏の論文「外国人居留地における茶再製場の建築と茶再製装置」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/74/639/74_639_1155/_pdf

にも詳細が記述されている。1872年(明治5年)には神戸居留地には11の茶再製場があり、1500を超える鍋で輸出用の茶の仕上げをしていた。

神戸と緑茶なんて今ではあまり結びつかないイメージなのだが、絹や茶が大きな産業だった時代には神戸が茶の輸出港であった。開国して間もない日本を茶の輸出で支えるという役目を果たしていたようである。
(もちろん横浜港の存在を忘れてはいけませんが)

当時のアメリカの方々が日本の緑茶を美味しいと飲んでいた事実もとても興味深い。そして聞いてみたい「なんで飲もうと思ったの?」と。なんだかそのあたりに今後のヒントがあるような気がしている。

ちなみに、このヘリヤ商会があった神戸旧居留地の場所、何とその場所はあのシェアオフィスから見下ろしていた工事中エリアの周辺なのである。

全くの偶然なのですが。

じゃあ実際に行ってみないと、ということでその写真がこちら

あ、右側真っ黒。
右側はこんな感じ。簡潔ながらまとまった説明。

今は神戸市役所の施設の1つとなっているが、今でもその歴史はビルの壁に刻まれている。

「そして、神戸」

そして ひとつが 終わり
そして ひとつが 生まれ

内山田洋とクール・ファイブ 「そして、神戸」 作詞:千家和也

そんな歴史から150年。前川清さんが「こぉぉぉーべぇー」と歌う声を脳内再生しながら、ようやくこの文章を書き終えようとしています。

明治以降に栄えた日本茶の輸出は低品質な原料や不純物の添加、他国とのコスト競争、そして戦争の影響で壊滅的な打撃を受けます。

それらは教訓として現代でも学べることが非常に多いと思います。

この後ろのビル辺りがヘリア商会跡地

前回も書きましたが、私たちは存在意義として

・お茶がもたらす豊かな時間をより多くの人へ届けることを事業目的としています。
・国内外から厳選した高品質な茶葉だけを取り扱い、伝統を尊重し、新しい美味しさ、価値、楽しさ、満足を提案します。
・環境問題や社会課題と向き合い、持続可能な社会づくりに貢献します。

と定めています。

かつて世界へ向けてお茶を作り、届けていた。そんな場所を眺めながら設立された会社です。

Reconnect & Innovate
「再接続」と「革新」

街の景色は変わっていきますが歴史や文化をもう一度つなぎなおして、神戸から再びお茶の魅力を発信していきます。

宜しくお願い致します。

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